ヴィテルボの旅行記の続き。
つまんないと思うけど、
街歩きは歴史を学んだほうが良いと思うので、、、
ファルネーゼ宮
Palazzo Farnese
奥に見えるのが大聖堂で、
ファルネーゼ宮殿に着く前に
橋の様になってる道は
エトルリア時代につくられた橋で
ドゥオーモの橋があって
左を見ると、
素敵な塔が。![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
ファルネーゼ家の宮殿もエレガントです。
下の窓がゴシック様式で、
真ん中の窓がビフォレになってるの
デザインが違うね。![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
![上差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/527.png)
他の建物に比べて
魅力的。![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
建物反対側にまわると、
古い洗濯場があるそうですが、
見落としました。
この建物、
エトルリア時代の城壁の上に建てられたんです。
それが分かるの。
何度かに分けて建てられたようですが、
1200年頃と、
1431年頃のだというのがわかってます。
通り側の木製のロッジャ。
ラヌッチョ・ファルネーゼが、
Ranuccio Farnese
フォルテブラッチョ家 Fortebraccio
や、
ジャコモ・ディ・ヴィーコ Giacomo di Vico(近くにいたヴィーコ家)
からの攻撃から
ヴィテルボを守るために建てれてた可能性が高いそう。
ラヌッチョの息子たち
Francesco Gabriele e Pier Luigi
の時代があり、
中世の頃にプロッフェルロとかが建てれれたのが、
ヴィテルボに残ってるのですよ。
アレッサンドロ・ファルネーゼ、
後に教皇になったパウルス3世の統治下になり、
妹のジュリア・ファルネーゼも住んでたのは確か。
ボルジア家のアレッサンドロ6世に気に入られ
愛人にしたくらい、
超美人だったそう。
この人よ。ウィキ
↑ラファエロ画
建物横に、
長ーい歴史が書かれていたけど
キージ家に貸したり。
この建物の1200年代の中庭も見てみたいな。。。
個人のオフィスになってるようですね。。。
ざんねん。
今日はここまで。。。
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