聖プリスカ Santa Prisca | イタリア ローマの新聞屋さん

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イタリア在住22年。以前エディーコラ(新聞や雑誌を売るお店)を経営していましたので、このタイトルです。
お店は売ってしまいましたが、続けて興味のあるイタリアの芸能、旅行記、食などについて書きます。最近は主にユーチューブで旅行・生活vlogを公開しています。

散歩日 2013.01.01

アヴェンティーノ大通り、アルバニア広場から
アヴェンティーノの丘に登る通りに
聖プリスカ教会があります。

サンタ・プリスカ教会  Parrocchia di Santa Prisca
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4世紀か5世紀に作られたと思われる
アヴェンティーノ地区では一番古い教会

聖プリスカ(エステの聖女ベアトリス)
ベネディクト修道院の創立者。
プリスキラとアクラ Santi Aquila e Priscilla の娘

13歳だったプリスカは
アポローン APOLLO の銅像を大事にしなかった罪で
ローマ帝国の第4代皇帝 クラウディウス CLAUDIO を怒らせ牢屋にいれられました。
チルコマッシモの見晴台で鞭でたたかれました。
でもライオンは貪り食うどころか、彼女の足元にひれ伏しました。
それで、また牢へと放り込まれ、鞭打たれ、火炙りをしましたが、
火でも無傷でした。
そしてとうとう首を切り落とされたそうです。

11世紀のノルマン人Normanniの侵略により壊された後、何度か修復を繰り返し
現在のファサードは17世紀のものです。

この教会の地下には
古代ペルシャの太陽神 ミトラ教の集会所 が残っています。(一般公開はされていません)

ミトラ教は、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教。

ミトラス神殿遺跡の壁に
et nos servasti . . . sanguine fuso (そしてあなたは我らを救う……流された血によって)
と書かれているそうです。何を意味するかは不明。

ここで発見されたミトラ神の大理石の像は、現在ローマ国立博物館所蔵。

聖具室には
ジョヴァンニ・オダッツィの「無原罪の御宿り」があり、
中央祭壇には
フィレンツェの画家パッシニャーノの祭壇画「聖プリスカに洗礼する聖ペテロ」
があるそうです。

また教会内を訪れたら更新します。

マドンナ
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サンタ・プリスカ広場
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教会の入り口周辺で遊ぶ猫。うろうろ。
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オレンジの公園へ向かう途中の
S.A.Magno通り via Sant'Alberto Magno
この壁、3段階に作りが変えられています。面白い!
徐々に高くしていったのかな。
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ローマ七つの丘のひとつ、アヴェンティーノの丘
ローマ城壁周辺なので、長い間人は住んでいませんでした。
紀元前5世紀頃、下層民が住むようになりましたが、
その後、貴族階級の人々が住むようになり、
410年にはゴート族により強盗に遭いました。
教会だけ残り、周囲は農地と化しましたが、
1930年代にまた裕福な人たちの豪邸が立ち並ぶゾーンに変わりました。

アヴェンティーノの丘は静かなところです。

イタリア語の辞書で AVENTINO を調べると
ritirarsi sull'Aventino という熟語があり、
(政界などで)舞台裏に退く という意味になります。




参考文献

サンタ・プリスカ教会教会 公式ホームページ(イタリア語)
http://www.santaprisca.it

サンタ・プリスカ教会 ウィキペディア(イタリア語)
http://it.wikipedia.org/wiki/Santa_Prisca_(chiesa_di_Roma)

聖プリスカ ウィキペディア(イタリア語)
http://it.wikipedia.org/wiki/Prisca_romana

ミトラ教 ウィキペディア(イタリア語)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99