「集合知の力、愚衆の罠」を読んでみて
さてさて、、、先日購入した「集合知の力、衆愚の罠」についての感想をあげたいと思います。忙しい中でも、読み応えがあるものでしたね。今回の記事は普段より長めで真面目なので、大量のインプットがカンベンという方はあまり読まない方がいいかもです。集合知の力、衆愚の罠――人と組織にとって最もすばらしいことは何か/アラン ブリスキン¥2,310Amazon.co.jpこの本が生まれるまでには「Collective Wisdom Initiative」という非公式なネットワークが独自に 世界各地の実践、研究の場、膨大なリサーチ、理論、事例を集めてこの一冊に至ったそうです。ユーモアや寓話、病院内での出来事、NASAでの事故事例、歴代の政治家のエピソードなど豊富な事例も読み応えがあります。まず本書で定義されている「集合」「知」とは何か?(what)---------------------------------------------------------集合体、集合(collective)多数の人間やものごとがひとつの集団またはまとまりとしてみなされている状態。集団の構成員間に接点があることが特徴。知(wisdom)健全な判断力を持つこと、人間や状況に対する優れた理解力を持つこと。複数の観点や知識の形式を検討できること。集団の知とは、深い思いやりと共感に根差した洞察、良識、明晰性、客観性、見識によって発揮される。そして「集合知」とは,,,集団やコミュニティ内での相互作用を通じて、獲得される知識や洞察のことだ。さらに掘り下げて考えるならば、そこにあるのは人と人との「生きた結びつき」であり、地域や組織や世界における「頼りあい」である。---------------------------------------------------------そう、人であるならば、誰もが「絆」や「つながり」に新たな生きる意味価値を見出すのは当然のことです。それは3.11の大震災で見えた世界に称賛された日本人の国民性の高さにも見ることができます。「人の為に」と助け合い、支え合う日本の国民性は世界各国からも高く評価されたのは記憶に新しいことです。次は、、、なぜ、「集合知」が必要なのか(why)---------------------------------------------------------それは真の変革とは人と人との深い連帯から生まれるものだからだ。集合知は自己と他者の二元性を乗り越える助けとなる。---------------------------------------------------------しかしながら、、、「知」は諸刃の剣。破壊的な対立、いつわりの合意を育てる「衆愚の罠」にも陥ってしまう、と。では「衆愚」が生じるのは二つのパターンがあるとしています。一つめは、「分断と細分化」「身内ではない」とか「私には関係がない」二つめは、「いつわりの合意、見せかけの団結」事例として1965年に起きたNASAの「アポロ計画」の訓練の火災事故や1986年のチャレンジャー号の爆発事故を挙げてます。「間違っていると言われる」「何か言っても却下される」etcここまで、読んでてフト思い出したのが、1400年前に日本で聖徳太子が「和の精神」の具現化、「和の政治」に挑戦しようと記した「十七条憲法」の第一条「和を以て貴しと為し」。人間の無明性からくる黨(とう)の克服を語っています。(※Noh jesu著『観術で聖徳太子「十七条憲法」を生かす』参考)「黨」つまり、「無明無知」を克服すること。表現は違えど、言わんとすることは同じだと思います。この「衆愚の罠」と「黨(とう)」はどう克服ができるのでしょうか(how to~)なんか本の感想をまとめているはずなのに、、、ドンドン深まってしまってきたなぁ~、、、とそんな思考も出てきますが、ここで本書でも取り上げられていたアインシュタインの言葉を紹介します。「人間は‘宇宙’という全体の一部なのです。時間と空間のなかに限定された一部なのです。人間は自己を、自己の思考や感覚を、他から分離した者として体験します。---それは意識の視覚的錯覚とでもいうべきものです。この錯覚は、わたしたちを個人的な欲望と、ごく身近な幾人かの人間への愛情に縛り付けている、一種の牢獄なのです。わたしたちの課題は、すべての生きとし生けるものを、自然のすべてを、その美しさのままに包み込むまでに慈しみの輪を広げ、わたしたち自身をこの牢獄から解放することにあります」---アルバート・アインシュタインこのメッセージは初めて見ましたが、「意識の視覚的錯覚」は錯覚は視覚だけでなく、「五感覚脳の錯覚現象」と言い換えられるでしょう。その「五感覚脳の錯覚現象」としての「人間」という「自己」。その「自己」が個人的な欲望と幾人かへの「愛情」、それは「牢獄」である、と。だんだんエンジンがかかってきて、もっと書きたい心はありますが、、、遅くなってきましたので、この辺で切りたいと思います。ではでは~。おやすみなさい♪