この前ふと、前田義子さん(フォクシーというブティックを起業された方)
の昔の本をぱらっと読んだ。
前田さんが、お嬢さんの大学入学が決まった後、
「もう一人前になるのだがから、ごんは自分でつくれるようになってね」
といい、お嬢さんは一瞬怪訝そうな顔をしたが、6時におき朝ごはんをつくれるようなった、
娘が作った料理に、
”ごはんが毎日つくれることができれば、
ああ、この子は一人で生きていけるんだなってすごく感じるのよ”
と
娘の作ったごはんを前に、”すごい、すごい”と涙ぐみながらほめた。
というそんな内容に、
ふいにわかった私である。
そう、子供にまず教えこまないといけないことは、
自分で自分のごはんを作る、
でないかと。
ごはんといっても、シェフ並みをめざせというのではなく、
味噌汁とごはんでいいのである。
それを、歯磨きと同じぐらい、何の考えもなく準備できるまで、生活の一部になるように、
自然にできるようにしておく、である。
年をとると、色々だるくなる、そんなとき、
ごはんをなんとなくセットし、味噌汁つくってしまう、
歯をみがくほどに自然にできれば、なんとか健康でいられる。
息子がいる人で、台所に一切近づけない、あれこれ子供に作ってあげる、
という方が多いかと思う。
それは将来的に、息子を心身どちらかの病気にすると思ったほうがいい。
知り合いの息子さんで、超がつくほど優秀な家に生まれて、司法試験を目指していた、
一人暮らしを始め、勉強をしていたが、おばさんが様子を見に行ったところカップラーメンの山だったそう。
司法試験もなかなかうまくいかず、ある時心筋梗塞でなくなった。自殺ではないかと、噂があった。
カップラーメンを食べ続けたから、若くして亡くなったとはいわないが、
ちゃんと食べられる、ちゃんと食べるだけで、
基本的なことはしっかりできているという安心感はもてる。
どこかで、自分は大丈夫だと思える基礎が崩れない。
ここに加えて、整理整頓がある程度できれば、
もう人生の生きる基礎はできたでないかと。
整理整頓ができ、味噌汁とごはんを自然に構えられたら、
どんな困難にあっても、ある一線は、守られる気がする。
子供に叩き込むことは、歯磨き、風呂にはいる、使ったものは元にもどす、
そして、ごはんのセッテイングをする、他、みそしるは具材を切るは母がしてもいいが、
作る過程は、参加させていいのではと思う。
大きくなれば作るはもちろんである。
できれば簡単なおかずも作れるよう、若いうちに習慣化したほうがいい。
ごはんと味噌汁、忙しく作れなく、
そこに外での買い置き一品でも、しっかり食べた、という、
自分はしっかり生きているという肯定感を得られる。
ごはんと味噌汁、たった2品をまずは、
なんの考えもなく、歯磨きと同じくちゃっちゃっと、歯を磨くほど自然につくれれば、
子供は一人でも生きていける。
上記の前田さんのお嬢さんはコロンビア大学に入ったそうであるが、
そのことより、娘が朝ごはんを一人で作れることに涙する、
そのエピソードが本当かどうかはともかく、
すくなくとも、人生生きる上で大切なこととは何かをわかって、それを文書にしていることは、
さすがと思った。
以上のことをなぜ思うかというと、手前みそだが、夫がそんな人だからだ。
私が夕食の準備の終わりに差し掛かると、机のセッテイングを自然にはじめる。
彼の義理兄は息子が一人いるが、必ず息子は当たり前ように、セッティング片づけに参加している。
そして夫は、かならずごはんをたく。
義理母が仕事をしていたこともあるが。
あと私の友人で、やはり母が忙しく小さいころから食事を作ってきた友が、
20歳の時、私の家に遊びにきて、当たり前のようにごはんをチャチャと、準備した。
作ることは苦ではないと言い切った時、私は母が台所に近寄らせない人だったので、
そういう人もいるのかと感心した。
勉強をさせることも大事だが、それ以前に、
ごはんと味噌汁を、なんの考えもなく自然に準備できる、
それが、自立して生きる、ということの第一歩で基礎ではと思う。
たとえ一人になったとしても、ごはんと味噌汁がつくれなくなっても、
ごはんはごはんパック、味噌汁はインスタントでも、
心のどこかで、この二つがあれば、大丈夫と思える、それだけでも、
たとえ孤独になっても、今日もしっかり生きたと最後の日まで思える、
自堕落、自暴自棄、私の拒絶を、防ぐ防波ていになる気がする。
その安心感は、子供のころからの、自然にできるまでの落とし込みが重要と思う。
年をとって全くやってこなかったという方は、まずは、これを徹底的に当たり前化するように、
すべきと思う。
小さなことだが、自然につくってしまう、ごはんがないと気持ち悪い、
という人は少ない気がする。