感謝 | 58才の希望と野望

58才の希望と野望

地方出身東京在住 
賃貸暮らし(50歳彼が家を準備!)
独身彼なし(49歳でできた!)
夢:本をだすこと
家族が 彼がほしい(彼はできた、51歳で入籍しました)
仕事がほしい(49歳で正社員になった!53歳首)
英語が話せるようになりたい!
人生あきらめません!

感謝、私はこの文字がきらい。

メールを”感謝”でしめる人がいるが、どこか宗教的ですきでない。

 

でも、年をとればとるほど、やはり感謝である。

この言葉しかないのでしょうがない。

 

愛してるとか、もそうだが、すごく伝えたいとか、あふれる思いというのは、

あてはめられる言葉が、妙にぴたりとこず、あわずもどかしい。

 

乳がんになって、抗がん剤の途中から体力がおちてきて、歩くのも大変だった。

旦那が出張でほぼ留守だったので、一人で運動のため歩く道は、やはり寂しい。

旦那が帰国して二人で散歩にでれば、いつもの調子で旦那がいつもの距離を歩こうとする時も、寂しいが。

 

一人で歩き、もう歩けない今日はここまでと、

一息つくとき、亡くなった父のことがうかんだ。

 

私の父は晩年、脊髄の損傷で歩けなくなり、車いすになり、

生活全般も人の手が必要となった。

そこまでの父の人生は順風満帆で、背も高く見た目もよく、プライドも高く年をとっても向上心のかたまりの父には、

本当につらい十年だったと思う。

それまでの父の人生は、がんばれば道はひらけるだった。

そこまでの人生にも理不尽は山ほどあっただろうが、

晩年に、がんばっても越えられない理不尽に見舞われた。

 

その父を思い出すと、まだ歩ける、これからさらに歩ける、そう思うだけで、

抗がん剤でツルツル頭、顔はむくみ、いつもの道もわずかしか歩けなかったが、感謝だった。

 

父のことであるが、父は最後まで、あかるかったとか全然なかった。

人生がんばれば超えられたくせなのか、ともかく、苦しそうだった。

 

つらいことがあれば、逃げるやめるが常習だった私には、

そのとき逃げ慣れも悪いものではないと、

申し訳ないが思う、娘だった。

 

話はまた変わるが、海外勤務をする人ほど、

このがんばっても越えられない、を身につけないとやっていけないのではと思う。

がんばっても、越えられないことがある、その時は、にげる、ひらきなおる。

 

悪いという言葉があるが、逃げる開き直るは、

悪ではない。

 

感謝に戻す。

 

がんばっても越えられないことがあるとき、自分を振り返ると、ありがたいと思うことを探せば結構ある。

いい親のもとに生まれた、国の理不尽もない安全な場所に生きられていること、

のろければ、今の旦那に会えたことは奇跡である。

探せば、こんな飛び切りでない私だが、55年、沢山の幸運の道のりだったと気づいた時、

自分は恵まれているのだから、少しビターなことがあるのは仕方ないかと、思えてくる。

 

最近は、すっかりもとの自分にもどった。

そんな時は、あの、息切れして立ちどまった道の角を思いだす。

ipadで懸命に、再生治療の道をさがしてた、ベッドの父を思い出す。

 

55才なのでここまでこれただけでもありがたい。

感謝という言葉は好きでないが、

やはり、感謝、ありがたい、と年をとるほどこの言葉がうかんでくる。

まだメールやブログの終わりを、感謝でしめようとは思わないが。