55才の初老クライシスと、30代と40代って | 58才の希望と野望

58才の希望と野望

地方出身東京在住 
賃貸暮らし(50歳彼が家を準備!)
独身彼なし(49歳でできた!)
夢:本をだすこと
家族が 彼がほしい(彼はできた、51歳で入籍しました)
仕事がほしい(49歳で正社員になった!53歳首)
英語が話せるようになりたい!
人生あきらめません!

振返ると、40代は若かった。

第二の青春といってもよいほど、たくさんのことをした。

なによりなにより、欲があった。欲というエンジンがうなり、自分を動かした。

 

今40代、もし30代の方がいたらいいたい。

この年代は充分! 若いよ

若いとはなにか、それは、ドロドロとした欲があること。

あせりだったり、もやもや、100のやりたいことが書けること。

自分をしっているようで、まだあきらめてない、幸せな時である。

 

30代は、何をやってもいい。30代(つまり若い)と許されるときなので、かえって悩ましくあせる。

40代は、世間が家族があきらめてくれることが増え、少し楽になれる。

 

そして、さらに年をとれば、(世間的に)やってもいい、ことが狭くなるので、

”もうこんな年だしね…。”で楽になる。

周りで活動している人がへる。いなくなる。追われることがなくなる。楽になる。

(たとえば婚活、たとえばこれから大学にいくとか、留学するとか)

 

30代は、家庭も作れる、仕事も上を夢みることができる、独身の友達もまだ多く、

婚活していてもおかしい年ではない、

一日24時間なので、どうしようどうしよう、やりたいことが沢山ある!

でも、まだどれも未達で、モヤモヤする~年頃かと思う。

なんというか、オリンピック選手にまだなれるぐらい、底の底では、自分の可能性をまだ信じられる年である。

 

40代になると、世間的には、結婚はないかもね~とみられる年で、

あせりつつも、どこかで許されるかも、結婚いいかなぁ~と魔が差す頃、

じゃあ仕事?と言われれば、仕事もなんとなく道が見えてくるころである、

友人は結婚したり、仕事が忙しくなったりで、

付き合いが続く友人は、独身で、仕事も中途半端(すまん)な友達となる、

40代は同じ境遇の人が集まっての、同じ悩みの吐き出しあいとなる。

(子供ありの40代はわからないが、周りの子あり40代の活動は、再就職にむけてが多かった。)

 

私は40代はあまり友達付き合いはしなかった。

代わりにブログに気持ちを吐き出していた。

仕事はもう多くを望めなかったので、かわりに、ともかく正社員になることをめざした。

その望みがかない、じゃあ、最後のあがきで、婚活しようか、やってやって、それでもだめだったら、

この先少し納得して独身でいられるのではと思い活動し、自分でも驚いたが、結婚できた。

むちゃぶりだが、50才でウェディングドレスに内輪だが披露宴もした。

自分的には納得。

 

私の40代は、仕事では限界がわかったので、バーをさげた。

婚活については、自分の魅力なんてわかるようでわからないので、再度、需要があるのかないのか試した。

(売れ残りに飛びついてくれた、すてきな売れ残りにあたった)

 

私の40代、このころは、ごぼっと、わきあがる意欲がまだあった。

まだ若かったと、今わかる。

 

で55才のクライシスの本題になるのだが、

55才、大病をしたこともあってか、意欲が、がったとなくなった。

敵?はこれだったかという気分。なえる、無欲

(更年期特有のわかる”つらい”はないが、

女性独特の切り替わりが影響していると思う)

 

結婚し、生活面での不安はない。借金もない、仕事はやめた、年齢的にどこかに勤める予定はない。

幸せと人はいう、これで欲が残れば苦しくも幸せなのかもしれないが、

欲がないのである。解脱とかさとりとかとは違う、あきたに近い、でも生きてはいたい。

(うつとも違うのはなんとなくわかる。でも、いきすぎるとうつになりそう)

 

おいしい外食、高いもの!こんな素敵な場所で食べてみたい~!

現在の朝ドラの、ちむどんどん(胸が自然と、どきどきする感じ)がない。

こんな場所に住んでみたい~も、あまりない。

(ただ、これからどういうところに住んで、どういう暮らしをしようかと、それは、若いときとは違う、

エキサイトする感じでなく、もっと静かなイメージ)

 

欲というのは、自分を苦しめもするが、自分のエンジンとしみじみ今思う。

 

ある小説家の方が、書くものがなくなってからが、本当の勝負だと言っていたが、

これはこれで、苦しい勝負。

宇野千代さんという、今は亡き、100才近くまで小説家であった方が、

自分をしばりつけるように机に向かい書く、という風なことを書いてらしたが、なんとなくわかる。

 

消えそうな、炭の赤い色を消すまいと、熾火をころがすような。

でももうそれは、真っ赤に火をおこすことは、ないだろう、とうっすら思いながらコロコロする。

燃えろと思わず、さりとてけしたくもないので、コロコロする感じ。

 

これからは何かにむかうのではない、遠く高くない、

これからは、近く、低いを積み重ねる感じ。

 

一日一日を生きて、で、いつか、のぼり、登れなくなった時、

そこが高くなく低くはあっても、あれからここまできたかと、

意外とその高さのほうが、よくやったなぁと、

自分を生きて自分を知った、自分の限界、これぐらいのものとわかったあとだから、

ほんとに、よくここまであがったと、ほめてあげられるのかもと、思う。

 

まあ、一つだけ自分にいいたい、若いころの失敗からである。

楽しもう!

婚活をする年代でない時に婚活をしていた時、

もう、期待されてない年だから、振り切れて楽しんだ、それが結果となったのかも。

 

なので、楽しく(まずはそう思うようにしながら)、近く、低く。

付き合いでのぼる山も、一歩一歩、楽しく思いながら登れば、

ふいに、きれいな花をみつけたりするかも。そのとき、

かすかに、ちむどんどん(朝ドラ)して、でまた、一歩、

 

初老クライシスを日々を、過ごすこつが、今わかった。

ブログを再開してよかった。