純愛・・・ | 愛しのフィリピーナ日記

愛しのフィリピーナ日記

・・・愛しのフィリピーナとEDDYの恋愛奮闘記録・・・

電車男的(風)か解りませんが・・・、高校のときでしたね。アコは今でこそ女性の前に出ることや、話しをすることが全く気にならないようになりましたが、高校の時はすごく純情だったと思います。その女の子は小学校の時から、ずーといっしょで、小・中・高と全く同じところに通っていたのですね。


多分、小学校のときからずーと気になっていたのですよ。多分、スキだったのか、といえば、気になっていた、というのが正直なのかな?小学校のときは、スカートめくったり、胸にタッチしたりして、からかっていた記憶があるので、多分、すごく気になっていたのは確かですね・・・。


それから、中学、高校と同じところでしたので、登校時、下校時には、よく見かけましたね。彼女はすごくきれい、というより、かわいかったのですね。そして、いつもモテモテ状態でしたね。ですから、登下校時はいつもだれか男の子といっしょでした。それをチラチラ見ていた気がします。・・・今から考えるとすごい、暗い・・・というより、恋愛に対して億劫、引っ込み思案的な・・・学生生活でしたね。


それが変わったのが、大学時代。大学は彼女とは、別々になったのですが、なんだったけ?なにかがきっかけで彼女の所属していた軽音楽のコンサート、に行くようになったんですよ。それから、大学の間、2年間程、彼女という位置づけでもなく、友達、という関係だったでしょうか?京都でデートしたり、神戸で遊んだりしてました。はっきりとした恋人関係ではなかったのですが、やはり、惹かれていたのでしょうね。での、大学の間は、結局、好きだ!と言えず、そういう雰囲気になったことも、何度かあったのですが、結局、ダメでしたね。


好き、というより、憧れ、いいところのお嬢様であったこと、清楚な感じで、お嬢様大学に通っていたこともあり、たぶん、気後れしていたのでしょう。そんな感じでしたね。


大学を卒業後、彼女が神戸で就職、アコが東京で就職、となり、離れ離れになったわけですが、研修が終わった6月ごろでしたか?、京都であそぼ!と声を掛け、・・・そうそう、きっかけを思い出しました。


京都に遊びに行きたいのよ、って彼女がボソッと言ったのをきっかけに、京都の観光に誘ったのがきっかけですね。そのときのことを、今鮮明に思い出しましたよ。京都駅の改札を出たところで、彼女が立ってきょろきょろしているのを見て、すごくかわいい、きれい、って思ったんですよね。すごく感動したことを思い出しました。そして、大学に入って体育会系のクラブに所属していましたので、女っ気なんてないなかで、彼女のブルーのアイラインに感動したのを、覚えています。すごく大人の女性にその時、見えたんだと思います。


また、話しは戻りますが、社会人になってもそういう感じで、何度か神戸(京都で結構遊んでいましたね。)と東京とを、月に1回ぐらいのペースで遠距離恋愛・・・。その年のクリスマスでしたか、今までずっと好きだったんだ、付き合ってもらえないかな・・・と、告白しました。神戸のメリケンパークオリエンタルホテルが見える対岸の桟橋のところでしたね。


それから、恋人としての付き合いがやっと始まり・・・結構プロローグが長いですが・・・男女の関係にもなり、結婚・・・と続けば、「電車男的恋愛」になるのでしょうけど、結局は「長距離恋愛」の悲しい宿命でしょうか?アコも東京の同じ会社の女の子と遊びに行ったり、デートしたりしていましたので、結局分かれてしまうことになりました。


実のところ、その長距離恋愛のときにやりとりした手紙をしこたま記念・・・未練たらしいのは、男の性です・・・・にと、おいておいたのが、前の嫁さんとの結婚の後の引越しのときに、ばれてしまい・・・なんで、新居にもってくるかな(?)って感じですが・・・スタート時点からもめてしまいましたが、昔のことでしょ、といい訳しましたが・・・ね。


この憧れの彼女との後に、Pナ・・・当時の源氏名はナンシーです・・・との恋愛が約1年半・・・ブログの最初のところに書いてありますが・・・あり、追っかけて行った比国の空港で、連絡が付かず、置いてきぼりを食ったり・・・その時点で初めて、「振られた」ことが解るなど、結構どん臭い恋愛をしていましたね。今から考えると・・・。


後で通っていたPPの他のババエから聞いたのですが、ナンシーには、子供が2人だけでなく、旦那も居たわけで、アコは「日本での(だけの)恋人」という位置づけだったわけです。日本で愛し合ったあれはなんだんったんだ!!と当時は、すごく落ち込んだものです。当時は、アコは25・26と若く、商社で仕事をしていた関係上、インドやネシア、香港、シンガポールと東南アジアを飛び回っていましたので、Pナに対する抵抗などは全く感じませんでしたね。だから、当時初婚でも、Pナとの結婚まで、考えられたのかもしれませんが・・・。


結構熱烈な恋愛だったんですよ。ほんとに好きだったし、結婚しよう・・・商社の先輩にも、Pナがお嫁さんという人が数人居ました・・・とおもって、比国へ追っかけて行ったのですけどもね。ダメでした。それからは、PP通いは自然と消滅。別れた嫁さんとの結婚へ至り、そして、今×一・・・・。


そして、再びPナと・・・。という感じで、若いころに経験した「トラウマ」がまだ頭の中に残っているのかもしれません。今の優柔不断さ(?)、踏み込めない気持ち、様子見的な対応(?)、ほんとうは、一人前の男として、やってはいけないことをしているような気がして・・・。すこし、考えさせられています。


なんか、つらつらと書いているとすごく長いブログになってしまいました。小さい頃からの恋愛体験をつづっみるのも、いろいろと思い出がよみがえってきていいかも知れませんね。アコは、今の自分の立場、状況を見つめなおすいいきっかけになりました。今週の「お題」万歳!!です。