先日の記事で、ミスをなくすのはメンタル・コントロールであり、全人格的問題だと書きました。すると、そんなことは常識で身も蓋もない精神論に過ぎないと訝る向きもあるでしょう。たしかに、字義通りに解釈するとその指摘も当然です。

 

https://ameblo.jp/edc-academia/entry-12463921525.html

 

 そこで、この論点をもう少し掘り下げて考えていきます。

 

 かつて、私がフレンチホルンを学びにフランスに留学した当初のことです。フランス人の教授に、決して演奏ミスをするな、なぜ日本人はミスをするのだと厳しい注意を受けて非常に当惑をしました。

 

 なぜならば、自分としては全力で正しい音を当てようとしているのだし、音を外さないように毎日練習に励んでいたからです。別に自分だって好き好んでミスがしたい訳ではない。ミスをしないように気をつけているつもりであるし、わざわざフランスまで来ているのだから真剣だし、日々ベストを尽くしている。要するに、ミスをするなと言われても万策が尽きた状態だったのです。

 

 だから、「ミスをするな」「ミスをなくせ」と言われても、生徒たちが途方に暮れる気持ちもよく分かります。

 

 それでも、とにかく物事は全て原因あっての結果であるはずなのだからと、なぜ自分の演奏ミスが無くならないのか考え続けました。そして、何ヶ月も思案した末に根本的な原因に思い至ったのです。

 

 それは、演奏中の自分の意識の在り方です。

 意識の在り方とは何か?

 

 フレンチホルンの演奏は一般には縁遠いので、その代わりにバイクの運転を例にとりあげてみましょう。

 

 今、勾配の急な坂下の交差点をバイクで右折するとします。そのためには、次の8つの要素が複合します。

 

①右手 → アクセル

②右指 → フロントブレーキ

③左手 → クラッチ

④右足 → リアブレーキ

⑤左足 → シフトペダル(ギアを変える)

⑥両手 → ハンドル

⑦腰  → 重心移動

⑧左親指→ ウインカー

 

 まず急坂をそれなりのスピードで下ってきて、交差点の手前で減速する時に、フロントブレーキだけで減速をすればつんのめって転倒します。リアブレーキだけだと、後輪がスリップして転倒します。急に低速ギアに落としてエンジンブレーキを利かせようとすると、後輪がロックされてやはり転倒します。

 

 よって正しい動作としては、前後ブレーキを同時に緩やかにかけながら、瞬時にクラッチを切ってギアを落とし、半クラッチでエンジンブレーキを利かせながらハンドルと重心移動で車体を傾けて右折し、車体が一番傾いたところでアクセルを開いて車体を起こし、車体が完全に起き上がったらギアを段階的に上げて中速に戻す。ついでに、右折前後のウインカーの点灯と消灯も忘れてはいけません。

 

 交通状況によっては、対向車が急左折してくる場合もあれば、後続車が車間距離を詰めていて、自分のペースで減速できない場合もあります。

 

 また、雨が降っていたり、交差点に砂利が散らばっているなど路面の状況によっては、急な減速・加速、車体の傾け過ぎは転倒を招くので、いつもと加減を変えなくてはなりません。

 

 さらに何よりも坂下の交差点だと、特に歩行者信号が点滅している時には、死角から歩行者や自転車が、横断歩道上に飛び出してくることがあるので、自分の運転にだけ集中していれば済むというわけではありません。

 

 フレンチホルンの演奏時の意識の使い方だとピンと来ないので、バイクを例に持ち出した訳ですが、それでも十分に分かりづらいですよね。しかし、それでいいのです。

 

 バイクという日常的な乗り物で、これまた交差点で右折するという日常的な場面においてさえ、言葉にすると複雑で分かりにくい所作を、両手・両足・体幹・視覚情報を同時に処理しながら、同時に微妙な加減で連合させてはじめて、「安全に右折する」という一つの行為が出力されます。

 

 言い換えると、バイクで「安全に右折する」という単一の行為の背後では、既出の

両手・両足・体幹の8つの要素、ならびに情報の処理と判断を瞬時に遂行する認知システムが作動しているのです。

 

 そして、それら諸要素の同時的連合が上手く行かなかったとき、転倒という「ミス」が起こるのです。

 

(この項、つづく)