やっとラスボスが倒れた今、世界が変わったかというそんなことはなくて、日常は続いている。ただほんの少しだけ生きやすくなったというか、自分に巣食っていた罪悪感が減ったという感じ。他人をサポートすることは大事だけれど、その原動力は「自分がサポートしたいと思うから」という気持ちで、罪悪感じゃないというのは大きい。

 

 

昨日届いた兄のお嫁さんからのテキスト(ニュース)は、私の心をとても明るくしてくれるもので、さらにそこには甥っ子姪っ子ちゃんたちのかわいい写真が載った年賀状も添付してくれていて、とても嬉しかった。

 

おねがい乙女のトキメキ

 

私の旧姓が「山田」だとして、兄と結婚してお嫁さんも「山田」になってるんだけど、私を含む実家の「山田家」と兄が結婚して作った「山田家」は2つの違う家庭。むしろ、今となってはたまたま名字が同じなだけという雰囲気で、「山田家一族」という感じではない。それはある意味、健康的とも言える。

 

お嫁さんが私とも距離を取っているのは肌で感じる。でも、私が甥っ子姪っ子と仲良くするのは良いことだと思ってくれているみたいで、そこが私との一つの接点になっている感じ。今回の帰省でも、私を家族の晩ごはんに招待してくれたりとか。でも、お嫁さんが実家に足を運ぶことは、この先もおそらくもうない。母がお嫁さんに対してやってしまったことは、娘としてもすごく恥ずかしくて酷い事だったから仕方がない。私がそれをスティーブンのお母さんにされても、娘の結婚した人の母親がそれをしてきても、怒りを通り越してその人とは絶縁するだろう。

 

ただ、家業が絡むと、それも若干むずかしい。

 

お嫁さんは兄が継いだ家業の仕事とは真剣に向き合っていて、いざという時は本格的なサポートができるように勉強して資格まで取った。もしかすると、「内助の功」として家業を支えたというプライドがある母にとっては、嫁のその行動が気に入らなかったのかもしれない。でも、よく考えてみればお嫁さんのアプローチの方が利にかなっているのは明らか。お茶を丁寧に淹れてお客様に出したり、(昔からのしきたりで)会合があるといえば、お酒やツマミも作って、というのも大事だと思うけれど、いざという緊急時に役立つのはお茶汲みじゃなくて資格だ。

 

父にとっては人生そのものだった家業を、コロナ禍に起きた交通事故が原因で引退せざるを得なくなり、それまでどことなくフラフラ生活していた兄が本格的に継ぐことになった。仕事を自分で完璧にこなし、次世代を育てるということをしていなかった父にとって、自分のスタンダードに見合う仕事をしない息子を横目に、日に日に自分が何もできない体になっていくのはつらかっただろう。自分が築き上げてきた城が崩れていくのを見るのは苦しかったに違いない。

 

だから、そんな状況下でも今までの調子であれこれ仕事に口出しをする母に対して、「もう職場には顔を出さないでください」と兄がはっきり言えたのはお見事だったと思う。母が手伝っていたとしたら、兄はらくだろうし、今までの形もそこそこ守られていたかもしれないけれど、それは将来を見据えると良くないことだったから。

 

そして、その頃から、母の言動はますますクレイジーになったし、「山田家」もきっぱりと2つに分かれた。「息子が何もしてくれない」と言って、私の従兄弟たちに連絡をするようになったのもその頃から。実際、兄は母の近辺のあれこれを助けることはなかったみたい。心を鬼にしてお嫁さんを守った兄、家業を継ぐと決心して動いた兄、グッジョブグッド!と思う。

 

昨日届いたお嫁さんからのLINEは、なんと父が、介護施設のスタッフにサポートしてもらって、家業の職場に新年の挨拶に来た、というニュースだった。それまで50年以上かけて守ってきた職場を、はじめて「訪問者」として車椅子から見た父。その父に、自分がそこのボスとして挨拶をする兄。そしてその様子を私に伝えてくれたお嫁さん。母はこの出来事のことをまだ何も知らないみたいだけど、後日施設の方から聞くのかもしれない。自分は何も知らされていなかったと怒るかな。それとも父が「妻には言わないでください」と言って周りには極秘でアレンジしてもらったことなのかな。

 

でもそんなことはどうでもいい。みんなそれぞれのストーリーを、主人公としてただただ必死で生きているだけなんだもんね。

 

明日からまた5時起き生活。2025年がいよいよ本格的に始まるという感じ。今年も「疲れていない時に休む」をモットーにDay by dayで進みたいです。