1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、という概念が、日本の学校文化の中にあったけれど、本当にそんな感じ。1月、あっという間に過ぎてしまった。

 

実家の父が緊急入院したというテキストが母より入った。1月25日のことだったらしい。

 

1月25日に「大きなプレゼントが届きました」と1文だけのLINEテキストがきて、相変わらず仕事や家のことでfull of myself (自分のことだけで手一杯)だった私は、返信をしなかった。母がこういう匂わせをしてくるときは、あまりいいことじゃないことが多い。ストレートに伝えてくれるほうがよっぽどありがたいんだが…もうこういうのにも慣れた。

 

そして今朝、母より長文メール&ビデオが2つ届いた。

 

25日に父(82歳)が隠れて飲酒をして、そのままお風呂に入り、夕ご飯中(午後6時頃)意識がほぼなくなっそう。その日は大雪。救急車もなかなか来ず、受け入れてくださる病院が決まり、施術が始まったのが次の日の午前11:30だったと。診断名は脳梗塞右麻酔と構音障害。

 

母が送ってくれた2つのビデオ。病室で(父の体に管もついてる)母がろれつのあまり回らない父に「焼酎を飲んでしまった」ということを語らせている1分ぐらいの映像が2つ。この期に及んでこんなことをさせられている父のことを気の毒だと思う反面、お互いこのパータンで支え合い生きてきた2人にしかわからないこともたくさんあるだろうし、母が私に「事実を知ってほしかった」というのもよくわかるだけに色んな意味で辛い。

 

母はスマホがなかった時代から、夫の酒癖の悪さを録音機で録音したりして、私や父の姉たちに聞かせてくることがあった。それを聞かされる方は、黙り込むしかないんだけど、母はそれで少し気持ちがすっきりしたんだろう。今回の緊急事態も私にそのビデオを送りつけることで、彼女の気持ちが少しでも安定するなら、それはそれでよし。

 

82歳で隠れて飲酒をしないといけなかった父のことを思っても切ない。飲酒をした場所は、父親にとっては神聖な場所でもある仕事場だった。彼は今だに仕事命で、2年前の交通事故で腰を骨折した後も奇跡の復活を遂げ、仕事に戻った。

 

合理的で正義感の強い母。幼いころに音楽教師をしていた父親を肺の病気で亡くし、シングルマザーに育てられて高校生から自活を始めた母。戦争孤児で、こちらも甘えるところはどこにもないまま大きくなった父親。彼は地元の人たちにとって、すごく大切な場所を作り、守った人物でもある。

 

2人が出会って家族を持って、私と兄を一生懸命育ててくれた。お金だって出し惜しみすることなく、たくさん出してもらった。贅沢はしなかったけれど、やりたいと思うことは兄も私もなんでもさせてもらった(教育に関しては特に)。

 

子供を2人育ててみてはじめて、それがどんなにすごいことだったか知った。家業を営みながら地域の人たちと密に関わり、そして子育てをするなんて、どんだけがんばりやさんなのよあなた達、と思う。

 

生きていれば本当にいろんなことがある。病気や事故、悲しいこととか辛いこともいっぱいある。でもそれでも嬉しかったり楽しかったりする瞬間もたくさんあって、それを繰り返して立ち上がって、元気になって、生活を続けていってる。そのこと自体がもう奇跡なんだが。

 

母のメールの中に、父が最近口癖にしていたことが書いてあった。「みんな死んでしまった」って。そこに、彼の今の悲しみとか辛さとか、孤独が詰まっている気がして、泣けた。私も彼の中ではもう死んでいるかもしれない。父はテキストとか電話とかする人ではないので、連絡も途絶えていたし。


12月17日が父親の誕生日で、毎年手紙を書いて送っていたんだけど、今年はそれができなかった。仕事やその他のやらなきゃいけないことをこなすのに手一杯で、コロナにも感染して体調もいまいちだったから、少し落ち着いてから、と先延ばしにしてしまった。言い訳はいくらでも浮かぶけど、やらなかったことは事実。

 

やっと手紙を書いて送ったのが、父の誕生日の一ヶ月後の1月17日だった。6月にはみんなで会いに行くよ、って書いた。

 

意識ははっきりしているみたいだけれど脳梗塞右麻酔になった父。手紙が届いても、もう読めないかもしれない。

 

12月の慌ただしいころに時間をかけて、ただの職場の同僚にクリスマスカードを書いたりしてたじゃん、私…と思う。

 

自分を責めたところで誰も救われないのはわかってるんだけど、後悔先に立たず。