ピアノを弾き始めて2週間ちょっと。だいぶ指が動くようになったし、楽譜も読めるようになってきた。

 



完全に弾けるようになりたい曲は、タブレットじゃなくて印刷した楽譜がいいなと思った。幼い頃、ピアノの先生が楽譜に書き込みをしながら教えてくれたのはありがたかった記憶がある。指が突然遠くの鍵盤へ飛ぶところとか、音符がどんどん下がったり上がったりして(この表現も間違っていると思うが)、どの音かわからなくなるところに「ソ#」とか「ラ♭」とか書き込みたい。今は勘でやっているところもあるから正確にできているかわからない。音楽記号も勉強しなおしたい。

でも楽しければそれが一番いいね。

 

今日はハリウッドでオスカー受賞式がある。

映画好き夫婦のわたしたちはけっこう注目してる。

昨夜はベスト作品賞にノミネートされているけれど、まだ見ていなかった映画を見た。

 

ティモシー・シャロメがあまりにもティモシー・シャロメでワロタ。

もちろんただのイメージでしか話していないんだけど(ティモシーごめん)、俺様主義で、場を制覇したいという欲を満たすためなら手段を選ばない。家族も犠牲にして、友達も恋人も使えるものは何でも使う。場の空気を読まずに失礼なことを言う(例の「誰もバレーとかオペラには関心ない」発言)。

あつい卓球映画かと思ったら、全然違ったし。全然好きになれないキャラクターをあそこまで演じきれるのはすごいと思うけど、本人もそういう雰囲気だからなあ。

 

昨夜は現在自宅療養中のケイトも呼んで、スティーブンと息子と4人で映画鑑賞会。πの日だったからお得に買えるピザも買ってきて。よい時間だった。

退院後のケイトとは毎週会っている。経済的に自立している彼女は、リハビリ(行き来も含め)もUberの宅配サービスも問題なく使えているから、そういう実質的な面では助けは必要ないけど、こうして顔を見て過ごす時間が安否確認というか、お互い安心する。

ケイトが抱えているものは重い。そしてケイトもまた、境界線なく人を助けてしまう性分がある。自分にもそういうところがあったらよく分かる。

 

そんな今のケイトに、他州にいる腹違いの姉が「夫とうまくいっていない。別れたい。療養中のあなたを助けるからカリフォルニアでしばらく一緒に暮らしてもいい?」と言ってきたそう。私はそれを聞いて「ケイト!逃げて!」と反射的に思って、それを失礼にならないようにがんばって伝えた(家族の問題だからケイトの気持ちも尊重したいと思いながら)。

今のケイトは人を助けられる状態じゃないし、9歳のころからずっとお父さんの精神的サポーター、そして老後は介護者で今やっとそれから解放されたんだから、ここから自分のために生きてと思う。