(長文の上になんかいっぱいリンクつけてしまいました。量が多くて読みにくいです。)




韓国の国民情緒法
 

韓国は、憲法の上に国民情緒法があると言われています。

ちなみに、韓国の憲法は、(特に左派にとっては)国際条約よりも上だったりします。

ならば国民情緒法は韓国の最高法であるのか?

一応、「人類普遍の倫理道徳」、とかいう倫理道徳法が最高位にあるにはあるのですが、
 

それがたいてい濫用されて、つまるところは倫理道徳=ただの集団利己主義=韓国の国民情緒法であったりします。



人類普遍の倫理道徳=(が濫用されて)韓国の国民情緒法(集団利己主義)>>韓国憲法>>韓国の法>>国際条約>>日本の法=悪(強制連行法や慰安婦少女拉致の法)



遵法精神の上にある人類普遍の倫理道徳とその濫用

この国民情緒法、人類普遍の倫理道徳という名でパッケージされた民族集団利己主義に則る方たちを相手にすると、

「日本の当時の法律はそうであった」とか、「法に基づいて親が同意したものである」だとか、「強制連行ではなく斡旋、募集である」とか「国民総動員法」だったとか、「そういう犯罪の事例もあったというだけで法的にはそうではない」だとか、「遡及法はないという原則」だとか「完全かつ最終的に解決したはずだ」とかの、まっとうな遵法精神が、

全くもってみみっちい小手先の理屈とされるのです。物事の根幹を見ない「枝葉のこと」、「倫理のすり替え論理のすり替え」、「ごまかし」「言い訳」「正当化」「美化」「責任逃れ」、「小手先の理屈を並べて本質をすり替えているだけの悪意」のように扱われるのです。

何を取り決めても、「韓国民の合意は得たのか?」と、何度も蒸し返されてしまうのです。

しかも、「被害者が納得するまで永遠に反省と謝罪と賠償をせよ、贖罪をせよ」となるわけです。

「賠償は一度である」なんて法は通用しません。「被害者がもういいと言うまで」という情が先。




そもそも、韓国という「絶対善」が存在するためには日本というわかりやすい「悪」の存在が情緒的に(?)必要であることもあって、「日本」と言えば「擁護しても譲歩してもならない存在」であったりもしますので、日本の言い分などに耳を貸してもいけない。

 

相容れてはならない相手。日本の立場を理解してみようか、共感してみようかなんて考えは、道徳的に許されないのです。



いくら過去には自主的で合法であっても「植民地」、いくら配慮した統治であっても「最悪の統治」、いくら正当な売買での輸出であっても「収奪」、斡旋であっても「強制連行」(国民総動員法以降では「徴用」ですが、国家と認めないなら強制連行ではある)


いくら条約を結んでも、いくら合意をしても、いくら謝罪をしても、いくら経済支援をしても、


論理的にも情緒的にも、過ぎたこと過去は解決できるものではなく、妥協するしかありません。でも自尊心や利益や国民統合のために永遠に蒸し返し続けたいなら解決の道はない。



NO JAPANはなぁなぁになりましたが、あるべき倫理道徳は水面下では建材

ところで最近の韓国の若い層では日本に対する恨みも薄れています。日本でのKPOPの人気や、日本の企業を遥かに超える営業利益を出すサムソンのような大企業もあり、偉大な韓国、世界一優秀な韓国、技術力でも文化力でも一人当たりのGDPでも日本を追い越した、先進国韓国、という自己認識。特に日本に気後れしていなく、むしろ優越感を感じていたりしまして、

そんな若い世代は、上の世代からは、歴史を知らない世代、愛国精神の足りない世代、

倫理道徳をもっと学ぶべき世代、日本に対する嫌悪感や憎悪や恨みが足りない世代と見られています。


これからいろいろ勉強をし人生経験を積んで、日本の歴史的悪事について学び、「韓国人としてまっとうな倫理道徳感」に目覚めなければならないものとされています。

日本への好意は、浅はかなものである、という認識ですね。




法を根拠にした論理は無効、

倫理道徳(国民情緒)の下で日本は悪なるものなので日本の利益は全て無効

理解は禁止、共感は禁忌

「用日」だけは正当化できる
(日本旅行が楽しいとか、日本の寿司が美味しいとかは別物)


ということで、

いくら日本側が国際法だの当時の法だの日韓合意だの御託を並べても、韓国側には響かない。

韓国としては、日本のたわごとに響かされてはいけない。

そこに民族としての論理の壁と、加えて情緒の壁があるのです。

まぁ個人でも国でも、

論理も倫理も価値観も情緒も、異なるものであるならば、

その溝を埋めることはなかなか難しい。





さて、前置きがすごーく長くなりました。ここから本題、

韓国の国民情緒にアクセスできた、琴線に触れた

という事例が最近ありました。




前触れとしては、ピアニストのかてぃんこと角野隼人さん。

韓国のことを好きな人のことを、韓国人は大好きです。(それはどこの国でも誰でもそうか)

彼の訪韓youtube動画のコメントには、

「日本人は嫌いだけど」という枕詞がちらほらみられる中、「涙が出た」というコメントがたくさん上がりました。

音楽は心の琴線に触れるんだなあと。

韓国人にも、癒しが必要なんだなぁと。

特に同時期、韓国の若手でどこぞのピアノコンテストで優勝したピアニストさんと比べますと、韓国のそのピアニストはものすごく攻撃的に圧倒的に支配的に弾くことでコンテストに優勝し、韓国でもそれが絶賛されてます。それが韓国の従来の好み。

で、かてぃんさんは癒し系。

癒し系も韓国で受け入れられる素地があるのだなぁ。韓国人もそりゃぁ生きるのに疲れるだろうね。周り全部韓国人なんだもの。
 

 

 



そしたら、今年に入って、韓日歌王戦というテレビ番組が放送されたのですが、それが大反響を呼びました。

日本のオーディションを潜り抜けた勝者7名(無名歌手)が韓国で韓国側のオーディションの勝者7名と歌合戦をする企画。

そこで、日本の曲と日本の歌詞、日本の歌手が、すごく評価されたのです。

何度も再放送されるのでわたしも目にし、耳に入りました。

まず衝撃的な人気だったのが、50代の歌手、歌心りえさん。

 

 

 

 


笑ってよと歌うのに泣けてしまう、心で歌う本物の歌手だと評価されました。

 

 

 


あと、若手の住田愛子さん。太い足とちょっとお肉がはみ出たお腹、しかし元気はつらつで歌もダンスもうまい。韓国の「おじさんお兄さん」たちに、日本のアイドルの美的基準を納得させました。

 


あと東亜樹さん、歌声が美しいと。たぶん日本では(韓国でも)、この実力があっても商業性、興行性はないとみなされた歌手さんでしょう。けれども、実力でオーディションを勝ち抜いた。

日本でのオーディションは、勝者が韓国で日韓戦を行う前提で行われていたのかな?日本の80年代~2000年代のヒット歌謡で?だから番組として実力者を選んでくれたのかな?

ともかく、

日本の音楽の旋律、日本の歌詞の情緒、日本の歌手の歌唱力。

「韓国の音楽は全ての面で日本を凌駕している」と信じていた韓国人さんたちに、「韓国の歌謡界は猛省しなければならない」とまで言わしめました。

やったね。






さて、本題は、韓国の情緒法についてでした。


ここでなんと、

人類普遍の倫理道徳よりも、

もっと上の存在、もっと強いパワーワード

の存在を発見しました!!





ここのコメント欄で目を引いたのが、「天から下りてきた声」「天使の歌声」「天上界の歌」との賛辞です。




これが今回の大発見なんですよ。

思わぬところでわたしの韓国攻略テーマの進展が見えました。

もうね、論理でも、法でも、まして倫理でも、もちろん感情でも、

政治でも経済でも、産業でも、映画や歌でも、

アニメや漫画やゲームでも(この辺も韓国は食い込んでいると自己評価している)

最近はあんまり韓国からリスペクトされるもんはないなーと思ってましたが、


それを、


天上界~!!


が、すべてをかっさらっていける可能性を見せてくれました。

歌という、歌詞という、音楽という、全くの感性、全くの情緒で、多くの人に一気に、繰り返し、あらゆる面で、納得させてしまった!




お時間がありましたら、動画のコメント欄を日本語に翻訳できますので、右クリックして「日本語に翻訳」を選択してみてください。そして数百あるコメントを流し読んでみてください。面白いです。

韓国の歌手は「わたし上手でしょ?」と歌い、日本の歌手は歌って聞かせている、とか、

韓国の歌手は競演をしていて、日本の歌手は公演をしている、とか、

さすがノーベル文学賞を取った国、歌詞の深さが違う、とか、

(ノーベル賞を持ち出すのが韓国のノーベル症)

日本語が美しいと思ってしまった、とか、

心に響く、とか

涙が止まらない、とか。

多分、絶対に日本を許せないと言っていた人たちの層が、突然感情的にひっくり返っています。




この番組が大ヒットしたおかげで、続編、続々編が制作され、日本の歌手たちが韓国でロングランしているのです。

そしてラスボス、松崎しげるさん。圧倒的な歌唱力。まるで王の君臨ですわ。

 

 

 

お顔を拝見すると、お年を召されたなーと思いますけど、歌声は70代とは思えない。

で、韓国人さんの心にも、響いているらしいのですよ。

歌声も、曲も、歌詞もです。




韓国の国民情緒をガッツリと掴んだ日本の歌手たち。

なるほど、こういうアプローチがあったのか、と深く感心しました。



というか、日本語の歌をテレビに流すことは禁止されていると言うか自主規制されているというか、あり得ませんでしたので、今回このテレビ番組で、日本語の歌を日本の歌手が歌っている姿が全国放映されるのは、全くの異例だったのです。

で、大反響が来たわけですね。




結局のところ、韓日歌王戦(日韓歌合戦というところ)では、韓国の歌手が日本の歌手に勝ってるんですけれども、まあそういう番組ですからね。笑

そういう番組の姿勢についても、「この歌に30点はあり得ない」とか、「絶対に日本の歌手の方が上だったのに、韓国の放送局が恥ずかしい」とか、そういう感想が上がってました。





今回思いましたのは、

韓国の国民情緒はどうにもならない、と長年思っていたのに、

意外なところで突破できちゃうんだな、ということ。

論理が要らないところはさすが、情緒だなと。



それも、日本の言い分としての日本の情緒ではない、それは拒絶される。

天上の情緒、天使の声であるからこそであると。






ということで、結論としましては、

日本人が道を究めればいい。笑

心のきれいさ、感性の豊かさ、相手を思う気持ち、物事に打ち込む情熱、深い哲学性、文学性、
 

ともかく、心を込めて無心に、無我に、無私に、私欲なしに、利他に、いればいいんですね。

純粋に何事かに打ち込み、情熱をもって極める、喜んでもらえることを喜ぶということについては、日本人はピカイチですからね。

日本人の我が入っていると拒絶されますが、天の域まで高めればよしということでした。

 

パン屋さんであれ、寿司屋さんであれ、サッカー選手であれ、刀鍛冶であれ、歌手であれ、

それは、道を究めるものとしては、言われるまでもない。

まぁ、


日本人の我が入っていても喜ばれる国もありますし、日本人、日本製というだけで喜んでいただける相性の良い国もありますが、

韓国はおそらくハードル高いよ。

んで、認められちゃったね。

日本の歌の上手い歌手さんたち、日本で日が当たらなかった歌手さんたちが韓国で再発見されましたよ。

これは日本の歌謡界においても、いいことですよね。


なんか、突破しちゃったのだ。




あそうそう、韓国が脱落したパリ五輪のサッカーとかね、

あと、出場権も獲得できなかったネイションリーグのバレーボールとか、

そっち方面でもリスペクトされてましたね。

フィジカルの劣勢を克服して勝っていることが。

「リスペクト」。

本来、リスペクトはどの関係でも成り立ち得ますけど、韓国では条件が難しいかも。

 

(相手を見下すことで自分アゲしたい人はリスペクトの範囲は狭いです。)

(だからでしょうか、韓国はライバルをリスペクトしないんですよね。圧倒的であってこそリスペクトするようです。それはあんまりよくないリスペクトですが、日本がスポーツにおいて韓国に対して再びその地位を獲得するとはあんまり思ってませんでした。東京五輪の余韻でしょうか。というか、韓国の劇的な少子化が韓国の競技力と自信を削いで来ているかな。それでも己を知るとはいいことですよ。)

(・・・わたしとしてはリスペクトさえしてくれればいいかなって感じもあります)