さて、先日お叱りを受けた後日談です。



お姑さんの、嫁への怒りが方々へ飛び火していました。



こどもたちへも・・・・・・だんなへも・・・・・・お舅さんへも・・・・・・



一度火が付くと、燃えるものはすべて燃えてしまいます。

特に、何度も何度も燃えて炭になっても燃やし尽くせず消し尽くせない長年のくすぶりは、少しいじって新たな酸素を送ると、まためらめらと炎が立ち登るのです。



その当日、気分を害したお姑さんは、一日部屋から出てきませんでした。

飛び火の延焼にやられたお舅さんも、一日部屋から出てきませんでした(部屋は別々)。



その翌日、なぜかだんなが食用油を買ってきました。

なぜかはすぐに思い当たりました。

怒りの最中にお姑さんが、わたし達次男夫婦の居候生活をなじったのです。



お前たちがわたしに依存しているのであって、わたしがお前たちに頼っているのもなど何一つない。

家を出てゆけ。キムチも自分で漬けろ。石鹸も、食用油も、自分たちで買え。
そうすればわたしのありがたみが良く分かるだろう。




石鹸と食用油・・・・



嫁に来ていままで、石鹸は「ご贈答セット」でいただくので十分間に合ってましたが、数日前にはじめて「切らした」のです。これはわたしの不注意。

その時はお叱りはなかったのですが、「ためておいた」のでしょう。

食用油も「ご贈答セット」でいただくのと、97、8年のIMF時代に「油が高くなる」と聞いたお姑さんが、(燃料の石油のことじゃないかと思うんですが)大量に買いだめしておいたのが、今使っているもので最後の一ビンです。



今後、そういった消耗品の管理に気をつけろ、そしてわたしを大事にしなさい、と言いたいのが「出て行け」という極端な表現になるのです。



まぁ、出ていったらどれほどせいせいすることか、と本気で思っていらっしゃるのも事実です。家は静かになるし、汚れないし、心は落ち着くし・・・



すなおに食用油をひとビン買ってくるだんなは、そういった意味を読み取っているのか、それとも「買え」といわれたから、「買った」のかはわかりません。

すなおすぎて、こどもみたいで、

台所の片隅にぽつんと置かれた食用油ひとビンが、何だか可愛すぎます。





その日は、お姑さんがはじめてわたしにキムチを漬けさせました。

一番簡単な「にらのキムチ」です。

おっしゃった通りに実行されたわけですが、一日置いて頭が冷えたのか、言い過ぎたと思ったのか、いつもよりも親切です。





お舅さんといえば、朝食前にそっと家を抜け出しました。

そして、2日たった今も、戻ってきていません。

たぶん、長男の家へ行かれたのでしょう。



「こんなうるさい家に入られない」という意思表示で、これみよがしに家を出て、「戻ってきてください」といわれたときに、有利な交換条件をつけて戻るのがお舅さんの手法だそうです。




けれど、その方法はもう使えないんですよ、お義父様・・・・・・




先回の家出のときに、お義母様は方針を転換したのです。




だから先回は、お互いに絶対引かない意地の張り合いで8ヶ月もほったらかされて、しょうがないからすごすごと自分で家に戻ってこられたではないですか・・・・・・・お忘れですか?