田舎町の修理屋さん^^ | ぐ~たら爺の奮闘記(^^Ameba版

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Youtubeを見ていると、田舎の片田舎で修理専門のおじさんを見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=_tcz4Dz2KpQ
https://www.youtube.com/watch?v=BOOOSBFKmkE
 
何故感心を示したかと申しましと、爺も一端の修理屋かも知れません。九州の田舎にて高校生1年生だったかな~学校は工業高校で電子科志望し勉学に励む頃でした、その時代母親の兄であれ伯父さんから「ラジカセが動かない?診て欲しい」と言われた事で、伺ってみたらヒューズが飛んでいた、原因を追究する必要がありますが、未だレベルが低くヒューズを差し替えて修理終了扱いした事ですかね~~
 
その時伯父さんからばべた褒めされた記憶が、そこから目覚めたと言うか、自分でラジオの修理は始め出し、色んな家電品の修理と同時にテレビの修理にチャレンジ始めましたね~~
 
学校では、弱電系でしたものでテレビの組立(半田付けから)授業がクラス数名でチームを組んで進める内容でしたが、当時爺だけ1人で進めて完成させましたね~
当時、テレビの修理も初めていたもので学校でのテレビ組立も楽な授業、本来5回授業の経過で終了するのでしょうが、2回目で完成させた記憶が、後はテレビを見ていましたね~~
 
2年生の頃に原付免許を取得し、本田のスーパーカブを親父から譲り受け学校から帰宅後や土日は修理に翻弄していました。市内に電気の部品パーツ専門店もあり良く購入して修理していました。特に同じ機種のテレビを2台購入して合体させて使える1台を作り上げる事で、販売していましたよ。当時白黒テレビは5万円~でしたが、修理したテレビは8000~12000円程で販売していました。
 
高校3年の時は、田舎の電気屋さんへバイトに行き、家電品の修理を色々学びましたね~
しかしカラーテレビは難しく、メーカーに入ってカラーテレビの修理を覚えるしかないな~と思った時代でした。
 
当時、田舎で電気屋を遣りたいと思ってカラーテレビの修理をマスターすれば完璧と思った若かりし頃の爺でしたが~~何処でどう間違ったのか?人生色々ですね~(^^♪
 
何故か今はスマホやタブレットの修理を行っているのも、その名残でしょうかね~~