百田尚樹『海賊とよばれた男』は、2013年の本屋大賞受賞作。
出光興産の創業者出光佐三氏をモデルにした企業小説である。
戦前・戦中から戦後の混乱期・復興期にかけての時代。
石油を商う国岡商店の店主国岡鐵造は、社員を家族と思い、祖国の発展のために困難を厭わない筋金入りの生き方で、次々と奇跡的な出来事を引き起こしていく。
企業人のロマン心をくすぐる物語だが、出光興産によれば、史実と異なる点が多いと言う。
この小説については、私の本の冒頭に書いた。
映画の予告編を観て小説を読み始めたが、主演の岡田准一はイケメン過ぎて、五十代の主人公国岡鐵造のイメージに合わず、頭の中で配役変更して読んだという話である。
前回の『天地明察』に続き、岡田准一にケチをつけるようだが、それだけ彼が多くの映画に主演しているということでもある。
映画は2016年公開、山崎貴監督。
Amazon Prime Videoでは見放題になっていなかったので、今回はNETFLIXで観た。息子が会員なので、ファミリー・アカウントが使える。
さて、映画を観てみると、五十代、六十代の鐵造の老けメイクはすばらしく、自然に見える。
イメージの中で岡田准一を老け顔にする、私の想像力が足りなかったようだ。
映画の前半はかなり原作を忠実に再現しており、読んだ記憶を映像でたどる楽しさがある。
とくに終戦直後、国岡商店の社員たちが元海軍のタンク底に潜って石油泥をさらう仕事に、全身真っ黒になりながらも、楽しそうに取り組む場面は、読んだ当初の感動を新たにした。
映画を半分くらいまで観て、「このまま最後まで観てしまってはもったいない」と感じた。
例によって “映画を観ながら再読” しようと思い、映画を中断して、上下巻の文庫本(講談社文庫)を再び手に取った。
やはりおもしろい。
先がわかっているだけに落ち着いてじっくりと読める。
数多い登場人物(とくに国岡商店の社員たち)も、俳優の顔を思いうかべると読みやすい。
そのことは、こうした群像劇を読む際には、けっこう大きい。
最初に読んだときと違って、「これは誰だっけ?」と前のページをくり直すこともなく、物語の世界に没入できた。
国岡鐵造という人物の魅力と彼を慕う人々のドラマに、どんどん引き込まれていく。
小説後半のクライマックスである「日章丸事件」(イギリスがイランからの石油輸出を警戒する中、出光が秘かにタンカーを派遣し、石油を輸入)の山場を越え、あと数十ページとなったところで、ちょうど週末のジムで映画を観るタイミングがやってきたので、再びNETFLIXで最後まで観た。
すると、映画の後半はだいぶ物語を端折っているのがわかったが、それは仕方がない。
日章丸の決行に至るプロセスも、小説では非常に丁寧に書かれ、国際情勢の変化を踏まえて慎重に決断していくのがわかるが、映画でそれを描いたらおそらく退屈であろう。
映画は日章丸(映画では日承丸)の冒険をテンポよく展開し、イギリス艦とあわや衝突!というサスペンス感あふれる脚色も悪くない。
最初の妻ユキの秘められた思いを知る晩年のエピソードも、映画の終盤の山場として、美しく描かれている。
国岡商店が ”海賊とよばれた” 創業期、その苦楽を共にしたユキと若い店員たち。
その原点に返る臨終の場面は、胸に迫る。
よくできた映画で、企業ものというより近現代史を背景にした人間ドラマとして引き込まれ、感動できる。
企業ドラマとしてのリアリティを堪能したい向きには、もちろん小説がおススメである。