映画を観ながら小説を読む。
今回は、雫井脩介『望み』(2019角川文庫)。
映画は2020年10月劇場公開(堤幸彦監督)だが、早くもAmazon Prime Videoで観ることができた。
設計事務所を持つ建築家の石川一登(堤真一)は、隣に建つ自宅をモデルルームとして顧客を案内する。
リビングでは、元編集者の妻(石田ゆり子)が自宅で校正の仕事をしている。
息子の規士(ただし)は高校1年生、娘の雅は高校受験を目指す中学3年生である。
アイランドキッチンや吹き抜けリビングのモダンな暮らしは、絵に描いたような幸せな家族に見える。
しかし、息子が無断外泊で帰ってこないと思った矢先、息子の遊び仲間の少年が殺害され、家族の生活は一変する。
連絡のとれない息子は加害者なのか、被害者なのか。それすらわからない中で、マスコミの取材やSNSの無責任な書き込みが、家族を追い詰めていく。
1時間45分余りのうち、45分ほどを観て、ほぼ設定は出尽くしたと思い、いったん中断。
原作小説を読み始めた。
文庫本で390ページ。
読み始めると、設計士の一登は「短く刈ったあごひげをなでながら」とある。映画で堤真一はあごひげを生やしていないので、別のキャラクターで思い浮かべる。
その後、読み進める中では、その人物像になったり、堤真一になったりした。
母親のイメージは、石田ゆり子をベースに自分なりのアレンジを加えた。
読み進むが、物語はなかなか進展しない。
父親と母親それぞれの心情がかなり詳しく描写されている。
初めはそれを煩わしいと感じたが、読み続けるにつれて、これは謎解きのミステリーではなく、家族の心の葛藤を描くことが主眼の小説ではないかと気づいた。
そうしてみると、どこにでもありそうな家族が、いつでもこうなりうるという、日常幻想のもろさが浮かび上がる。
思春期の子育て経験がある読者には、他人事でなく感じれられるのではないか。
父親と母親、それぞれの思考、感情、行動の違い、そのギャップも、ありがちなこととして共感できる。
P300まで来たら新たな展開の兆しがあったので、読み進むのをやめ、映画に戻った。
映画を中断したところは、小説では、P223。
さらに80ページ近く読み進んだわけだが、映画に戻ってみると、その部分は20分ほど。
かなり細部が省略されている。
また、小説であれだけ丁寧に書き込まれている、父親、母親それぞれの内面の葛藤は、脚本では描けない。
しかし、それを表現するのが俳優の力である。ベテランの堤真一と石田ゆり子はさすがだ。
もちろん原作を読み込んで役作りをしているだろう。夫婦の行き違う会話が、ただの言い合いになっていない。
お互いに我が子を信じ、家族を思えばこそなのに、「どうしてわかってくれないのか」というつらさが、抑えた演技からひしひしと伝わってくる。
小説と比べると、家を取り巻くマスコミ陣の多さや、門柱・車へのひどいラクガキなど、映画ならではの画的な誇張が目につく反面、二人の演技が強く印象に残った。
そして、残り42分で再び映画を中断し、小説に戻る。
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