昔から気付いてはいました。
そう、そりゃもう新婚の頃から。
元々ワシは、自分が苦手としている「几帳面さ」とか「正確さ」、
あるいは、「衛生観念」「安全観念」「経済観念」といったものに優れているからこそ、
彼女を選んだのだから、当然なのです。
ワシと奥様は、かなり違う性質や特性を持った夫婦なのです。
(あちらは、ずっと”同じ”を求めるので辛そうですが)
もちろん、社会の末端構成要素たる1家族としては、
大体同じ価値観や責任感を共有していますよ。
だから、傍目には”真面目な夫婦”とか”ちゃんとした家族”とか思われてるんじゃないかな?
家事とか、親としての分担も、多少のシーソーゲームはあったにせよ、
割と早く、互いに納得できる地点に落ち着きました。
やっぱり難しいのは、夫婦の関係ですよ。
意識のベクトルが二人揃って外(子供や社会)を向いている時には、
何とか折り合いをつけることができても、
真正面からがっつり向かい合っているこの関係においては、
時にはリスペクトよりもエゴが勝ってしまうのは、
(まぁ、しょうがないよな…)と思うと同時に
(人としてまだまだなんだな…)と考えさせられてしまいます。
よく言われることですが、「親子はいつまでも血族、夫婦は結局他人」ですから。
それでも、まぁ、
小旅行・自然散策・美術館めぐりなんかを、健康維持も兼ねた趣味として共有することはできています。
・・・いや、考えてみれば、これらもベクトルは、「ある意味で共に外へ向いている」か。。。
うまくないのは、セックス、スキー、家事のやり方、衛生観念、安全基準、ペットのいる生活・・・
スキーとペットは、早々に諦めました。彼女に強要するのには無理があると思ったから。
家事は、互いの長所を生かして、奥様が掃除・洗濯・金管理/ワシが料理・デジタル系管理・修繕と分担して、
互いに不可侵とすることで何となく落ち着いている。
まぁ、衛生や安全の価値観は、やっぱ死ぬまで埋まらんでしょうね。
「100%口出ししないから、ワシの分まで好きなように処理して」
と言ってもそれも受け入れてもらえんのですから。
「自分のことは自分で(私の基準に沿って)やって。あなたの安全は安全じゃない・・・」
そう言われて、てこでも動かないのですから、仕方ないじゃないですか。。。
ワシが、納得したふりして、”善処”という果てしない努力を死ぬまで続けますよ。
奥様の理想には、はるかに及ばぬと分かっていてもね。
そして、そんな意気地なしのワシが、
やっぱり妥協も、放棄もできないのが、セックスなんだよなぁ〜!?
ここまで考察してみて、改めて思ったけど、
ないからといって、生きていけないわけじゃない。
したからといって、お腹が満たされるわけじゃない。(逆にとっても減る〜( ˊ̱˂˃ˋ̱ ))
人として、社会人として、親としての生き方・あり方には、何の関係もない。
(3人の息子を立派?に社会に送り出しました)
老夫婦にとってのセックスって、そんなものです。
しかし、「そんなもの」だからこそ、
こだわって、しがみついて、求め続けるのが、
ワシの性(さが)であり、愛なのだと思うのです。
61歳の誕生日を迎えた奥様が、
「ねぇ、もう、やめない?」と言わないのは、
ワシが、高すぎる彼女の衛生&安全基準を受け入れたように、
ワシのセックスへのこだわりを、尊重とまではいかないまでも、
奥様が認め(諦め?)、受け入れてくれているからに違いないのであります!
あぁ、次は10日後かぁ。。。
遠いなぁ。