ポエティックな退廃、を描く三時間

これみるの体力要る


1960年のフェデリコ フェリーニ作品


テーマは

人間の、どうしようもなさ」


人間は、善悪だけでは生きられないと思うんだよね

善悪を承知しながらしかし

それを超えた善悪の彼岸に行ってしまう


それが人間の醍醐味と思うんだけど


さてあらすじ

前半のアニタ エバークいるのかなあ

有名なシーン

トレビの泉に行ったときは

ここでマストロヤンニとエバークが!!

と感慨深かったです


マルチェッロ(マストロヤンニ)は作家志望だけど

うまくいかなくて

パパラッチやってお金を稼いでる






セレブを追いかけ回すから

1950年代のローマの

上流社会の腐敗を日々目の当たりにして暮らしてる




高級クラブに出入りして
大金持ちの退屈な暮らしに飽き飽きした
ブルジョワ夫人マッダレーナ
(アヌーク エーメ)ときったないラブホで
一夜を共にしたり


きれい。。。この顔になりたい。。


それに感づいた彼女が
自殺未遂したりとなかなかややこしい人生

そんな中
女優シルヴィア(アニタ エバーク)がローマを訪れ
彼女と束の間デートします

そのシーンでのいきさつで
トレビの泉です



おとこまえ。。。









シルヴィアは朝帰りして
ホテルの前で待ち構えてた彼氏に
パパラッチの見てる前で殴られて
ホテルに駆け込みます

シルヴィアのくだりは
これでおわり

つぎにスタイナーというマルチェッロの友人が
でてきます
富豪で幸せな結婚をし
かわいいこどもが2人いるスタイナーですが
人生には倦怠を感じてるぽい

人生が平和すぎて不気味だ、と

いやいや
こんなんもーマジで
文学そのもののブルジョワの退廃っすね

あとは
築500年のお城に
仲間で遊びに行って
暗闇の中で貴族のご婦人とワンナイトするとかね

あー退廃退廃


この直後自殺未遂してた恋人のエンマと
はっではでな別れ話をするんだけど
イタリアの女てのは強いわねえ〜
4時間も男を罵り続けるなんてスゲー
あんな生き方いのちいくつあっても足りない

などなどしてるうちに
ここがキモのストーリー

スタイナーが妻の留守中に
こども2人を射殺して
自分も頭を撃ち抜き自殺します






妻の顔を知ってるのはマルチェッロだけだったので
彼女をバス停に迎えに行くんだけど
かわいそうな彼女のことを
パパラッチたちは無慈悲においかけまわす

そんな稼業につくづくいやけがさしたのか。。。

最後のパートでは
マルチェッロは放蕩退廃放蕩のめくるめく有様で
いやしかし
女に馬乗りになって髪の毛掴んで枕でしばいても
マストロヤンニは男前だわあ




クズ中のクズぶりを披露するマルチェッロは
精神的に疲れ果てていますが
そこに彼を支えるひとはいません

徹夜のパーティがあけて
仲間と海岸を散歩して
大きなマンタの死体が打ち上げられてるのを
みつけます




仲間はきれいな魚だーとうれしそうに騒ぐけど
マルチェッロにとって腐りかけた魚の死体は
いまの自分の喩であるかのように映るのでした





放蕩
退廃
空疎
人間のどうしようもなさ

これがテーマなのかな??

なかなか集中力がいる映画でした

でもマストロヤンニとエバーク、エーメがすてき

そしてこの時代のローマの景色もすてきでした

イタリアも敗戦国だから

1950年代の放蕩無秩序で

ニヒリズムに満ちた空気感が

日本で言えば安部公房を思い出させた。