*新編日本古典文学全集 

 『源氏物語』を読み語りしています* 

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灯りをそばにともしているので

おんな二人の姿は丸見えだった。

源氏は目当ての人は

柱に寄り添った横向きのあのひとか、

と思って、目をまずおとめになる。


 

濃い紫の綾の単襲だろうか

なにかわからないが上に羽織って

頭の形がほっそりとしている

小柄な人が

見栄えのしない様子である。

顔は向かい合った相手の女にさえ

見えないように注意して隠している。

手つきも痩せていて、それを袖で隠している。

 


向き合うもうひとりの女は東向きに座っていて

このひとは何から何まですっかり丸見えである。


 

白い薄絹の単襲に二藍(赤みがかった青色)の

小袿のようなものをざっくりひっかけて

紅の袴の、腰紐を結んだところまで

胸をはだけて自堕落な様子である。

(「ばうぞくなるもてなしなり」)


 

色が本当に白くて、かわいらしく、

ぷちぷちと肥えて背が高く、頭の格好、

額の様子なんかも際立っていて、

目元口元も愛嬌があって、

見た目が華やかな様子で、

髪の毛もたっぷりとしていて、

毛は長くはないのだけれど、

髪の切りそろえた端の部分や、

その髪がかかる肩のあたりの様子が

すっきりきれいで、

どこを見ても見苦しいところがなく、



つまり、きれいな人であった。


 

「ものげなき姿」(たいしたことのない容姿)

と評され、その上痩せている貧相な姿が

描写される空蝉に対して、

すべてが豊かで、ある種過剰なこの女の人は

若さを対比的に強調されています。



目の前のこのひとが若い生命力と

女性性にあふれているのに対して

空蝉はもはや(まだ若いはずなのに)

女の盛りを思わせる要素がなにもない。


 

しなびた陰気臭い雰囲気美人っぽいブス、空蝉。


 

対するいまが盛りの若さあふれる女は

空蝉の義理の娘、軒端荻(のきばおぎ)と

呼ばれます。

 


さてここで気になることが。

「かしらつき」が評価されているのを見ると、

美貌の要件として頭の形、を

平安人は気にしているようです。



源氏物語絵巻を見てみると


これは東屋巻


左には女房に髪の手入れをさせる

浮舟とおぼしき女性の後ろ姿がありますが

頭の形がペン先のようです

さらに



これは横笛巻

手前左側の女房の後姿

これも頭がとんがっている

(奥で授乳しているのは雲居雁)



こんなとんがった頭ある?これどういう意味?!



と衝撃だったんですが

「かしらつき」はほっそりしているほうが

美しいとされていたらしくて

そういう美意識を写し取っているのかも知れません


次に、空蝉に向き合う若い女は

胸をはだけているとあります

顔やら手やら

極端なまでに隠すことに気を使う平安人なのに

胸は丸出し??となりますが


絵巻を見てみましょう

夕霧巻



落葉宮との文を読む夕霧の背後を取る雲居雁

こうした行動の文化史は

旦那の携帯ロックを解除する現代の妻のまで

継承されているわけですが

それはどうでもよくて

気になるのはこの時の雲居雁が

シースルー的な上着を引っ掛けていて

手の線がよく見えていますが

線を再現すると

胸の形がくっきりと描かれているのですよね



ということは、

この時代

乳房がエロスの対象ではなかった

ということが言えると思います。



頭の形、そして胸

このふたつを

徳川美術館が復元模写したもので確認すると



柏木巻(一)の女房



柏木巻(ニ)の女房



横笛巻の女房



御法巻の女房



竹河(一)の女房



竹河(ニ)の女房



橋姫巻の女房



早蕨巻の女房



宿木(ニ)の女房



東屋巻の浮舟


そして乳房を見てみましょう




クッキリですね



復元者の意向ではなく

本来このように描かれていたようです



顔を見せるのは恥ずかしいのに

おっぱいはオッケー👌

ていう文化で



何を恥とするかも

時代と文化によりけりなんですね



そして後姿で描かれているのは

女房が多い中

浮舟はヒロインクラスのはずなのに

後姿で描かれていることが

テクスト的にとても意味深だなーと思います



 

つづきます。



『源氏物語 3巻 空蝉6~美人の条件』*新編日本古典文学全集  『源氏物語』を読み語りしています* *過去の記事はテーマから遡れます*前回のお話はこちら 『源氏物語 3巻 空蝉5~顔は見せないけど…リンクameblo.jp