これは4月の記録です。
人のいない嵐山。
この日は嵐山に用があり
ついでにブラブラしました。

天龍寺の末寺慈済院です
天龍寺の総門から入ってなかほど右手にあります。
水摺弁財天をお祀りしています。
南北朝時代の創建で
いまの建物は火災の後江戸期に建てられました。
これは来福門とよばれる門で唐風です。
ホームページから。

夢窓疎石(1275-1351)が
朝鮮伝来の栴檀木に一刀三礼して彫った弁財天を
着物にも不自由していた
弟子・無極志玄に授けたところ、
志玄は栄達
弁財天のご加護によるものとして
その姿を水摺りにし広く分かった。
以来「水摺大弁財天」と呼ばれる。
弁財天の姿は、信仰篤い人のみに現れるという。
この杓いいなあ
本堂です
天井に龍
禅式でした
最近意図せずいくお寺がだいたい禅寺

つぎに
そのお隣の弘源寺です
開祖は細川持之
おかしいな
これは毘沙門堂のはずなのに
多聞天て書いてあるねん
両方いはるてことですか

本尊は拝せなかったのですが
ここで見るべきはこれです
禁門の変(1864年8月20日)の際
長州は天龍寺、弘源寺などへ逗留しました
その際
長州藩士が刀の試し切りをしたという
柱の傷跡があちらこちらに残っています
田舎者の野蛮人、ておもてしまうやんか
なにしはるんどす
ほんま京都の人は
はよ田舎にお帰りやす、て
日々祈る気持ちであったでしょう

世話になってるうちの柱切るんじゃねえよ
田布施システムて
ほんまなんかなあ。。。

この日はかんかん照りでしたよ。