秀次殿の首がおさめられた石櫃
絵巻でいえばこれにあたりましょうか
この上のやつね
かなり巨大な塚です
白壁が瑞泉寺
視界の範囲が処刑場で
一族39人が処刑されました

これは秀次の切腹場面でしょうか
時代劇の仕草はあくまで
昭和に発案された仕草なので
絵巻など見ると勉強になります
中央の男性は切腹してます
なんていうか、割とラフな姿勢
後ろの介錯、これ意外にも僧侶ですか?
介錯ていうと武士が両手で太刀をもち
ふん!と振り下ろすイメージですが
片手でやっちゃうんですかね
仕損じませんか ふあん

さらに左下のほう
木の樽がころがっています
ここに突っ込まれて大阪に運ばれるのかな

ここからは三条河原の様子です
こちらは幼い子どもを切る武士です
こどもは立って合掌しています
おそらく西向きに立っていると思われます
駆け出しているようにも見える足の構図
逃げかけた刹那の様子なのでしょうか
この武士も片手で刀を持っています
子どもの足元に落ちているものは
こどもの衣装でしょうか

死装束の女たち
秀次の死後半年ほど経過していますが
これは尼姿としての尼そぎなのか
それとも首を切りやすいように
この場で髪を切られているのかわかりません
有髪の女も多くいます
秀次死後半年ほど経過しているのに
意外に思いました
中央上にはいまも瑞泉寺に伝わる
木造の地蔵尊が安置され
引導を渡しています

処刑を待つものたちの中でも
左側の部分
ことさら畳を許されているのは
池田恒興の娘 若政所
そして菊亭晴季の娘 一の台
などでしょうか

そういえば
真田丸では
高畑淳子が自分は菊亭晴季の娘だと
嘘ついてたなー
菊亭晴季といえば今出川晴季
後陽成の右大臣
そんなおうちの娘が長野の土豪に嫁ぐとかは
ない気がする。。。
カマしたよねお母さん。。
荷車に引かれて刑場に連れられた様子
すでに尼そぎ以上の短さです
秀次には男の子が3人もいたといいます

秀次と、その子たちがもし生き延びていれば
大阪の陣の際にどれほど頼りになったか
わからないですよね

秀吉は好きなんですけど
晩年は醜態を晒し
むごいことをしました