ラジオでよくわからない評論家が原発についての「安全性」を語っていた。
繰り返し語られる「安全性」だが、この言葉の使い方には疑問を感じる。
原発について語られなければならないのは「危険性」のはずである。
安全についていえば「なければ」一番安全。
ある以上、危険なものを「どの程度安全か」という言い方で語るのは本当はおかしい。
あたかも「本来安全」であるかのごとく、暗示をかけている言葉である。
この評論家も、無頓着であるか、もしくは原発の片棒かつぎをやっている。
「安全性について検討しなければならない」ってまた言った。
この出演で、この人の一番守りたいものは何だろう?
地球や人ではないのだろうな。
こういうロジックはたくさん使われている。
「健康のためタバコの吸い過ぎには注意しましょう」
って、これも吸い過ぎなければあたかも健康によいかの印象を
無意識に与えている。
広告でのしかりでコピーを書く時、言葉のニュアンスに関してはとても気を使わなければならない。
どうも、最近のコピーの言葉使いは粗雑に思えてならない。
(僕の言うコピーは、マス広告だけではなく、フライヤーや、
ちょっとした宣伝文も含めて全般のこと)
例をあげればひきもきらないのだが、今日の話はこのへんで。