昨日頂いたコメントに「ゲームのことはもうからっきしわからない」とおっしゃっている方がいました。
「セーブ機能」とか、もうその部分から分からない。と。
そうか…と思って色々考えていたら、私なりの理解にやっとたどり着けた気がしました。
すごく嬉しい。
だから、内容に触れていく前に、私が覚えた感動を忘れてしまわないうちに書いておきたいです。
<正しくあるためならば、暴力は容認、むしろ称揚されて良いものなのだろうか>
ということについて。
今回のアイスストーリーのベースとなる世界観は、
RPGという種類のゲームからもたらされています。
RPGはロールプレイングゲームの略。
RPGでは、プレイヤーがキャラクターを操作して与えられた課題を乗り越え、成長していき、目的を達成します。大体最後に一番強いボスを倒してゲームをクリア、ということになります。
「そして再び世界に平和が訪れた」と。
私も学生の頃に、超有名な正統派?王道?シリーズ
ドラゴンクエスト
ファイナルファンタジー
クロノトリガー
聖剣伝説
などはやったことがあります。
ゲームに詳しいわけではないので、歴史についてはよくわからないですが、RPGというゲームはー
主人公が、試練を乗り越えて最終目的を達成するために冒険をすることによって、当たり前のように「殺戮を繰り返す」ものになっています。
ドラゴンクエストというゲームを例に取ると
(シリーズがたくさんあるのでそれぞれ物語は違いますのでざっくりしてますが)
・村に生まれた男の子は世界を救う勇者としての使命を担っていた。
・始めは村から出て小さな祠に、何か大事なものを取りに行く。
・その際に持っている武器は「ひのきの棒」などの粗末なもので、攻撃方法もただ棒で叩いているような感じで、周辺のモンスターも弱い。
↑
ここから次々と襲いかかる試練に立ち向かうために、どんどん強くなっていく必要があります。
強くなるためには、冒険のフィールドにいるモンスターを倒しまくり、「経験値」を得てレベルを上げるのですね。
レベルが上がると体力や早さや魔力や腕力や知性などキャラクターのいろんなステータスが上がります。
(説明が微妙すぎてRPG好きの人に怒られそうですがすみません…)
プレイしている間は一向に気づかないし、レベルが上がると単純に嬉しいのですが、よく考えてみるとこれは
「他の命を奪った事によって自分の強さに変えている」ことにほかならないわけなんですよね。
殺されたモンスターたちは登場人物の経験の糧にされるわけです。
つまり考えようによってはモンスターを喰らい続けて強くなっていく、ともとれるわけです。
<命を奪うこと=強さ>というこの図式は、よく考えると、とても恐ろしいものではないですか?
いろんな種類のRPGがありますが、こうして「終わらない殺戮を続ける」ことが基本であり、それに疑問を抱くことなく、ゲームは作られ続け、世界中でプレイされてきたわけです。
強いボスや、悲運の物語を背負った印象深いモンスターなどはプレイヤーの記憶に残ることもあるかもしれませんが、
レベル上げのためだけに存在し、次々と駆逐されていくモンスターたちは、「ザコ敵」と呼ばれます。
雑魚ですよ。可哀想ですよね。そう考えると。
RE_PRAYで語られる「私はゲームのモブですか?」というセリフを思い出してしまいますよね。
*モブとは「その他大勢のキャラクター」「特徴のないキャラクター」という意味の言葉です。
冒険をして、試練を乗り越え、目的を達成して世界を恐怖に陥れるものから救う方法は「殺す」ということしかないのだろうか?
何故世界に平和をもたらすためには、強くなって、敵を倒す、制覇する、ということが当たり前になっているのか?
ゲームの登場人物で、心優しい勇者もたくさんいるが、どうして彼らも、モンスターや敵を殺すことには一切の葛藤も躊躇もないように見えるのか?
私は RE_PRAY を何度も見ていてやっとそれに気が付きました。
そのことから、RE_PRAYがその世界観を大きく反映していると言われているRPG、「アンダーテイル」の解説やアメリカ人の開発者の方のインタビューや解説などを読みました。
開発者のトビーさんは、弱冠22歳にしてゲームを通じて世界中に熱狂的とも言えるファンを創り出したそう。(すごすぎ)
ゲーム少年で、多くのゲームに影響を受けたそうで、羽生君が好きだと言っているMother2というRPGも大好きで、アンダーテイルのゲーム内にも当該ゲームのオマージュと思われる場面もあるそう。
多くのゲームをプレイしてきたトビーさんが自分でゲームを作る時に、過去のゲームへのリスペクトもこめつつ、同時に
今までのRPGへのアンチテーゼとして「誰も殺さなくてもクリアできる」というゲームを開発したのではないだろうか、と私は思いました。
アンダーテイルは「誰も死ななくて良い優しいRPG」と呼ばれているというのです。
それでも、それはプレイヤーがゲーム内の分岐で選択をしてそうなるものであって、そうではなく殺しまくるルートもあるゲームなのですよね。
トビーさんはインタビューでこう言っていました。
*******
――本作のテーマは何になりますか?
トビー いくつかあるのですが、代表的なものだと“決意”ですね。
“決意”は英語では“Determination”と言いますが、この言葉にはいろんなニュアンスが含まれています。
ここでは“意志の力”というような意味ですが、“決断”のような意味にもなり得ます。
“ケツイ”は、運命をコントロールする力……自分の決断や望みを、現実に変える力です。
だから、とても重要な力と言えますね。これを持たない人は、世の波に押し流されてしまうでしょう。とはいえ、誤解しないでもらいたいのは、“決意”を持つことは生きる上で大事なことだけど、必ずしも善ではない、いうことです。
あまりに固すぎる決意を持った人は、たったひとりで世界の未来すら変えてしまうかもしれない……。そんな力が、果たしてよいものなのか悪いものなのか、これは誰にもわからないでしょう……?
↑出典
********
RPGを今までプレイしてきた人たちは、「進むべき道があり、そう示されていたから、ただモンスターを倒していただけだ。」と言えます。
それ以外にストーリーを進めることはできないわけですから。
倒して強くなる以外の選択肢は、ないのですから。
だけど・・
私はRE_PRAYの後半を見て何度も考えていました。
どうして祈りや希望がここで出てくるのか。
と。
そしてRPGというゲームの持ち合わせている罪とでもいうのかな?(そういうと大袈裟だけど)
にやっと気がついた気がしました。
それは
今までのRPGで見てきた、愛と正義感に溢れ、自分の大切な人や、もっと大きなもの、出身の村や、自分の国やその地域、果てはこの世界すべてを守ろうとしているとんでもない勇気がある登場人物達が、一心に希求しているのは、
「暴力の上に得る力、強さ」というものだ、ということです。
この大いなる矛盾。
そこに用意されたシナリオを進めるために、ゲームをするプレイヤーたちは、自分が無意識に暴力に加担して、そして登場人物たちを終わりのない戦いに巻き込んでいることに気づかない。
RE_PRAYが示唆しているのは、そういうものから愛とか勇気とか希望を取り返す物語なのかもしれない。
アンダーテイルというゲームの真の意味がきっとそういうものであるように。
そしてその物語というのは、今までのように誰かが準備したものをプレイヤーが受け身でプレイしていくものではなくて、「能動的に」「自ら」選択していかなくてはならない、ということなのではないか、と。
そしてー
「いつか」終わる「夢」のその「いつか」は祈りを捧げる”春よ、来い”で終わる。
私達は「見ていた夢」から現実の世界に戻ってくる。
コントローラーを握って、どんな風に命と向き合っていくべきなのか、現実世界で、どんな「YES」と「NO」を選択すべきなのか、そこには重くて大事な問いが残されている。
戦争を終わらせるために戦争をしても戦争はいつまでも終わらない。
その悲劇を私達は今ウクライナやイスラエル、ガザの状況を見て目の当たりにしている。
コロナで世界がパンデミックに陥れば、どんな命が優先されるべきか、普段は見えない社会の価値観が顕在化したりする。
誰を切り捨て誰を救うのか。その時に生き残るのは、強くて力を持つものであるべきなのか。
選択を迫られる。
「争いに終止符を打つのは、暴力と力」という価値観を、私達は疑うべきではないのか。
否、
ベストな選択ではないかも知れないが、「武力解決」は平和維持に不可欠であると多くの人は思うのではないか。
それは有史以来人類が歩んだ道そのものだ。
否、
暴力は、武力は、いつでも絶対に否定されるものなのか?
否、
力を持つ者こそ正義ということを続けていて良いのか?
相反する問いが次々に浮かんでくる。
<人間の道徳観を、一定のルールで決めることはできるのだろうか?>
羽生君は言っていました。
「答えのない問い」と。
考えるきっかけの一つであって欲しい、と。
私が私の価値観で考えたことですがー
そこまで考えがたどり着いた時に、涙がこぼれ落ちました。
そんなことを昨日の夜から今朝にかけてずっと考えていて、私は今、胸がとてもドキドキしています。
今回はここまで。
次回へ続きます。
読んでくださりありがとう。
興奮して書いたので、伝わる文章になっているか心配ですが、”その1”を又吐きそうになりながら、世に送り出したいと思います。
このブログ記事ちゃん、いってらっしゃい!
願わくば、誰かに大切に思われる記事ちゃんに、なりますように。
エコでした!
はあーそれにしても羽生君、ほんとにえらいこっちゃだよ!