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イジメられるなんて生まれて始めての経験で少し戸惑った。

でも俺の場合は何か隠されたりとか直接何かさせたわけではない

とにかくシカト、いわいる無視される事が多かった。

時折、柔道部のやつが俺の事を皆に何か言ってるのは分かった。



それは指示だったのかも知れない・・陰口だったのかも知れない。



とりあえず嫌でしょうがなかった・・・

俺は一切柔道部の奴とは喋らなくなっていった。



当然一緒にいた1軍の奴らとも喋っていない。



2年生から3年生に上がる時クラス替えがあるかどうか分からない状態だった。


もし、ないとした場合、俺は、こいつと本気で戦わなくてはって正直思った。


俺が5組のトップになってやろうと・・・・。


それからは柔道部の奴、そして柔道部とつるんでた5組の1軍の奴らとは距離をとりつつ、


へこたれる事なく今までの小学校、中学1年の時のように普段通りクラスでも笑いをとるように、


人気者になれるようにと心掛けた。



すると俺の周りには柔道部意外の1軍の奴らが徐々に集まってきた。



柔道部の奴は、1人は辛かったんだろう・・・無言で俺の側にいた。



それから壁は当然あったが、徐々に柔道部の奴とも打ち解けようと頑張った。



ただ完全に打ち解ける事はなかった。俺が何処か拒否していた部分があったから。



もう、その時は怖いって事も思わなかった。




それからは一切イジメはなくなった。



やっぱりイジメって実際存在すんだなって、やられてみて、しみじみ感じた。


イジメも本気でやめようって思ったし、人の気持ちがその時始めて分かった気がした。



そして3年生になる前、7クラスから6クラスになるという事でクラス替えをすることになった。



心の底から喜んだ!誰よりも喜んだと思う。心の中の何かが弾け飛ぶぐらい・・・



このクラスには何の良い思い出もなかったから・・・・・。




一方・・・・サッカーはと言うと・・・・2年生の時、3年生の練習に参加出来るまでになった。


3年生のAチームの試合には出れなかったが、3年生のBチームの試合にはチョクチョク出させてもらってた。


でも俺の中学サッカー人生は2年生までがピークだったかも知れない。


3年生編でとんでもない落ちっぷりがあかるみとなる‥‥。


でも2年生の時だけはサッカーが本当に生き甲斐だった。



授業中も早く部活の時間にならないかなーって思ってたし・・・・



心から笑って話せる仲間がいたから・・・・・。




2年生の時の行事は何をやっても中途半端でダラダラダラダラ皆やってたから



行事にも何の思い出もなかったし、やった記憶すら覚えてない。



林間学校といって1泊2日だか2泊3日ぐらいの旅行があったが・・・・・



何処に誰と何をしたのかすら覚えれていないほどだ。



その点ではサッカー部には相当救われたと思う。


そして・・・全くの別世界・・・ そして受験・・・と色々と人生を変えた3年生へと進む・・・・








・・・・・・第13話へ続く・・・・・・・














中学2年の時クラス替えがあった。


1年生の時はスポーツクラスという事もあり、部活の友達が多くいて楽しく生活が出来ていたと思う。


2年生の1学期の始業式前,皆ガヤガヤしていた。


2年生の教室の前に生徒名簿が大きく貼ってあった。友達と1組から順にみていった。


1、2、3組 と見ても自分の名前がない。1組、2組、3組はそこそこ楽しそうなクラスだった。


そして4組もない。4組は大人しそうなクラスで、ここはやだなーとか思っていた。


そして5組‥‥出席番号が早かった俺は直ぐに自分の名前を見つけた。


他の人はどんな人だろうと見てみると、言い方悪いが、あっきらかにつまらなそうな人ばっかりだった。


しかも1年生の時、仲良かった人はいないし、サッカー部の奴も目立たない人が1人いただけ!


小学校も皆ちがくて完全アウェーに入ったと感じがした。


小学校から中学1まではどちらかというと1軍にいた。


1軍って何??と思うかもしれないが・・・1軍にいた奴にしか分からない単語かも知れない。


とにかく目立つ奴が1軍という感じだ。しかしクラスは明らかに2軍3軍ばかり・・・


でもしょうがない!!中学はクラスで行動する事が多かったので友達を作るしかない。


無理矢理5、6人ぐらいのグループに入った。 会話もつまらないし、ゲームの話とかされても、


よくわからなかった。先生も理科のじみーな先生!!


あきらかに1年生の時のような熱いクラスではなかった。


小学校から中学1年までは、イジメというイジメはなかった。でも2年の時は、イジメがあった。


5組の中だけの1軍に柔道部の目茶苦茶、強いって噂の奴がいた。そいつを筆頭にイジメがあった。


俺も分かってはいたが、恐さからかイジメに加わってたというか何も出来なかった。


イジメられていた奴は最初バスケ部の奴だった。


シカトしたり物を隠したり、と、可哀相なのは分かってた。


でも、その柔道部の奴には逆らえなかった、もう、完全にそいつのクラスになっていたのだ。


音楽室に行くにも、体育館行くにも、そいつと行ってた・・・他のクラスを羨ましそうに見ながら・・・


2年の時なんて、部活動ぐらいだろう!!皆でワイワイ騒いでり時にギャグを飛ばしたりしていたのは・・


クラスの時は一切なかった。 不良じみた事ばかりしていた。


そうしないと、ここでは生きていけないと思ったから。


しばらくすると、イジメのターゲットは変わった。


バスケ部の奴から5組の中では1軍でもあったバレー部の奴に・・・・


バスケ部の奴は変わりにイジメるほうに回った。


バレー部の奴は今まで給食とか一緒に食べていて明るいやつだったのに



イジメが原因で暗くなり地味な奴と食べるようになった、そして完全に俺達を避けるようになってた。


柔道部の奴は益々グレードアップしていった。


それは同じ1軍グループだった俺達にもハッキリと分かるほどだった。


もう皆は薄々、付いて行けないとすら思っていた。


そして2年の2学期終わりぐらいにターゲットになったのが‥‥俺だった・・・・・・




・・・・・・第12話へ続く・・・・・・・













中学校の恋愛ってなんだったんだろう!!当然、見栄もあったと思う。


付き合うっていうネームバリュー的な何かが・・・。


もちろん、興味や関心がなかった人もいると思う。 興味、関心は、あってもイメージだけで付きあう


対象から外れてしまう人もいるかも知れない。だから、言い方悪いかもしれないが、


俺は恵まれていたんだと思う。


多分、おもしろいというイメージがついたから。ただ、それだけで・・・。


何項目か、その当時あった理想とピタリとあった人とは付き合った事はなかった。


当然、理想にピタリと、当てはまった人はいた。でも既に、そういう人には彼氏がいた。


だから、理想に、より近い人と付き合ってた気がする。


付き合うっていっても、部活帰りに一緒に帰ったりするだけだ!ただ10分ぐらいの道のりを・・・・


時には公園のベンチに座って会話も、したりしたが、それ以上の事はお互い求めようとは思わなかったし


それだけで、十分だった。


だから余計にお笑い、サッカーを頑張っていた俺がいた。そんな中学1年だった。




学校行事は、その都度燃えてた!!!前に話した、ムカデ競争を初め、体育祭、文化祭、合唱コンクール


球技祭、マラソン大会、どれもこれも、燃えてた。


小学校からのノリで体育祭とは言い慣れていなかっので、すごい楽しいんだろうな~っていうか


ワクワクした覚えがある。  


合唱コンクールなんて!!!と思っていたが、これが案外マジになるとハマル!!


鳥肌、感動が、もろに伝わってくるし、自分でも感じる!!。  


でも終わったらで終わったで、そこまで残らない!!残らないほど行事が詰まっていたように思える。


テストは、行事とは違うが・・・頭がいい奴からしたら、戦場というか見せ場だったのかも知れない。


俺のテスト期間は充電期間だった。だから勉強は出来なかった!。


算数から数学になって、計算だけは得意だったはずの俺が、数学になって数学の訳分からない


暗記的な方式が出てきた時は、もうダメなんだなと諦めた!!


でも算数出来たんだからってトライは、しようとしたが、ノートライに終わった。


何か得意な科目ないかな~って探していたら、英語を習っていたので、英語を得意科目チィックにと思っていたが


難しい和訳とか出てくると、日本人なめんなよ!!ぐらい思って諦めた!。これで勉強は全て諦めた。


体育ぐらいだと思う。がんばろうって思ったのは・・・・でもがんばろうと思うと、その体育が水泳だったり、


器械体操だったり、マラソンだったりした。運動は基本、球技以外は嫌いだった。


ただ、体育という枠組みだけで頑張った!!



そして今までとは何もかも違った中学2年へと進むのだ・・・・





・・・・・・第11話へ続く・・・・・・・

喧嘩は、よくしてた。プライドが高かった俺は、こいつには、負けないなって奴には、トコトン挑んだというか


皆からの地位を守るためにやってた。


俺と喧嘩する相手も小学校の頃の俺には勝てないなって思ってた奴も、中学校の俺には、実は勝てるんじゃ


ないかって喧嘩うってきた奴もいた。


中学で生きてくためには、喧嘩して勝たないと地位を維持出来ないような気がした。


絶対負けないって自信があって勝てそうな奴としか、してこなかった様に思える。


でも・・強そうな奴でも、ここぞっていう時は、さすがにやってた。。


それは・・勝ち、負けじゃなくて、ただやらなくちゃ、いけない相手だから。


友達の中には、見た目が強そうなだけで、喧嘩にならない人もいた。


でも・・・実際、強そうなイメージがある人は一体どんな気持ちだったんだろうか? 


喧嘩にすら、ならないので辛かったのかなって思う。相手が逃げ腰だから喧嘩の「け」の字にも、ならないのだ!!!喧嘩対象から外れて接せられていたから、


強い人からしてみれば、喧嘩って何だよ!!って思うかもしれない。


俺の周りにも当然いた。やったら絶対勝てないなっていう人が・・・でも俺は、その人たち本人が好きだから


一緒にいたいと思うのだ。でもあの頃の俺たちは、どっかで、強い、弱いで線を引いてた様な気がする。



強い奴でも当然、気が合う、合わないはある。


実際、気が合う人は、喧嘩が強いとがかなく、心が・・・ハートが強いって分かってるから仲間でいたいって思う



当然趣味が合う、話してて楽しいっていうのは大前提だが・・・。


中学2年で全く逆の奴がいて、ややっこしかった。また後に、そいつについて語ろうとする。



俺的な解釈になるが・・・サッカーが上手すぎて、尚且つ喧嘩強い奴って中学人生バラ色なんだろうなって思った


そこには、お笑いって要素は入っても、入らなくても良いような感じだった!!


小学校は、面白い=目立つ=喧嘩も強いんじゃないかが、中学では面白い=喧嘩が強いには結びつかなった


でも常に志しは強くもっていたと思ってる。思いたい。



中学の俺はギリギリな所で踏ん張っていたと思う。男の前だけだが、汚い所をみせて、笑いを誘ったり


勉強の頭はなかったが、お笑いのタイミングというか間だけは自分でも分かったというか成長


したなって思った。




さて・・・ここで・・・中学の恋愛って当時どんなんだったの?って思う人もいるかも知れないので話したいと思


う・・・・・・





・・・・・・・第10話へ続く・・・・・・・

中学校は、小学校から歩いて10分ぐらいの距離にあった。


中学校は近隣の小学校、4校からそれぞれ生徒が集まって来ていた。


入学式当日・・・小学校の頃から、いつも行っていた4人でいつもの様に集まって行った。


何が違うって、皆学ランを着ていたのだ!!


友達がいたから不安はそれほどなかったが、どこか恥ずかしさはあった。



学校へ着くと校舎の前にクラス分けの表が貼ってあった。心踊らせワクワクしてたのは、今でもはっきり覚えてる


しかし・・・俺を抜いた、いつものメンバーは3人とも3組!!俺だけ1組だった・・・。


スタートダッシュに失敗したと、一瞬、心の底から悔しがった・・・おれも3組が良かったと・・・。


1組の先生は野球部の監督で熱血体育教師!!見た瞬間氷つく程の威圧感があった。


1組は、今思うとスポーツクラスだったように感じる。男女とも運動系の部活に入る人がほとんどだったから・・。


そんなクラスでもすぐに打ち解けられた。小学校同様皆を笑わせて目立っていたと思う。



うちのクラスだけだろう~!宿題を忘れた時恐怖を感じたのは・・・。


熱血体育教師からのお熱い愛のムチが待っていたのだ!!!


宿題を忘れたものは、先生の前に行き右手を出す。そうすると、先生は机の引き出しから、


馬鹿みたいに大きなシャモジを出し、右手目がけて思いっきり叩く。


手は真っ赤に腫れ、しびれる程だった。それ以降宿題は、やろうと心に決めた!!




部活は迷わずサッカー部に入った。


サッカー部には小学校のクラブチームのメンバーが、ほぼ全員いた。


当然、上の学年には怪物もいた。


小学生の時は仲良くタメ口で喋っていた上級生にも敬語でしゃべるというのは、少し抵抗はあったが


これが中学校なんだなと当たり前のように接した。



2つ上の先輩達は、雲の上の存在に感じた。体つきは違うし、相当上手かった。サッカーのレベルが違っていた。


全国大会に出るほどの中学校だったので部活は、かなり厳しかった。



 3年生は自分の好きなサッカーパンツにゲームシャツ。


1年生の俺たちは、お揃いの紺色の短パンに上は体操服という感じだった。


そして、とどめつけは、サッカー部なのに先輩の前では足でボールを蹴ってはいけないって


いうのがルールだった。万が一、足で触った所を先輩に見られると本気で殴られた。


3年生のシュート練習なんかは、なぜ略すのか今でも不思議でしょうがないがファイトの略で


イトーと大きな声を出しながら玉拾いをする。イトーが小さい時も先輩に殴られた。



下級生でも、上手い選手は、好きなサッカーパンツを履き上級生の練習に参加できる。


2年生の怪物は練習に参加していた。すごく羨ましかったし、2年生になったら絶対


参加したいと強く思い、玉拾いをしていた。


イトーイトーと大きな声を出しながら・・・・。



一方、1年生の練習はと言うと・・・学校の隅に大きな木や雑草がいっぱい生えてる所での、通称、


林間サッカーだ。林間の中で2~3のチームに分かれて試合をやるのだ・・!!!


時には、木に頭をぶつけたり、時には根っこに足が引っかかったりと、生傷が絶えなかった。


でも、そんな林間サッカーには直ぐになれた。しかも、ボールを見ないでも徐々に感覚だけで


サッカーが出来るようになっていった。




中学校は学校行事がたくさんあった。中でも驚いた行事がクラス対抗で1年生から3年生まで


合同でやる。『ムカデ競争』 だ!!長い紐を両足にくくり付けクラス全員で


一列になってムカデのように走るタイムレースだ!!


何ムカデって!!って思うかも知れないが、やってみると案外難しいし、すごく疲れる。でもすごく楽しかった


1、2、1、2と全員が呼吸を合わせないと、まず転ぶ。


上級生は慣れてるせいか、めちゃくちゃ早い。羨ましいとは、さすがに思わなかったが、負けたくないとは思った。


放課後校庭で練習したり廊下でも1,2,1,2、と声を出してるクラスまであった。


ムカデ競争では団結力と連帯感が生まれた。1秒1秒タイムが縮まっていくに連れて成長すら感じた。


結果は下のほうでも、クラスの仲間意識は高まっていった。


でも・・・・





・・・・・第9話へ続く・・・・・






今まで・・夏は、半そで、短パン、冬は、ジャージにジャンパーの俺たちが・・スーツ姿に・・・


「おいっなんだよ!この色!!」 「ピチピチじゃない?」 「ネクタイなんて初めてだよ」 


と、どことなく緊張感はあったが、普段どおりの会話をしてた。


そして卒業式本番 胸にお揃いの花をさして、在校生、親たちに囲まれながら入場する。



まだ、ヘラヘラしてた。 でも段々と式のムードに飲まれていった。



校歌斉唱、校長先生の挨拶も終わり、とうとう卒業証書授与式!!



寒さと緊張からか普段の俺たちでは無かった。



「はいっ大きくなった甲子園に行きプロ野球選手になるのが僕の夢です」 とか



「はいっ私の将来の夢は、お花屋さんになることです」 とか



「はいっ自分の夢は総理大臣になることです」 なんて、でかい事いう奴もいた。 中には



「はいっ!修学旅行の枕なげが楽しかったです」 とか 「中学校では理科を頑張りたいです」 


なんていう、どうした?って奴もいた。  そして・・俺は・・・





「はいっ僕の将来の夢は、お笑い芸人になって、いっぱいTVに出ることです」 だった。



サッカー選手とは言えなかった・・・。自分の実力がわかったからだ。



でも、人を笑わせる事だけは自信があった。



と、いうより笑わせる事に挫折はなかったからだ!!



卒業式では泣いてる、生徒、先生、そして親なんかもいた。



さすがに俺も思い出をたどっていたら、泣きそうになったが、キャラ的に泣いちゃいけないと思い我慢した。



そして無事に卒業式も終わり、花をもらい両サイドアーケード的なものを先生、在校生が作り

そこを卒業生が通って小学校生活が終わる。



よく怒ってたいた先生は泣きながら、俺を抱きしめてくれた。



「やめろよ!!」 と、払いのけたが、実はすごく嬉しかったし卒業なんてしたくなかった。



そして、とうとう・・・未知の世界・・・中学校へと進むのだ・・・・








・・・・・第8話へ続く・・・・・


ここで、大好きなサッカーの話をじっくりしたいと思う。


プライドの高い俺、そして心の弱い俺がハッキリ分かると思う!!


池端のおばあちゃん家の前でサッカーを幼稚園の頃から始めた。


そこは幼稚園~高校生まで一貫して指導していたクラブチームだった!

ユニホームは幼稚園~高校生までずっと変わらない


そこのクラブチームでは、背番号は好きな番号を付けて良いという方針だった。

当時、流行っていた、キャプテン翼の、翼くんに強い憧れを感じていた俺は10番を付けていた。


毎週水曜日と日曜日は心からサッカーを楽しんだ。自慢に聞こえるかも知れないが


1番上手かったと思う。小学3年生まで、そこのクラブチームでやっていた。


そのクラブチーム同士の大会でもMVPを何回か取るほどだった。


それほどサッカーには自信があった。


そして4年生になって毎週日曜日に自分の通っている小学校でサッカースクールが開催しており


レベルアップの為に、そこのクラブチームにうつった。


そこは世界が違った。色々な小学校から生徒が集まってきてて、同じ小学校の人としかサッカーを


してこなかった俺には何か違く感じた。

しかしサッカーが好きな俺には、このゆえない環境だった。そして一生懸命頑張った。



そこに入って最初の大会の日、コーチからユ二ホームが渡される!皆バラバラの番号のユニホームだ!

キーパー、ディフェンス、ハーフ、フォワードの順で渡された。


俺のポジションはフォワード、攻撃する方だ!


そして俺の貰った背番号は10番!凄く嬉しかった。

頼られてる感じがした。


期待に応えたいと、たくさん点数を取った。何度も大会で優勝した。


他のクラブチームからも一目置かれる存在になるまでになった。

そして5年生の時、市に30ぐらいあるクラブチームの中から選抜チームを作るという話がきた。


うちのチームからは5名が選ばれた。その中に俺もいた。


選抜A、B振り分けられるセレクションで他チームの人と顔を合わせた。


何回か試合をした事があったので、大体の人は知っていた。


まずはコーチの判断でA、Bに分けられた。5名のうち4名はAチーム選ばれた。俺もAチームに入れた。


まずはこのメンバーで次の県大会に出場しようという事になった。


選抜チームだけの為に作ったユニホームを貰った。しかも憧れの10番だった。


しかし、レベルが全然違う。


当然相手チームも上手い選手ばかりだったが


今までのサッカーが全く通用しない、それは自分でもハッキリ分かった。


俺より下手な選手なんて誰1人いなかった。天狗になっていた俺は当然点数も取れないし、


パスすら回ってこない状況だった・・・・・。



Aチームでやったのは2試合だけだ。その後は選抜のBチームにまわされた・・・・


Bチームのユニホームを配られた時、初めて10番以外の番号を渡された。


プライドの高い俺の心をポキッと折られた様な感じがした。


なぜかその時悔しくて小学校生活では始めてだろう・・・・人前で涙したのは‥‥



その悔しさがあったから、元の小学校のクラブチームに戻った時は、たくさん点を取った。

今思うと正直、小学校のチームメイトには俺よりも下手な選手がいっぱいいた。

そこのチームでやると凄く褒められたし、頼られたし、チームメイトを完全に上から見ていたのだ。


完全に王様気分だった・・・・・サッカーから逃げていたかも知れない。


逆に‥‥


だから生き生きとサッカーがやれたんだと思う!!しかし、これ以上は上手くなることは無かった。


当然その後、2度と選抜チームには呼ばれる事はなかった。


でもサッカーを辞めたいとは1度も思わなかった。



そこのクラブチームの練習では上級生(6年生)と試合をする。上級生はレベルがはるかに違った。


何人かは怪物なんじゃないかって思う人もいた。いっつも負けてた。


しかも3ー0、4ー0!!歯がたたなかった!


「中学行ったら一緒に練習するんだろなぁ~ついて行けるかな~怖いなぁ」とも思った。



しかし6年生になると、下級生には絶対負けなかった。負けられないとも強く思った。



試合が終わると最後はコートの周りを皆で整列して走らされた!


マラソンがこれで嫌いになったかも知れない。1周300㍍ぐらいのコートを小学生の俺達に、


30周も時には50周60周も走らせるのだ!!コーチは完全に鬼かと思った。


むしろ鬼の方が優しいんじゃないかぐらい思った。




その後の人生もサッカーは続けるが、また後に話したいと思う。



そして小学校生活も残りわずかとなり卒業式の練習、


うちの小学校の卒業式は名前を呼ばれた後、大きな返事をして、


その後、自分の夢や今までの思い出を発表するのがルールだった。


その発表は本番までやらないので皆なんて言うか楽しみでしょうがなかった。


練習では歌や皆でいう台詞の練習なんかをした。



そして卒業式当日‥‥‥




‥‥‥第7話へ続く‥‥‥

大型マンションを使っての鬼ごっこ、通称エレベーターアクションだ!


10階建てぐらいのマンションで友達8人~10人での鬼ごっこ!

何が楽しいの?と言われれば何と説明して良いのか分からないが、あの頃の俺達には、


とにかくドキドキ感があった。もちろん野球やサッカーなんかもしたが、


エレベーターアクションだけは、今でも鮮明に覚えている。


その発展上で大型スーパーでのエレベーターアクションもやった事がある。


さすがに店員さんには怒られた。怒られると又違う遊びを探していた。



小学生の俺達には天国と言うかホームグラウンドにしていた場所があった。


当時、団地に住んでいて、その団地の少し先に噴水公園というのがあった。


そこは俺達だけの場所だ。そして天国だった。


駄菓子屋を筆頭に小腹がすいたらチキンカツやポテトボールが格安で食べれる肉屋さんその他にも酒屋、


本屋、美容室、そば屋、花屋などに囲まれている、商店街の前にある公園だ!!


田舎に帰ったりしない限りほぼ毎日集合していた。


小学校の学校生活では本当に怖いもの知らずだった。

まだまだ言えばきりがないが‥やらかした事は多々あった。


今となっては変態極まりない話だが、水泳の時間の着替え途中女子に裸を見せびらかして男友達から

の笑いを求めたり、他の教室で1日生活出来るか朝から試みたり、とにかくやりたい放題だった。


この頃の俺は中学校がどんな所すら想像しなかった。

サッカーを続けるぐらいしか明確な目標はなかった。




‥‥‥第6話へ続く‥‥‥

それは、両親共働きだった為1歳の頃から、池端のおばあちゃん家に預けられていた。


池端のおばあちゃんとは特に血の繋がりはない。

70歳くらいで個人で託児所を経営していたのだ!!



おばあちゃんは誰よりも優しかった。


朝早くから預けられていた為、朝ごはんは、おばあちゃん家でご馳走になっていた。


色々作ってくれた朝食の中でも、格別に美味しかったのは、


今となっては、こんなの?って思うかも知れないが、温かいミルクに焼いた食パンを付けて食べる


「おばあちゃんスペシャル」


おばあちゃんスペシャルと名付けるのは、おばあちゃんに申し訳ないが、凄くおばあちゃんの

温もりが感じられる食べ物だった。そして朝食が食べ終わったら、


おばあちゃんが幼稚園まで連れてってくれてた。


幼稚園からやっているサッカーをやらせてくれたのは、おばあちゃんのおかげだ!

おばあちゃん家の前でサッカースクールがやっていて

歩ける様になってから毎週、金網の前でサッカースクールを見ていた。


そのあかげもあってか、おばあちゃんがコーチにお願いして幼い俺をサッカースクールに入れてくれた。


そんな、おばあちゃんの事が俺は大好きだった。


そしてサッカーも大好きになった。


おばあちゃん家には小学校に上がるまで預けられた。

以後、小学校生活は常に鍵を持たされる、いわいるカギっ子だった。


小学校入ってからも頻繁におばあちゃん家へは遊びに行っていた。

そろばんもサッカーと同時に幼稚園からやっていた。

しかし、毎日練習させられていたせいか、サッカーほど好きではなかった。


むしろ嫌いな方だった。


しかし、学校の勉強は計算だけが早いのは自慢だった。

でも勉強での自慢は、お分かりのように計算だけだった。それ以外は出来ないと言うか興味すらなかった。

大事なのは遊びと優等生を演じる事だけだった。


小学校の遊びって何?どんなの?って思う人も中には、いるかも知れないので


ここで俺達の遊びを紹介したいと思う。


今となっては迷惑極まりない遊びばかりしていた‥‥



‥‥‥第5話へ続く‥‥‥

でも・・何かが違っていた。でも、その何かは分からなかった。


朝になると、学校へ行く前友達と少しゲームをやっていた。そんな繰り返しの毎日だった。



テストの点数が悪いと、そのテストは焼却炉に捨ててた。


良い点数のテストだけを、親に渡していた。


その時は、褒められた。でもすぐにバレル。


通知表を見せなくちゃいけないからだ・・・!


85点、90点、100点なんて年に数回しか取ったことが無い。


通知表を渡すタイミングばかり、見計らっていた。


どんなに親の機嫌が良いときに渡しても、正座して怒られる。しかも2時間もだ!!


時にはゲンコツ・・時にはベランダに立たされたりもした。



俺には4つ下の弟がいる。しかし弟は俺とは違い優等生だった。


弟が親に怒られているのは見たことが無い。


俺はそんな弟が大嫌いだった。


よく弟をいじめたりもした。そして又、親に怒られる。そして又いじめる。


そしてまた、親に怒られる。


こんな俺でも癒される場所があった・・・




   ・・・・第4話へ続く・・・・