2分だけでも覗いてって下さい -2ページ目

携帯電話には、とんでもない数の着信やメールが入っていたのだ。


面白かったよって言ってくれた人・・・



すごいなぁ~!と感心してくれてた人・・・



髪切った?と内容ともかく容姿を気にしてきた人・・・


すっげーよ、ドアップだったよ!!と本気で驚きを隠せなかった人・・・


文字化けしてて完全に文章化されてなかった人・・・


ラーメンは何味派?・・・と実は、こいつお笑いやりたがってるんじゃないかって奴と様々だった!


こんなに友達いたっけ?と思うぐらいの件数が来ていた。



おいっおっいおっい!!ずりーよ!!なんだよ!!と牛乳からも電話がかかってきた。


牛乳は心の底から悔しがっていた。


てか牛乳ってさーと、まだ牛乳の話題を引きずっていた。


牛乳はお留守番で正解だったかも知れない‥‥


それより夕方のアイドル番組がこんなに人気があることにもビックリした!!



そして翌日、学校へ行っても、さほど騒がれる事は無かったが当然3年生になった


俺は先輩にいじられる事がなかった事にホッとした、


その点では上級生にもなり平和な高校生活が送れていたと思う。


3年生になった頃には不良と呼ばれる奴らは、ほとんど学校を辞めて行った‥‥


うちの学校には校則っていうものがあり、他の高校よりも厳しい方だったからだ!


男女共、黒髪は当たり前、男子は耳に髪がかかったらアウト、


セーターやスクールバッグは学校指定のもの、


女子はスカート膝下が当たり前、ピアス、アクセサリーなんかはもっての他だった。


それらを1つでも破ると、当時の高校の先生達は本気で怒鳴り本気で殴ったりもしてきた。


学校を守っていく先生達も大変だったと思うが・・・・


個性を伸ばしていこうとする高校生の俺達にとっても辛いものがあった。


しかし見えない所でやるのがあの時の楽しみというか先生達への小さな抵抗だったのかも知れない。


その点では他の高校が羨ましく思った事もあった。



一方肝心なサッカー部はというと‥‥



2年生の時、ディフェンスというポジションで辛い思いをして来た経験もあってか、


ヘディングの強さだったり・・・1対1の強さ、パスの正確さという


体力、筋力、俊敏さという部分では力がついていったと思う。


ポジションも、3年生の時にはフォワードとして再び攻めるポジションについたし


背番号も5番から、3年生になって念願の10番に、


そしてゲームキャプテンとしてチームをまとめるまでに成長していけたと思う。


後は監督を全国に連れて行く事だけだった。


お笑いはひとまず休憩という形になった。それほど最後の大会にかける思いはあった。


でも力の差は上手い高校なんかと比べると歴然としていた


でもあの時の俺は練習も休む事もなく、日々汗水流して、ただひたすらボールを追いかけていった・・・


中学生の時に約束した、監督を全国に連れていく、そして自分自身の成長の為に‥‥


そして、とうとう高校生活、最後の大会が始まるのだ‥‥‥




・・・・第23話へ続く・・・・・

番組の流れは、まず司会者の挨拶からはじまるオープニング


そして今日のテーマみたいな出し物があり


その後ネタ見せ 最後にアイドルの歌で終わるというのがこの番組のスタイルだった。


俺達は‥裏でスタンバイしていた。何を喋る訳でもなく、


ただ、ひたすら人という字を書いては飲み書いては飲みを繰り返していた、


時に緊張のあまり人という字が肉という字になってみたり‥‥。


人、人参、北京原人とか訳わからない方向へも進んだりしながら・・・・。


そしてオープニングも終わり、本日のテーマも終わりに近付いた頃、


スタッフさんに誘導され幕の閉じているステージに立たされた。


そして、とうとうCMの後、幕が上がる!!


やばいやばい!!!!


懸命に人という字を書き、2人して金魚が餌を食べてるみたいな口をしながら‥‥。


端からみれば相当怪しいコンビかと思われていたに違いない。


そしてっとうとう、その時がきた‥‥CMあけ5秒前です~!!


5、4、3、2‥‥


はいっ、それでは本日は素人芸人さんによる、ネタ見せのお時間です、どうぞ!!


幕が上がると同時にステージに明かりが、ついた。


ステージが揺れるんじゃないかぐらい2人とも足が震えてた!


何せ見たことのない大きなカメラが俺らに近付いてきてるのだ!!それも、ゆ~っくりと‥‥


後ろからだったら、完全に、ワッ!!ビックリした?ってされちゃうぐらいの、ゆ~くりさだった!


でも、あの5秒コールで何かスーッと抜けた感じがした。


ネタはオーディションでやったショートコントを披露した。


上手く間をとりながら、テンションも過剰に上げず、いつも通り‥‥


自分達の世界で自分達のネタを出せたと思う。


一個一個のショートコントが終わるたびにお世辞なのか、


われんばかりの笑い声が会場中に包まれた。もう幸せすぎて胸がいっぱいだった。


蒲焼きさん太郎あけたら蒲焼きさん2枚入ってた以上に幸せだった。


今まで起きた辛い学校生活、


厳しい家系で生まれ育ったこと、


サッカーでレギュラーから外された事、


嫌だった事全て忘れさせてくれるぐらい、その時の俺は幸せだった。



辛いという字に一本線を加えれば幸せという字になる。


辛い経験がなかったら当然、幸せもやってこないと思う。


辛いと幸せは本当紙一重なんだなと肌で実感出来た瞬間だった。



以上、ドタバタでした~ドタッバタ!! どうも、ありがとうございました!!


幕が下がった。

5分という短い時間ではあったが、俺にとっては、とっても長い5分間


そして 一生忘れられない5分間になった。


そしてアイドル達の歌も終わり、番組は終わった。


打ち上げあるのかな~とかちょっと芸能人気取りもしてみたが、


ある訳がない。あるはずがなかった!!!!



しかし控室に戻るとテレビの魔力に完全に驚かされた‥‥





・・・・第22話へ続く・・・・

フジテレビで夕方やっていた、アイドルグループ番組の1コーナー!


素人芸人発掘プロジェクトという企画のオーディションだ!!


50組ぐらいの素人芸人が自慢のネタを披露し


オーディションで合格した1組だけが、その日のテレビ番組の1コーナーに出演できる・・‥


という企画だった。


事務所にも入ってない俺達にとっては、


いきなりテレビに出られるチャンスと言うことでテンションが上がっていた。


しかし‥‥当日‥‥


ドタバタの1人が‥昨日食べた牛乳が当たった‥‥ごめん行けない。と


訳分からない事を言ってきたのだ!!


なんだよ!!チャンスだろーよ!!


行けない牛乳が‥‥!!


なんだよ食べた牛乳って・・・・・!!牛乳、牛乳うるさかったので、もう牛乳は諦めた。


俺らにとっては大チャンスだったので牛乳は、お留守番という事で


俺と野球部でツッコミ担当の奴と2人で会場に行った。


会場は変な緊張感に包まれていた。


まずは、ネタ見せと題して、プロデューサ達の前でショートコント数本を披露した。


当然やってる姿を他の出演したがってる人達も観ていた。


そして、50組ぐらいの素人、全てのネタ見せが終了し、


今回番組に出演して頂くコンビを発表したいと思います。


ドキッ!ドキッ! ドキッ!!!会場が一瞬、静まり返った‥‥


今回出演して頂くコンビは‥‥‥



ドタバタの2人です‥‥。


もう頭が真っ白になった。


えっ?本当に?えっ?本当に?え~!


ドタバタのお二人には、この後、4時半からスタートする○○に出演して頂きたいと思います。


一瞬、お留守番の牛乳仕業のドッキリかと思った。


しかし、そのままテレビ局の中に俺達は連れて行かれた。


そして中に入ると、ヒッチハイクで有名になったお笑い芸人、そして、


その番組のメインアイドル達がいた。夢のようだった!!


皆さんに挨拶させて頂き、プロデューサからの番組説明を受けて


準備するために用意されていた控室で待機していた。


おっい、これ楽屋って言うんだよ!!やばくない?凄いな~!!


2人は完全に舞い上がっていた。


しかし本番に向けて時間は無かったが少しでも練習をとギリギリまでネタ合わせをした。


数分たった頃、それではこちらの方へ‥‥


とスタッフさんからの声がかかった。相方は普段ドッシリしている奴だったのに、


よしっ!手飲もう?


えっ?手飲もう?


違う違う!!足足!!


足!?人って字だろ?!!何だし足って!!


そうそう人っていう字を3回書いて飲み込もう!!


一気に??


一気に!?うんっ!!てか何だよ!!一気にって!?


もう、どっちがボケだかツッコミだかも分からないぐらいお互い緊張がピークに達していた。


心臓の音が2人ともハッキリ分かる程だった。


番組は30分ほどの短い番組で俺らの出番は、


ちょうど半分ぐらいに、いくか行かないかぐらいの時だった。


その頃の俺達には牛乳の存在すら忘れていた‥‥。



そして番組がとうとうスタートした‥‥




・・・・第21話へ続く・・・・

2年の時、同じクラスにいた奴が俺に、高校卒業したらどうする?って、ふと相談してきた。


俺もハッキリとは決めてなく、どうしようかな~‥‥と。


そんな時、お笑い芸人になろうよ?って言ってきたのだ。


ビッッックリした‥‥。高校時代、それほど目立っていない俺にお笑いを誘ってきたからだ。


良いよ‥やろう!!もう2つ返事だった。


高校でも、俺の事、面白いって言ってくれる人がいるとは思わなかったから心の底から嬉しかった。


コンビ名は、そいつが当時、玉ねぎみたいな頭をしていたので、オニオンスティックと名付けた。


と‥‥ここで問題が発生した。それは2人ともボケだったのだ。


その当時、ダブルボケなんて、テレビでも見なかったし、どうしようか悩んだ。


どちらかが、ツッコミに転向するか、このままのキャラを活かして、ダブルボケでいくか‥‥


オニオンスティックを結成して、わずか?たった!!2分で壁にぶち当たったのだ!!!

そこで!!ひらめいたのがコントだった‥‥


コント‥‥すなわち、劇みたいに演じる事によって、2人のキャラをそのまま活かすことが出来


ダブルボケでも十分通用するじゃないかと思った‥‥


そして話し合った結果、コント芸人として活動する事にした。


休み時間や放課後、短い時間ではあったが2人でネタを作って練習をしていた。


そして、そんな噂を耳にした隣のクラスの奴らが俺達もお笑いやるんだと言ってきたのだ!!


それにも又ビックリした!!


この学校‥お笑い率高いなって‥‥!!!


そして、そいつらは、ドッタンバッタンと言うコンビ名を付けていた。


ドッタンバッタンは俺らと違い、マイクを真ん中にして喋る漫才スタイルだった。


それからは4人で休み時間や放課後にネタを見せあったり、指摘しあったりしていた。



そうこう続いたある日、俺らも事務所に入った方が良いよね?という事になり、


色々調べては、都内、事務所の、オーディションへと繰り出して行った。


しかし・・・オーディション会場には、とんでもない数の人がいた。


受かる所か、その場の雰囲気に圧倒され、ネタも、まともに出来なかった。


お笑いの世界って厳しいなと始めて実感した。


しかし‥‥懲りずにオーディションを受け続けていた、ある日‥‥


俺の相方が、俺もう自信無くなったよ!車の整備士目指すわ!!って言ってきたのだ!


それにも又々ビックリした。


えっ!!車の整備士って!!!


車好きアピールも、全くなかったのに、いきなり車に目覚めたと言うのだ!!


でも玉ねぎの人生だ!好きにやらせてやろうと思い、オニオンスティックは解散した。



そしてピン芸人になりかけた俺にドッタンバッタンが3人でやらない?


って誘って来てくれた。有り難かった。


玉ねぎ解散という悲しい結末で幕を下ろしたオニオンスティックだが・・


優しい鶴の一声で3人組として続けられる事になった。


コンビ名も・・ドッタンバッタンからドタバタに変えて始動した。


しかし2人でやるのと3人でやるのでは勝手が違っていた。


3人で漫才となると難しかったのでコントに変更した。


ドタバタとして活動していっても、一向にオーディションに受かることは無かった。


そんな俺達でも3年生の時とんでもないチャンスが訪れた!!



それは‥‥




・・・・・第20話へ続く・・・・・

2年生の時にクラス替えをした。


1年生の時に嫌いだった奴とは別のクラスにもなり、


サッカー部の人も何人かいたため、1軍に入れた。


気持ちの面では2軍、3軍だったと思うが‥‥変わりたい、


あの時に戻りたいという一心で1軍に、しがみついてた。


2年のクラスの中にはバンド活動をしてる人、アニメに夢中になってる人、


がり勉チィックな人、部活に励んでる人なんかもいた、俺は部活も当然やっては、いたが


服を見ること、買う事が好きだったので、高校の人、数人で都内まで服を買いに行ったり、


フリーマーケットで物を売ったりなんかもした。


そこで、始めましての人も何人かいた。


そうこうしてる間にサッカー部以外の友達も少しずつではあったが増えていった。


でも親友と呼べる人は、まだ、いなかった。


しかし高校そのものには、まだ慣れていけなかった‥‥‥


何処かで恐さを引きずってる俺がいたから堂々と学校に行く事が出来なかった。


ふぅ~と大きく深呼吸をしながら校門を潜ってた。


ギャグを飛ばしたり、盛り上げたりなんかは当然あの頃の俺には出来なかった‥‥


でも中学校の頃の友達と遊ぶ時は、オールでカラオケに行ったり、


味の分からないタバコを吸ってみたり、まずい酒を飲んだりなんかもしてた。


でも、それが楽しかったし生きがいだった。


それが悪い事と知りながら‥‥‥。


その頃、怖かった親父は単身赴任で地方に行っていたため、完全に羽をのばしていた。


俺は母ちゃんには怒られてばっかりで、親父がいない事を良いことに母ちゃんに、


暴言ばかり吐いていた。本当、母ちゃんには迷惑ばっかりかけていたと思う。


よく見捨てないで育ててくれたとも思う。


今となってわかる事だがあの頃が俺の反抗期ってやつだったんだなって思う。



そして、サッカー部では監督から1年間ディフェンスを、やれと言われた。


今まで攻めるのが主体だった俺に守りの方へ行けと言うのだ。


戸惑いしかなかった。やった事もないし、どう動けば良いかも分からなかった‥‥


体力の消耗がディフェンス(守る方)のほうが凄かったので、大変だった。


正確なポジション名は右サイドバック。


上がったり下がったり、また上がったり、下がったり、試合中なんかは、もう訳が分からなかった。


とにかく休憩する暇なんて無い!


マークなんて今までは付かれる方だったのに、ディフェンスになってマークに付く方になった!


え?え!?誰?誰?誰に付いたら良いの!?


鬼ごっこと、かくれんぼが、ごちゃ混ぜになった感じだった。


あっみ~~つけた!!じゃ点数取られてしまうので、


みつけたっ!ぐらいのスピードで守りに行くのだ‥・・・。

そして、ヘトヘトになって見えない所でサボろうもんなら先輩からは怒られるし‥‥。


サッカーの試合ってこんなに疲れるんだっけって感じの2年生であった‥‥。



そんなある日の‥‥‥




・・・・・第19話へ続く・・・・・

試合が始まると当然授業中だから皆観ない。


が‥‥授業と授業の間にある10分休みでは皆ベランダから観ていた。


声援も相当あった。


10分休みで皆が応援している時に、たまたまも、たまたまだろう、俺が2点を取った。


声援がすごかった。10分休みの間ではミスもせず、


しかも2点も取って、キャーキャー言われたのはハッキリ覚えている。


しかし・・・10分休み以外ではミスを連発した、当然先輩にも怒られた。


パスミスは多いし身体負けもした。自分でも悔いが残る試合だった。全然ダメだった。


結果は6ー0でも俺が点を取ったのは、その10分休みに取った2点だけだった。


その翌日から一瞬サッカーが上手い一年生がいるって騒がれた。


中には俺の靴箱に手紙をいれてくる女子もいた。


でもそんな天国みたいな経験は一瞬だけだった。


試合の翌日から地獄の方が長かった。


サッカー部じゃない先輩には廊下で、すれ違いざまに、肩でドンッとわざとあたって来られたり、


校舎裏に引っ張り出されて胸ぐらを捕まれて腹を、なぐられたり、首を絞められたり


蹴られたりなんかした。しかし、顔はやってこなかった。やり方が汚かった。


それが半年以上も続いた。


クラスに帰ると3軍だったので言い出せないし・・・サッカー部の友達、


帰り道、中学校の友達にあっても  「よ~(^O^)久しぶり!!どうよ?そっちわ‥!?」


なんて普段通りの会話をしていた。


地元の友達も楽しくやっるんだろうなって思っていたと思う、だから誰一人にも相談出来なかった。


負けを認めたくはなかった。


当然プライドもあったし気持ちの面では常にトップでいたから‥‥


でも母ちゃんに1回だけ言ったことがあった。


もう学校辞めてぇなぁ‥‥なんて普段通りのトークで普段通りのトーンで・・・


しかし‥何いってんの!!!高校ぐらい卒業しないでどうするの‥‥!?


と母ちゃんには当たり前の事を当たり前の様に言われた。


そして、もう本当、ダメだと落ち込んだ時は池端のおばあちゃん家へ行った。


おばあちゃんは、いつもの場所にいつもの座布団に座り、いつものようにお茶を飲みながら


NHKのニュースを観ていた‥‥


何を相談するわけでもなく、俺も、おばあちゃんの側でおばあちゃんが作ってくれたお茶を飲み


一緒にNHKを観ていた。それだけでもう十分だった。会話が無くても幸せだった。


何を頑張ろうとかじゃなく頑張ろうって気持ちにさせてくれた。


でも先輩からの、しごきはエスカレートしていった・・・


校舎裏に呼ばれてやられる事は勿論の事・・・・


同時に、サッカー部の先輩からもスパイクやユニフォームを隠されたりなんかもした。


悔しかった・・・・・。


学校を病気と偽って休む事も多くなっていった。


もう怖かった・・・・。


中学校なら楽しく参加していた体育祭も休んだ。


そこに・・・俺の事に気づいた一人の先輩がいた。


小学校から仲良くしてくれてた先輩だ。その先輩が同じ高校にいた。


先輩は学校でもトップを張るぐらい、ケンカの強い人だった。


先輩は何かに気づいたのだろう・・・。


おれの側にいつも居てくれて他愛のない話しをして笑いが絶えなかった。


本当に涙がでるぐらいありがたかった。


そこからは、先輩達からのイビリはピタリと止まった。


開き直って喋りかけてくる奴もいた・・・。


救ってくれた先輩には今でも頭が上がらない。


先輩の様に強く、優しい人になりたいって思った。


そして先輩のお陰で普通通りの生活が送れる様になった。


1年生の時はそんな感じだった・・・・


そして複雑な気持ちのまま2年生へと進むのだ‥・・・




・・・・・第18話へ続く・・・・・

高校は色々な市から生徒が集まってきた。


入学式で初顔合わせをした時の第一印象は、


ヤンキー多いなぁ~上手くやっていけるかな~と・・心配と共に中学2年の時が頭を過ぎった。

 
みんな・・腰にベルトを巻く、いわいる腰パンだった 。


どうにか出遅れちゃいけないと、俺もみんなと同じように腰パンにしてた。


ただ流行りに便乗しただけだ。


中学校の俺だったら膝パンぐらいにして笑いを取ってた。


でも最初は、そんな事恐れ多くて出来なかった。


1年のクラスは全7クラス。俺は何故か又5組だった・・・・・。


ただ中学校から嫌だなと思ってた男が一緒のクラスだった。


なぜか、そいつだけは中学校でも合わなかった。


そして友達になるつもりも当然なかった。


しかし、そいつは中学校では目立つ事はなかったが


1軍作りに必死だったのか完全にデビューを計ろうと頑張っていた。


そして、悪仲間と目立つメンバーと集団になって、つるんでいた。


俺は、さすがにヤバい!出遅れた!!こいつに負けたと思った。


しかし、心折れる事なく、地味なグループに入った。


サッカー部は俺1人だけだった。だから尚更辛かった。


いじめられたって事は無いが、とにかくクラスで笑いを取ってたのは1軍のグループだった。


俺は、それに対して苦笑いするポジションだった。


俺のがクオリティー高いぞ!って心では思ってはいたが、それはしょうがない。


何せ3軍だったのだから‥‥


たまに1軍昇格のチャンスはあったが、そいつが来るのが分かると元の定位置に戻った。


クラスの会話なんて何を話す訳でもなく、ただ1人が辛いから淋しさのあまり一緒にいたぐらいだ。


中には、その嫌いな奴の様に高校デビューする人は大勢いたと思う。


見て、すぐわかった。こいつ頑張ってるなって‥‥


そう考えたら俺なんて相当な高校ダウンだ!!

しかし、サッカー部では1軍に、いれたと思う。自分そのものが出せた。


当然、目立つ方にも、いたし、笑いも取れるポジションだった。


そしてサッカーに力を入れるという事もあり、サッカー部は上手い選手が集まっていた。

最初30名近くいた。


市の選抜出身、有名なクラブチーム出身者、中には県選抜もいた。


しかも中学校は違うが小学校のクラブチームで一緒だった奴もいて楽しかった。


サッカー部は悪そうな奴が集まっては、いたが自然と仲間に入れた。


その点では又々サッカーに救われたと思った。


サッカーは誰よりも本気で頑張った。


そうすると・・・1年生から3年生の試合にも出られる様になった。


でも・・・身体の面では全然違った。時たま、ふっ飛ばされるぐらいのあたりがきた。


そして・・・上級生のあたりにも徐々に慣れようとしてた頃・・・・


うちの高校で市の大会が行われた。  しかも、クラスの人は授業中‥‥


そして、1年生では唯一レギュラーとして出させてもらった。


相手は、うちよりも遥かに下のレベル。


そして、この試合がきっかけで天国から地獄を味わう事になるのだ・・・・・




・・・・・・第17話へ続く・・・・・・

俺は先生にサッカーは、もうやりません‥‥

と‥‥先生から言われた高校名は普通の高校ではなかった。


男子校で、しかも工業科の専門学校だった。


提出物は出さない、テストもふざける。生活態度も悪い。こんな俺に行く高校なんてないと言うのだ。


ショックというか、逆に笑いの種になるなぐらいにしかその時思わなかった。


しかし先生の顔つき、言葉使いが真剣そのもの。


その尋常じゃないぐらいの雰囲気から恐さすら感じるほどだった。


しかし先生から言われた救いの一言が・・・・


サッカーを高校でも続けるなら、いくつか推薦がきているからどうかな??だった・・・



サッカーはもう辞めようと決意したし、サッカーにも段々興味がなくなってきてたから、


やりませんの一点張りでむきになっていた‥‥。


でも‥‥やらないとなると‥専門学校‥‥



工業科なんて興味もないし、地獄に落ちるぐらいの感覚だった。


本当に勉強しておけば良かったなと初めてその時思った。


そして、もう、2つ返事する他なかった。


はいっ、サッカー続けますっ・・と‥‥!!


小学校、中学2年生までの実績が、かわれたのだろう!!


先生から見せられた高校は、7校!だった。


えっ7校も推薦きてるんですか?


この中から選びなさい‥‥。


サッカーに救われた瞬間だった。


そのため、その7校が、どういう学校かも分からないので1校、1校 練習に参加してみた。


正直どこの高校も、そこまでレベルが高いとは思わなかった。


十分、今のレベルでもやってけそうな感じがした。


その中でも一校だけ今年度からサッカーに力を入れるという学校があった


過去にもそれなりに結果を出していた高校ではあったが、さらに力を入れるという事で、気になる学校だった。


しかし‥その当時、何処高は何々中の番長が行くんだよ‥


どこどこは荒れてるらしいよっていうのが噂でひろまっていた。


幸いにも、そこの高校の噂は聞かなかった。


そして、そこの高校のサッカー部の監督に言われた一言が、


『一緒に全国目指そう。 そのために力を貸してほしい』 だった。


その熱い眼差しと決めての一言に感動し、まだまだ実力的にも、もちろん精神的にも劣ってはいたが、


もう一度サッカーを見つめ直して基礎から頑張り高校3年間でいつしか、


この監督を全国に連れて行きたいと思った。そして俺も未知の世界に行ってみたいと強いなにかを感じた。


そして、そこの高校へ行く事を決めた。


高校へは簡単な面接だけで決まった。



そして中学校生活も残りわずか、


特に心残りはなかった。中学では色々教わったし色々経験した3年間だった。


中学の卒業式は今はどうか分からないが、あの頃の時代、学生服のボタンを女の子にあげる風習があった。


第二ボタンは何故か好きな人にあげたいって強く思っていた。


しかし第二ボタンだけ残った。


同じクラスで、しかも隣の席に座ってた子からの声を待っている自分がいた。


でも声は、かからなかった。・・・だからそのボタンは今でも大切に持っている‥‥


こればっかりは冗談だ‥‥どっかに行ってしまった・・・・・!!




そして人生の選択、言ってしまえば何もかもが1からのスタート‥‥高校へと進学するのであった‥‥‥





・・・・・第16話へ続く・・・・・・

朝練には全く出なくなった。サッカーが嫌いってわけでは無いが朝起きるのが苦手だった。


完全にダラけてたのだ。


そうなると自然にポジションを取られ完全にへこたれていた。


AチームとBチームをいききするぐらいに落ちた。


今まではレギュラー発表は当たり前の様に呼ばれていたのに、


呼ばれる事が段々なくなっていった。


しかし、たまたま近くの高校が主催していた大会で、


それも、たまたまレギュラーを張ってた人が怪我をして出番が回ってきた。


なぜか親父も母ちゃんも観に来た。親の前では恥は、かきたくないと懸命に頑張った。


そして1回戦、2回戦と勝ち進み、途中交代せずにフル出場していた。


でも親父から言われた一言は 『小学校で辞めとけば良かったな』 だった。


相当、傷ついた。親父は中学に入ったら俺をバレー部に入れたがっていたからだ。


でも、その一言で俺の心に火がついた。3回戦、4回戦も勝ち、準決勝でも勝った。


そして、あれよこれよと決勝まで進んだ。


相手は小学校の頃からよく決勝でやっていたクラブチームの人が集まってる中学だった。


当時から知っているメンバーが、ほぼ全員レギュラーとして出ていた。


1番やりたくないチームだった。


前半は0ー0 そして後半戦。


後半戦も残りわずかで、一緒のポジショだった、1個下の後輩が点を取って


1ー0で勝ち優勝した。


見たか監督ぐらい思った。


しかし俺が完全にレギュラーとして出ていたのはこの大会だけだった。


そして、また怪我した人が復帰したらAとBの境に戻った。


それでも、まだ試合に出れたから良いほうだ‥ そう・・・あの事件が起きるまでは‥‥。


その名も 「コーラ、シュワシュワ事件」 だ!


スポーツやってる人は炭酸なんて飲まないのが常識だが、俺は大のコーラ好き!!


当然うちの学校でも炭酸を飲むなんて禁止中の禁止だった。


しかし、いつもの様にコーラを飲んでいた‥‥


そして、その日は、たまたま、コーラを凍らせていった。


監督の前で休憩する時、凍らせて行ったのを忘れてしまってて、隠れて飲もうとフタを開けた途端、


炭酸出るわ出るわ‥‥!!シュワシュワ出るわ出るわ!!


焦ったってもんじゃない。頭が真っ白になった。


当然、監督にも見つかった。


それ以来Aの試合どころか試合そのものまで出れなくなっていった。


最後の大会は県大会まで行ったが、ベンチ入りするなんて、もっての他だった。


学生服を来てスタンドから応援っていうか普通の客として観ていた。


勝っても負けても、どうでも良いやぐらい思っていた。


もう高校行ったらサッカーは辞めようと決意した。



そうこうしたある日・・・・


学校の保健室の前に、あの例の高校の主催していた大会での優秀選手が貼り出されていた。


即ち、貼りだされた人は、その高校からのサッカー推薦がもられるのだ。


コーラシュワシュワ事件が起きて以来サッカーとは無縁だった俺は気にも止めなかった。


そんな時、同じクラスの女の子が、すごいねぐらいの勢いで言ってきた。


なんと俺の名前があると言うのだ!!


急いで保健室前に観に行くと5名の名前が‥その中に俺の名前も書いてあった!!


まじかよ!!えっ!!!って感じだった。運が良いとすら思ったし、ビックリした。


結局、その高校には行っていないが、とても嬉しかった。


そして高校選択の為、担任の先生との2者面談の日を迎える‥‥が‥‥





・・・・・第15話へ続く・・・・・

年生のクラスは誰の目にも分かるように、とりあえず色が違った。


2年生の時がドスのきいた茶色だとすると、3年生の時は透き通った空色だった。


2年生の最初と同じように3年生の始業式前、


3年生の各クラス前に生徒名簿が貼ってあった。


2年の時、手こずった柔道部は4組だった。


でもその柔道部も3年生の時は目立つとは掛け離れたポジションにいた記憶がある。


そして俺は2年の時と同じ5組だった。同じ5組でも全く違った。


メンバーも小学校のいつものメンバーの1人がいたし、サッカー部も6人ぐらいいた。


カッコつけて悪ぶる訳でもなく。自然と笑いがあるクラスだった。


そして何より男女の仲が良かった。


1軍2軍3軍関係なく仲良くやっていたと思う。むしろ1軍って何?という感じだった。


しかし相変わらず勉強は出来なかった。授業中は寝てるか、笑わせてるかの極端だった。


しばし職員室にも呼ばれるほどだった。


たまに怖い先生の授業になると真剣に黒板を移してた。でも移すフリだった。


書くふりして次の授業にやるお笑いをノートに書いていたのだ。


俺のノートなんて、ある意味ネタ帳だった。


たまに先生からノート提出をクラス全員要求される事があった。


その度、真面目に提出を試みるが、お笑いノート化してたので、当たり前の様に職員室へ怒られに行ってた。




しかし、なにより行事が楽しかった。文化祭ではクラスで劇をやった。


イジメをテーマにした劇だ。俺は、イジメられている子のお父さん役だった。


ほとんどのクラスが劇をやるため何処のクラスが1番おもしろいか順位を付けるという事で、


当然1番になりたいという一心で真剣に皆、役作りをして挑んだ。


観客には他のクラスの仲の良い友達も観ていた


俺は目の色変えて真剣に演技したはずなのに笑いが起きた。


さすがに演技に集中出来なかったし、台詞も飛んだ。


皆に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。当然、結果も散々だった。



でも体育祭ではクラス対抗リレーの選手として1位にもなれたし、


誰よりも大きな声を出して応援した。


そしてムカデ競争も完全にムカデそのものになってた。


そうして一気に団結力が深まっていった。


クラスの団結が深まっていくに連れて同じクラスに好きな子が出来た。


隣の席にも慣れたし、本当にクラスでは言うことないほど幸せだった。



一方サッカーの部活はというと‥‥





・・・・・・第14話へ続く・・・・・・