嶺岡西一牧を歩く② | パッションフルーツでグリーンカーテン

パッションフルーツでグリーンカーテン

パッションフルーツをメインに
珍しいツル性野菜の栽培にもチャレンジ。
夏には涼しげなグリーンカーテンがお目見え?

先日の臨地研修の続きです。





この道標をあとにして登って行くと、大きな岩があらわれました。



なぜ脚立を掛けて登っているかと申しますと、



この大岩の上にいくつもの石塔が建っているのです。





上ノ台馬頭観音と呼ばれていて、馬頭観音、牛頭観音、将軍地蔵、大日如来が鎮座。
不思議な光景です。


道を戻り、舗装道路を下り横道に入りました。
そしてまた登山。



また平らな場所に着きました。









ここは浄光院小杉寺跡。
大椙山椙福寺の別当です。
現在、麓の高照寺に安置されている十一面観音像は、いったん椙福寺よりこの寺に移されたました。



この広場には手水鉢が残されています。
この手水鉢の左奥にも小高い丘があり、



やはり平坦な場所です。
観音堂跡ではないかと.....。
また、その平坦地から少し2~3mほど下にも、この高台を囲むように作られた平らな場所がありました。
ここは大椙山中腹(標高およそ150m)、地形を上手に利用してます。


舗装道路に戻って再び下山。
麓に到着。



この橋の手前、右に入り、またまた小高い丘を登ります。



石塔があらわれました。







まさに山岳信仰の証拠。
もともと農耕民族である日本人は山を崇拝してきました。
各地に見られますよね。

じつはこの石塔の傍に、





馬頭観音がありました。
瀬渡戸馬道観音です。



しかも、その馬頭観音から下の舗装道路へと続く石で挟んだ道。
まるで参道のような.....。



文化11(1814)年との銘。
十一代将軍家斉の時代です。

八代将軍吉宗がおこなった嶺岡牧の再興着手は、享保の改革のひとつでありました。
牧再興を実現させたのが家斉です。

ちなみに1814年は戌年。
この年の出来事を調べてみたら「滝沢馬琴が南総里見八犬伝を著す」との記事。
これまた偶然ですか?


やっと麓です。
県道89号(鴨川富山線)を東へとゆっくり歩き、横道へ。



目印は浄水場の看板。
この奥こんもりとした小高い山があります。



ここは牧士である川名家の墓地がある場所(通称・墓場山)です。







ここも広くはありませんが平坦な場所で、さらに下方にいくつかの小さな平坦があります。



このあたりの墓標が牧士当時のものとのこと。


県道に戻ってさらに東へ。



この地域を大蛇のようにくねくねと流れる平久里川沿い。



川辺馬道観音があります。



嘉永7(1854)年の銘。
十三代将軍家定の時代、ペリー来航の年です。



こんな場所に馬頭観音があるなんて不思議に思いますが、当時とは地形も違うでしょうし、河川工事も行われているでしょう。
ここに座している意味があるはず。

これで研修は終了しました。



嶺岡西一牧の臨地研修を大まかにご紹介しました。

かぐやの感想。
・大椙山全体がまるで牧の様子。
・牛馬への愛情が深い。
・大椙山にある寺院や牧士に関わる場所がまるで城郭

実際、いわゆる第一線を退いた武士が住む場所は寺院の場合が多く、しかも地域の要所です。
牧士も帯刀を許されていた身分。
しかも川名家は里見氏との関わりが深い。
牧士であるとともに見張り役だった可能性があります。
大椙山は牧であるとともに山全体が城の様相だったのでは.....。

鴨川市のサテライト上方にある、その名も山の城は正木氏の城。
山中には城郭跡や牧の石積も残っています。

嶺岡は多くの山と谷が多い為、一見、戦の場合も馬飼育も不利な条件に思えますが、じつは理にかなった場所だったのではないかと。
しかも、現代まで遺跡が残っているのは嶺岡牧だけ。
こんなにも昔の状況を教えてくれる場所はほかにありません。
今に生きる私達が伝えていかねばならないと改めて思いました。

鹿毛