今日はおとなりの南房総市大井にある愛宕山大徳院の地蔵尊大祭。
毎月24火はお地蔵様の縁日。
縁日とは、神仏とのご縁があり、お祭りや供養が行われる日。
みんなみの里からわりと近いのに、いつも通りすがりしていたかぐや。
今日は取材という名の見物に。
この地区ではとても大切なお寺。
たくさんの旗が表通りにまでたてられていました。
境内へは坂をのぼる場合と、
脇から階段をのぼる手段があります。
水子地蔵様がいます。
じっくりみたら、お子ちゃま地蔵様のがかわいいのぉ~。
お母様地蔵の腕には一番ちいさなお子ちゃま地蔵様が大事にかかえられてます。
足元には二人のお子ちゃま地蔵様がいまして、
左足のお子ちゃまは頑張ってくっついてる感じ。
右足のお子ちゃまは片足が伸びちゃってて、今にも落っこちそうで必死な感じ。
かわいいと思ったのと同時に、
この世に生まれてこられなかったお子ちゃま達の姿なのかなぁと、考えさせられました。
かわいいなんて思ってごめんなさい.....。
そして、階段をのぼった左手には、
お地蔵様と、
馬頭観音がありました。
そもそも、お地蔵様は村のはずれにたっていて、村の中の人々を守っていました。
馬頭観音も、牧と村との境にたっていたとの話もあり、
どちらも境界にたって、人々を守り、その人間の為に働いた牛馬の霊を鎮めてきたのですねぇ.....。
そこには、六地蔵がいらっしゃいました。
とてもキレイなっていて、一目で大事にされているのがわかります。
この六地蔵へおりる階段のところに碑がありまして、
書かれている文字を見たら、○○村まで○○里とありました。
ほんとに境界だったんだ。
白寿延命地蔵尊と表示。
なぜかぐやがこのお寺に来たかというと、
ここには大きな石造のお地蔵様がいらっしゃるのです。
このお地蔵様を造ったのは、龍の彫刻で有名な初代後藤義光。
1872(明治5)年、当時のご住職と村人達の願いで、嶺岡山の蛇紋岩を使って製作。
高さ190㎝もある大きなお地蔵様です。
正式名称は『石造地蔵菩薩坐像』
…大きかったです.....。
となりには閻魔様も。
ちなみに、お地蔵様と閻魔様は同じだという話もありますが.....。
御前様がお出になりました。
引鏧・ほら貝の鳴り物と共にお堂へ入られ、
経をあげられました。
ほとんどの方がこの地区の方のようで、
他の地区やかぐやのような見物人は2~3人。
いかに大切にされているお地蔵様なのかわかります。
お堂でのお経が終わったあとは、
水子地蔵様にお経をあげられました。
そのあとは、境内の隅の階段を下りて、
六地蔵様にお経。
そして境内へもどられました。
ここで初めて御前様のお話を聞く事ができました。
まず、今日はとても穏やかな良い日でよかったとの話。
数年前に、雨が降らずに農作物の生育に困っていた地区の人達から経をあげるようお願いがあったそうです。
ならば、2月24日はお地蔵さまにお経をあげる日なので、その日にしたらどうかとの提案をしたそうです。
そうしたら、その24日当日は、朝から土砂降りでタイヘンだったそうです。
参りましたぁ~(苦笑).....、と話されました。
そして、お地蔵様と閻魔様の話。
お地蔵様は、この世に生きている人間の身代わりになって、大きな慈悲の心で救ってくれます。
閻魔様は、わかりやすくいうと、冥界の裁判官。
死者の罪を裁く神様。
死後にどう裁かれるかは、もちろん自分次第。
あとで色々と調べてみました。
宗教なのでとても難しいですが、簡単に言うと、
・地蔵菩薩は、お釈迦様が没したあと、弥勒仏がお出になるまでの無仏状態の中、すべての人々を救済することを委ねられた菩薩。
・その救済の際に、様々なお姿になり、人間を救う。
・そのなかで、地蔵菩薩は閻魔王に化身する。
だから、お地蔵様と閻魔様は同一ということなのですねぇ。
地区の人々の中、よそ者のかぐやは異様にめだっていたでしょう。
檀家のお世話係の方々にいろいろとご親切になりました。
それに、
瓦せんべいや、
仏手柑の飴をいただきました。
ありがとうございました。
仏手柑(ぶっしゅかん)は、インド原産の柑橘類で、
果実の形が、仏様が両手を合わせているように見えることからこの名になったとか。
(。-人-。)
こんなかぐやにも、少しはご利益があるかな?
























