いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。
エコノミライ研究所では
クルマの歴史
へのクローズアップに対しても注力していますので、
従来型内燃機関エンジン推進車両
への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。
FERRARI_512TR_1993
FERRARI_512TR_1993
FERRARI_MONDIAL_3.2_1987
ASTONMARTIN_V8_VANTAGE_VOLANTE_X-PAC_1986
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1984
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1983
MG_MIDGET_1500_1979
PORSCHE_930_TURBO_1977
そこで
エコノミライ研究所では
兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の
ベッキオバンビーノ
の紹介をさせて戴いています。
ベッキオバンビーノ2022年春バージョンのコースは、
岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に
赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して
院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、
新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、
180号線にて高梁市エリアを南下して
賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、
倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り
1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール
という内容でした。
(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「開催趣旨
大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。
岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」
(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)
また、一夜明けた
大会2日目のコースは
宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り
鷲羽山ハイランドから
倉敷美観地区まで移動
玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて
岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から
「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと
笠岡市街地を抜けて北上
宿場町として有名な矢掛町へ向かい
完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と
矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして
一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る
という行程でありました。
先回シリーズと同様
参加車両の1台ごとに撮影成功していた車両とゼッケン番号を照合して紹介する予定です。
(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「自動車王国岡山」
と呼ばれるに相応しいイベントである
ベッキオバンビーノの模様を一人でも多くの<ひと>に知って頂くため、
地域住民の一人として、できることを実践していく所存です。
今回紹介するのは、先回と同車種・同年式のフェラーリで
ゼッケン番号 68 FERRARI_512TR_1993 です。
英語版ウィキ記事がヒットしました。
(参照:ウィキペディアフェラーリ・テスタロッサ - Wikipedia)
ランボルギーニと並び、スーパーカーとして日本国中に様々な影響を与えた自動車メーカーのクルマであると確信します。
先回に引き続き、フェラーリ車の紹介となります。
今回のフェラーリは、排気量5Lの(V型)12気筒(!)エンジン搭載車
という意味です。
今回紹介するのは、’80年代後半、世界中のクルマ好きの羨望を集めた「赤いアタマ(エンジンヘッドカバーのこと)」
テスタロッサ(TestaRossa)
のリメイク版なので、「TR」が付加されていること、今更ですが初めて知りました。
テスタロッサは大変、有名なクルマですので、当然のように、ウィキ記事も日本語バージョンとして、豊富な情報が詰め込まれていますが、
(出典:ウィキペディア「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - Wikipedia)
512TRは、若干短めですので、
(出典:ウィキペディア「フェラーリ・512TR」フェラーリ・512TR - Wikipedia)
英語バージョンの記事も読み込むこととしました。
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
(2022)
「フェラーリ・512TRは、イタリアの自動車メーカーフェラーリが製造していたスポーツカーである。
概要
フェラーリ・テスタロッサを1992年モデル用に再設計し、ロサンゼルスオートショーで新型車512TRとして発表された後継モデル。「512」の「5」とは排気量5.0Lを指し「12」はV型12気筒エンジンを搭載することを意味し「TR」とはテスタロッサの略である。」
(出典:ウィキペディア「フェラーリ・512TR」フェラーリ・512TR - Wikipedia)
(2022)
「リトラクタブルヘッドライトとルーバー越しの角型テールライトなど大半のディティールはテスタロッサを踏襲するが、フロントグリルとウインカーの間には1989年発表の348のようにボディ色の桟が入れられ、ホイール径はテスタロッサの16インチから18インチに変更され、エンジン出力は428PSとなった。また分割式のフレームを一体式に改め、エンジン重心を下げ、操縦安定性に関する改良も行われており、長きに渡り造られたテスタロッサの水準を引き上げる努力も随所にみられる。フロント41%、リア59%に重量配分が改善され、計2,261台が生産された。」
(出典:ウィキペディア「フェラーリ・512TR」フェラーリ・512TR - Wikipedia)
(2021)
「ホイール
ホイール径18インチ。フロントは8J、タイヤは235 / 40ZR 18、リアは10.5J、タイヤは295/35 ZR18。フロントブレーキの直径は315mmで、リアブレーキの直径は310 mm。」
(出典:ウィキペディア「フェラーリ・512TR」フェラーリ・512TR - Wikipedia)
(2021)
「フェラーリ・テスタロッサ(タイプF110)は、フェラーリ・ベルリネッタ・ボクサーの後継車として1984年に生産を開始したフェラーリが製造した12気筒ミッドシップスポーツカーです。
ピニンファリーナが設計した車はもともと1984年から1991年まで生産され、テスタロッサの生産終了後、1992年から1996年まで生産された512 TRとF512 Mと呼ばれる2つのモデルが改訂されました。改訂されたバリエーションを含め、合計で約1万台が生産され、当時最も大量生産されたフェラーリモデルの1つとなりました。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2022)
「テスタロッサは、1984年のパリモーターショーで初披露された2ドアクーペ。テスタロッサのすべてのバージョンには、リアマウントの5速マニュアルトランスミッションが搭載されていた。
リアミッドエンジン設計(エンジンは車軸間だがキャビン後方)は、重心を車の中央に保ち、安定性を高め、コーナリング能力を向上させ、フロント40%、リア60%のスタンディング重量配分をもたらす。
オリジナルのテスタロッサは1992年モデルイヤー用に再設計され、ロサンゼルス・オートショーで512 TR(TRはTestaRossaを意味する)として、事実上全く新しい車として発表され、フロント41%、リア59%の重量配分が改善された。
F512 Mと呼ばれる別の新しい派生型は、1994年のパリモーターショーで発表された。
TRのイニシャルを落とし、イタリア語でモディフィカータを意味するM、または修正されたMを追加し、前任者のフロント42%、リア58%の重量配分改善を続けたテスタロッサの最終版であった。
F512 Mは、フラット12エンジンを搭載したフェラーリの最後の車両でした。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2022)
テスタロッサは1980年代の文化的アイコンとして認められ、1984年のテレビシリーズ『マイアミ・バイス』やセガの1986年のビデオゲーム『アウト・ラン』などのメディアによって普及した。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
「テスタロッサのルーツは、1981 512 BBiの断層にまでさかのぼります。Testarossaが修正するために考案された問題には、フロントマウントラジエーターとミッドシップ搭載エンジンの間を走る屋内配管からますます熱くなったキャビンと、荷物スペースの不足が含まれていた。これらの問題を解決するために、テスタロッサは前身よりも大きく設計されている。
例えば、幅1,976 mm (77.8 in) のテスタロッサはボクサーよりも半フィート幅だった。その結果、ホイールベースが約64 mm (2.5 in) から2,550 mm (100.4 in)に増加し、フロントフォワードオープニングフードの下のカーペット敷きの収納スペースに荷物を収容するために使用されました。
長さの増加により、キャビンの座席の後ろに余分な収納スペースが生まれました。ヘッドルームもボクサーよりも0.5インチ高いルーフラインで増加しました。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
「デザインはピニンファリーナから来ています。ピニンファリーナのデザインチームは、イアン・キャメロン、グイド・カンポリ、ディエゴ・オッティーナ、エマヌエーレ・ニコシアで構成されていました。
彼らはデザインチーフのレオナルド・フィオラヴァンティが率いており、彼は他の多くの現代的なフェラーリモデルもデザインした。デザインはニコシアによって生まれましたが、フィオラヴァンティの指導も同様に重要でした。空力の訓練を受けたフィオラヴァンティは、そのノウハウを応用してマシンのレイアウトを設定しました。
デザイナーはもともと、アメリカの安全法のために開いたままにしておくことができなかった必要なサイドインテークを最小限に抑えようとしていましたが、代わりにスタイルの声明にすることに決めました。テスタロッサにはリアスポイラーは必要なかった。Cの空力抵抗係数d=0.36はランボルギーニ・カウンタックの0.42より大幅に低かった。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2022)
「サイドインテークの1つは512 TRで、サイドマウントラジエーターにつながります。
スタイリングは曲線的なボクサーからの逸脱であり、論争を引き起こした。サイドストレークは「チーズおろし金」や「エッグスライサー」とも呼ばれ、ドアからリアフェンダーまで伸びており、いくつかの国では自動車の大きな開口部を禁止する規則に必要だった。
ベルリネッタ・ボクサーとは異なり、テスタロッサはフロントに1基のラジエーターではなく、後部のエンジンの近くにツインサイドラジエーターを備えていたため、配管が多くなくなり、キャビンがはるかに涼しくなりました。
エンジンベイを通過した後、冷却空気はエンジン蓋と尾部の通気口から出た。ストレークはまた、テスタロッサをフロントよりもリアで広くし、安定性とハンドリングを向上させました。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「新しいデザインに最後に追加されたユニークなのは、運転席側にハイマウントされたサイドビューミラーが1つありました。米国ベースの車では、ミラーは1987年モデルイヤーのより通常の配置に下げられ、ドライバーが安全に車線変更できるように助手席サイドビューミラーがすぐに加わりました。
前任者と同様に、Testarossaはダブルウィッシュボーンフロントとリアサスペンションシステムを使用しました。フェラーリは、幅10インチの合金製リアホイールを追加することでトラクションを向上させました。
テスタロッサのドライブトレインは、512 BBiの進化形でもあります。そのエンジンはほぼ同じ排気量と圧縮比を使用しましたが、512 BBiとは異なり、赤で仕上げられた4バルブシリンダーヘッドを持っていました。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「512 TRは4.9リッター(4.943 L (4,943 cc))縦置きフラット12エンジンを搭載。エンジンの各シリンダーには4つのバルブがあり、合計48個のバルブがある。
エンジンはドライサンプシステムを介して潤滑され、圧縮比は10.00:1です。これらを組み合わせることで、5,500 rpmで最大491 N⋅m (362 lb⋅ft)、6,750 rpmで315 kW (428 PS; 422 hp)の最大出力を発揮する。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2022)
「この車は0-100 km/h(62 mph)から4.8秒で加速し[27]、10.7秒で161 km/h(100 mph)まで加速することができる。それは13.2秒で(静止から)立っている4分の1マイルまたは23.4秒で立っているキロメートルを完了することができます。512 TRは毎時313.8キロ(毎時195.0マイル)の最高速度を持っています。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「1995年に燃料ホースの取り付けに関するリコールが発令された。400台以上の車が温度と環境の変動によって引き起こされたこの欠陥を持っていた。別のリコールは、2,000台以上の車両で、シートベルトが正しく機能していないパッシブ拘束システムに関連して発行されました。拘束システムが機械的または電気的に故障した場合、ラップベルトのみが乗員に安全を提供する。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2022)
「512 TRのエンジンは大幅に作り直された。ニカシルライナーが追加され、新しいエアインテークシステム、ボッシュのエンジンマネジメントシステム、より大きな吸気バルブ、改訂されたエキゾーストシステムが追加されました。より高いピーク電力に加えて、この変更により、より広い電力帯域が提供され、加速が向上しました。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「Testarossaに関する長引く苦情であったギアシフトの努力は、新しい単板クラッチ、スライドボールベアリング、ギアシフトノブの角度の改善によって緩和されました。
ブレーキシステムには、より大きなクロスドリル式フロントローターが含まれていました。より速いステアリング、ロープロファイルタイヤ、新しいショック設定により、ハンドリングが向上しました。最も重要なのは、エンジンとギアボックスの位置が再考され、重心が改善され、ハンドリングが補助され、車を運転しやすくなったことです。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「インテリアもアップデートされ、センターコンソールはダッシュボードから分割され、クライメートコントロールは再配置されました。
ピニンファリーナのピエトロ・カマルデッラは、新たに追加されたスポイラーと新しいエンジンカバーのより良い統合のために、車のボディを再設計する任務を負った。デザインは最近導入された348に沿って更新されました。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「車輪
512 TRには18インチ(457 mm)のホイールがあり、フロントは8インチ(200 mm)、リアは10.5インチ(270 mm)の幅があります。前輪のタイヤは235/40 ZR 18、リアは295/35 ZR 18。
フロントブレーキの直径は315 mm (12.40 in)、リアブレーキの直径は310 mm (12.20 in)である。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「その他の登場
512 TRは表紙と1994年のアーケードレーシングビデオゲーム「ニード・フォー・スピード」に登場している。このモデルは、2005年からForzaシリーズにも採用されています。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
(2021)
「セーラームーンシリーズの最初のアニメーション化の第1シーズンでは、架空のキャラクターNephriteがこの正確な車種で運転しているのがよく見られます。」
(出典:ウィキペディア(英語版)「フェラーリ・テスタロッサ」フェラーリ・テスタロッサ - ウィキペディア (wikipedia.org))
日々是精進
日々是修養
といった心境です。
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
長い冬が終わりを告げ
春一番の使者のごとく
全国から参集したヒストリックカーの祭典
毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつ
楽しみながら記事を書き進めています。
ゼッケンナンバー
に従って、一台、一台、紹介をしています。
次回も、どうぞお楽しみに!
所長 楊田芳樹
前のシリーズ
20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00
前のシリーズ
NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00
前のシリーズ
2021春ベッキオバンビーノ参加車両01_No02MG_PA_RACER(1934) 2021-11-03 07:00:00
2022春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
FERRARI_512TR_1993
FERRARI_512TR_1993
FERRARI_MONDIAL_3.2_1987
ASTONMARTIN_V8_VANTAGE_VOLANTE_X-PAC_1986
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1984
LAMBORGHINI_COUNTACH_LP500S_1983
MG_MIDGET_1500_1979
PORSCHE_930_TURBO_1977
TOYOTA_KE72_VAN_MARSHAL_1983
TOYOTA SPRINTER TRUENO AE86 1985
TOYOTA_COROLLA_LEVIN_AE86_1985
MAZDA_COSMO_SPORT_1970
TOYOTA_SPORTS_800_1969
DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967
HONDA_S600_1964
VOLKSWAGEN_TYPEII_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958
シボレー・シルバラード
FORD_THUNDERBIRD_1955
FORD_MODEL_T_1927
MORGAN_4/4_2010
CATERHAM_SEVEN_1973
ALFA_ROMEO_2000GTV_1973
MG-B_GHN5_1976
MG-B_1973
MASERATI_MEXICO_1969
DAIMLER_2.5L_V8_1966
LOTUS_ELAN_SR.3_FHC_1965
PORSCHE_356C_1965
PORSCHE_356C_SC95_1964
ALFA_ROMEO_GIULIETTA_SS_1961
PORSCHE_356B_SUPER90_1963
PORSCHE_356B_SUPER90_1963
PORSCHE_356B_SUPER90_1962
JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969
JAGUAR_E-TYPE_SR.1_4.2_FHC_1966
JAGUAR_E-TYPE_ROADSTER_SR.1_1962
ALFA_ROMEO_GRAND_SPORT_ZAGATO_1967
2022春ベッキオバンビーノ春参加車輌23ALFA_ROMEO_GIULIA_SPRINT
ALFA_ROMEO_GIULIETTA_SPIDER_1961
ROCHDALE_GT_1957
PORSCHE_356A_CONVERTIBLE_D_1959
PORSCHE_356_SPEEDSTER_1956
TRIUMPH_SPITFIRE_4_MK1_1963
TRIUMPH_TR2_1954
AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MKⅡ_1961
AUSTIN_HEALEY_SPRITE_MK-1_1960
MERCEDES_BENZ_190SL_1962
MG-A_1958
MG-A_1955
MG-A_1955
AUSTIN_HEALEY_1960
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_3000_MK1_1959
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_100_BN/1_1954
ARNORT_BRISTOL_1954
MG-TD_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET_A_1950
02ERMINI_GILCO_1100GP_1948
SIMCA8_SPORT_BARQUETTE1938
2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
MG-TC_1949
MERCEDES_BENZ_190SL_1957
JAGUAR_XK120_OTS_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950
ERMINI GILCO 1100GP 1948
SIMCA8 SPORT BARQUETTE 1938
MG PA RACER 1934
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
日々是精進
日々是修養
といった心境です。