2021春ベッキオバンビーノ参加車両43_FORD_THUNDERBIRD_1955 | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。

 

FORD_THUNDERBIRD_1955

 

オースティン・ヒーリー・スプライト・MK1(推定)

 

PLYMOUTH_1936

 

BMW3(2代目)2ドアセダン(推定)

 

FORD_MODEL_T_1927

 

TOYOTA_SPORTS_800_1969

 

 

エコノミライ研究所では

 

クルマの歴史

 

へのクローズアップに対しても注力していますので、

 

従来型内燃機関エンジン推進車両

 

への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。

 

そこで

 

エコノミライ研究所では

 

兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の

 

ベッキオバンビーノ

 

の紹介をさせて戴いています。

 

先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと

 

2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。

 

 

ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、

 

岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に

 

赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して

 

院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、

 

新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、

 

180号線にて高梁市エリアを南下して

 

賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、

 

倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り

 

1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール

 

という内容でした。

 

(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

 

「開催趣旨


大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。

岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」

 

(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)

 

また、一夜明けた

 

令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである

 

倉敷美観地区の模様も撮影致しました。

 

大会2日目のコースは

 

宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り

 

鷲羽山ハイランドから

 

倉敷美観地区まで移動

 

玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて

 

岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から

 

「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと

 

笠岡市街地を抜けて北上

 

宿場町として有名な矢掛町へ向かい

 

完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と

 

矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして

 

一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る

 

という行程でありました。

先回より

 

参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。

 

(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。

 

紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、

 

このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、

 

此処に、文書を残すものであります。

 

また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。

 

 

今回紹介するのは


ゼッケン番号 56 FORD_THUNDERBIRD_1955 です。

 

超大国亜米利加を象徴するような一台ですが、環境意識・経済意識・ステイタス感覚の変化の煽りを受け、2005年、11代目モデルをもって、その歴史に幕を閉じています。

 

日本語ウィキ記事もありますが、簡単な紹介にとどまっていますので、英語版の紹介も致します。

 

日本語版

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia

 

英語版

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード(初代)」フォード・サンダーバード (初代) - ウィキペディア (wikipedia.org)

 

 

「初代(1955-1957、クラシック・バーズ、リトル・バーズ)
第1世代は、1954年のデトロイト自動車ショーに登場し、1955年の初年で目標10,000台に対し、16,000台以上を販売した。

この車は標準で取り外し可能な、グラスファイバー製のハードトップを装備していた。

ファブリック製のコンバーチブルはオプション設定であった。

エンジンは292YブロックのV8で、排気口を2ピースのリア・バンパーの間に取り回していた。

1956年モデルは、スペア・タイヤが車外(トランク外側)に取り付けられ、トランクスペースが拡大した。

また、排気口はバンパー・エンドに位置が変更された。

また、車内の換気向上のため、前輪の後ろに通気口が設けられた。

また、後部の視認性向上のため、ハードトップに「ポートホール」と呼ばれる窓が無償で設定された。

また、この年、312YブロックのV8エンジンがオプション設定され、販売も1万5千台を上回った。

1957年は、過激なスタイリングに一新された。

フロントバンパーの形状変更、グリル、テイルフィンは延長されて、大型のテール・ライトが装備された。

スペア・タイヤは再び車内に収納され、垂直に収納できるように設計が成された。

エンジンは292と312が用意されていたが、312には更にチューンが施され、数台のスーパーチャージャー仕様も生産された。

この年の販売は2万1千台を越えた。

1957年型がフォードとしては最後の2シーターモデルとなり、1982年の小型スポーツカーが販売されるまで、製造されることはなかった。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia

 

「フォード・サンダーバード (初代)
フォードサンダーバードの第一世代は、1955年から1957年モデル年のためにフォードによって生産された2人乗りコンバーチブルで、1938年以来最初の2人乗りフォードです。

1953年のニューヨークモーターショーでシボレー・コルベットを展示したモトラマの展示に対応して開発された。

コルベットは、アメリカ人の間でヨーロッパのスポーツカーの人気に応えて開発されました。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia



「フォードによって「際立った個人車」と呼ばれ、この呼称は当時の自動車プレスでも使われた。

この車は1930年代のオーダーメイドのロードスターの遺産に基づいて構築されたが、主に既存のコンポーネントで構成されており、米国のマスマーケットセグメントとしてのパーソナルラグジュアリーカーの進化への第一歩を踏み出した。

サンダーバードは当時としては軽量で標準のV8エンジンを搭載していたが、スピードよりもドライバーの快適性に重点を置き、コルベットやヨーロッパのスポーツカーの直接のライバルではなかった。

サンダーバードはコルベットよりもアメリカ市場に適していることが証明され、1955年のコルベットの674台に対し、16,155台を販売した。

これは2002年に第11世代が発表されるまで、唯一の複座コンバーチブル・サンダーバードであった。

この世代のフォード・サンダーバードのデザインは、アウトウニオン1000 Spスポーツクーペの直接的なインスピレーションとなりました。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia



「1955年
フォードは1954年2月20日のデトロイトモーターショーでサンダーバードを発表した。

最初の量産車は1954年9月9日にラインを外れ、1954年10月22日に1955年モデルとして発売され、好調に販売されました。

販売開始から10日間で3,500件の注文がありました。計画されたのはわずか10,000台であったが、1955年には16,155台が販売され、表示小売価格は2,944米ドル(2021年は29,780ドル)であった。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia



「サンダーバードにはフェンダースカートと取り外し可能なグラスファイバートップが標準装備され、ファブリックコンバーチブルトップが一般的に指定されたオプションとして付属していました。

エンジンはフォードの292立方インチOHV 292 YブロックV8で、18 mpg-US (13 L/100 km; 22 mpg-imp)を獲得した。

排気管は、リアバンパーにボルトで固定されたツインバンパーガードを通って出ていました。

この車は、既存のシャーシとサスペンションの設計と既製のフォードの機械部品を使用しました。

ボディオンフレーム技術を使用して構築され、フォードの標準デザインをコルベットと同じ102インチホイールベースにカットダウンしました。

エンジンはFordomaticのオートマチックまたはマニュアルのオーバードライブトランスミッションと組み合わされ、4ウェイパワードシートとプッシュボタンのインテリアドアハンドルが特徴であった。

他のユニークな特徴は伸縮式ステアリングホイールとタコメーターであった。

当時としては珍しい国産2シーターで、スポーツカーではなく、活気ある高級ツアラーとして設計されており、注文されたトランスミッションに応じて100〜115 mph(161〜185 km / h)の速度を達成することができました。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia



「1956年
1956年モデルでは、トランクスペースが増設され、スペアホイールが外側に取り付けられ(トランクスペースを解放するのに役立ち)、排気口がバンパーの端に移動し、キャビンの換気を改善するために前輪の後ろに通気孔が追加された。

取り外し可能なハードトップを装着して後方視界を改善するため、「ポートホール」ウィンドウが無償オプションとして利用可能でした。

オプションとして312 cu in (5.1 L) のYブロックV8が追加された。1956年の生産台数は15,631台で、2人乗りサンダーバードの3モデル年の中で最も低かった。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia



「1957年
1957年モデルでは、フロントバンパーの形状が変更され、グリルとテールフィンが大型化され、より大きなテールライトが取り付けられました。

スペアホイールはトランクの内側に戻り、トランクは垂直に取り付けることができるように再設計されました。

サイドの「サンダーバード」の文字がフィンからフロントフェンダーに移動されました。

新しいオプションは「Dial-o-Matic」4ウェイパワーシートで、イグニッションをオフにすると後方に移動し、出入り口を容易にします。

標準の292エンジンとオプションの312エンジンに加えて、312の高性能バージョンが提供され、400 rpmで300 hp (304 PS; 224 kW)、最大トルクは2,600 rpmで300 hp (304 PS; 224 kW)の遠心スーパーチャージャーを2基搭載した。

1957年の販売台数は21,380台で、1958年モデルが遅れたため3ヶ月の生産が延長された。

1957年のサンダーバードは、1982年のフォードEXPスポーツコンパクトカーまで販売された最後の2シーターでした。」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia



「生産合計
年     生産
1955    16,155
1956    15,631
1957    21,380
トータル    53,166」

(出典:ウィキペディア「フォード・サンダーバード」フォード・サンダーバード - Wikipedia

 

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。

 

日々是精進

 

日々是修養

 

といった心境です。

 

 

 

毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも

 

楽しみながら記事を書き進めたいと思います。

 

次回も、どうぞお楽しみに!

 

 

所長 楊田芳樹

 

前のシリーズ

20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00

 

前のシリーズ

NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00

 

 

2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

 

FORD_THUNDERBIRD_1955

 

オースティン・ヒーリー・スプライト・MK1(推定)

 

PLYMOUTH_1936

 

BMW3(2代目)2ドアセダン(推定)

 

FORD_MODEL_T_1927

 

TOYOTA_SPORTS_800_1969

 

ポルシェ・911(初代)901型(推定)

 

FORD_MUSTANG_289GT_FASTBACK_1966

 

DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967

 

CATERHAM_SEVEN_1973

 

FIAT_X_1/9_1980

 

PORSCHE_930_TURBO_1977

 

VOLKS_WAGEN_TYPE_II_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958

 

MERCEDES_BENZ_W115_240D_1975

 

MERCEDES_BENZ_280SL_1969

 

LANCIA_STRATOS_1974

 

AlfaRomeo_SPIDER_2000VELOCE_1973

 

ALPINE_A110_1300VC_1972

 

FERRARI_365_GTC/4_1972

 

FIAT_ABARTH_131_RALLY_1976

 

FIAT_DINO_SPIDER_2400_1970

 

FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA_1967

 

FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963

 

JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969

 

JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962

 

PORSCHE_912_1969

 

PORSCHE_356B_ROADSTER_1960

 

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

LOTUS_SEVEN_SR.1_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956

 

AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954

 

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

ERMINI GILCO 1100GP    1948

SIMCA8 SPORT BARQUETTE    1938

 

MG PA RACER    1934