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オースティン・ヒーリー・スプライト・MK1(推定)
PLYMOUTH_1936
BMW3(2代目)2ドアセダン(推定)
FORD_MODEL_T_1927
TOYOTA_SPORTS_800_1969
ポルシェ・911(初代)901型(推定)
エコノミライ研究所では
クルマの歴史
へのクローズアップに対しても注力していますので、
従来型内燃機関エンジン推進車両
への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。
そこで
エコノミライ研究所では
兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の
ベッキオバンビーノ
の紹介をさせて戴いています。
先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと
2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。
ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、
岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に
赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して
院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、
新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、
180号線にて高梁市エリアを南下して
賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、
倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り
1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール
という内容でした。
(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
「開催趣旨
大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。
岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」
(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)
また、一夜明けた
令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである
倉敷美観地区の模様も撮影致しました。
大会2日目のコースは
宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り
鷲羽山ハイランドから
倉敷美観地区まで移動
玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて
岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から
「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと
笠岡市街地を抜けて北上
宿場町として有名な矢掛町へ向かい
完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と
矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして
一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る
という行程でありました。
先回より
参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。
(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)
ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。
紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、
このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、
此処に、文書を残すものであります。
また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。
今回紹介するのは
ゼッケン番号 55 オースティン・ヒーリー・スプライト・MK1(推定) です。
エントリーリストには、キャデラックが記載されていましたが、実車は青い2シーター。大きさも小さいことから、英国車か伊太利亜車かという当たりを付けてネットサーフしていましたが、恐らくは、スプライトMK1だと思われます。
英語版ウィキ記事がありました。
(出典:ウィキペディア「オースティン・ヒーリー・スプライト」オースティン・ヒーリー・スプライト - ウィキペディア (wikipedia.org))
「オースティン・ヒーリー・スプライト(Austin-Healey Sprite)は、1958年から1971年までイギリスで生産された小型のオープンスポーツカーである。
スプライトは、その年のモナコGPの2日後の1958年5月20日にブリティッシュ・モーター・コーポレーションによってモンテカルロのプレスに発表された。
「チャップが自転車置き場に保管できる」低コストモデルでありながら、戦前のオースティン・セブンのスポーツ版の後継者となることを意図していた。
スプライトはドナルド・ヒーリー・モーター・カンパニーによって設計され、生産はアビンドンのMG工場で行われた。
当初は669ポンドの価格で販売され、チューニングされたバージョンのオースティンAシリーズエンジンと、コストを抑えるために既存の車の他の多くのコンポーネントを使用しました。」
(出典:ウィキペディア「オースティン・ヒーリー・スプライト」オースティン・ヒーリー・スプライト - ウィキペディア (wikipedia.org))
「1961年にMk.IIスプライトが発売されると、バッジエンジニアリングされたMGバージョンであるミゼットが加わり、1920年代後半から1950年代半ばにかけてMGが使用していたモデル名を復活させました。
愛好家はしばしばこれらの後のスプライトとミゼットを総称して「スプリッジ」と呼びます。
MGバッジを付けたこの車は、オースティン・ヒーリー・ブランドが消滅した後も数年間生産が続けられた。」
(出典:ウィキペディア「オースティン・ヒーリー・スプライト」オースティン・ヒーリー・スプライト - ウィキペディア (wikipedia.org))
「マークI
スプライトはすぐにイギリスでは「フロッグアイ」、アメリカでは「バグアイ」として親しみを込めて知られるようになり、そのヘッドライトはフロントウイングの船内ボンネットの上に目立つように取り付けられていた。
車の設計者は、ヘッドライトを引っ込めることができ、使用していないときはレンズが空を向いていることを意図していました。
同様の配置は、何年も後にポルシェ928で使用されました。
しかし、BMCによるコスト削減により、フリップアップ機構が削除されたため、ヘッドライトは単に永久に直立した位置に固定され、車に最も特徴的な機能を与えました。
これは、その非常に愛されたかわいい外観の結果として、車にその魅力を与えました。ボディのスタイリングはジェリー・コーカーによって行われ、1957年にコーカーがアメリカに移住した後、レス・アイルランドによってその後変更されました。
この車の独特のフロントスタイリングは、1951年のアメリカのクロスリー・スーパースポーツによく似ていました。48,987個の「カエルアイ」スプライトが製造された。」
(出典:ウィキペディア「オースティン・ヒーリー・スプライト」オースティン・ヒーリー・スプライト - ウィキペディア (wikipedia.org))
「オープントップのスポーツカーに剛性構造を提供するという問題は、ヒーリーのシャシーデザイナーであるバリー・ビルビーによって解決され、ジャガーDタイプが提供するアイデアを適応させ、リアサスペンションの力をボディシェルのフロアパンに通しました。
スプライトのシャシーデザインは、板金ボディパネル(ボンネットを除く)が構造応力の多くを取るユニタリ構造を採用した世界初の量産スポーツカーでした。
ビルビーが指定したリア構造のオリジナルのメタルゲージ(鋼の厚さ)は、試作時にオースティン設計局によって縮小されましたが、MIRA(モーター産業研究協会)でのテスト中にリア構造の歪みや変形が発生し、元の仕様が復活しました。車室から前方に突き出た2つのフロントシャーシ脚は、シェルが完全なモノコックではないことを意味します。
ボンネット(ボンネット)と翼を含むフロントの板金アセンブリは、エンジンコンパートメントへのアクセスを可能にするためにスイングアップされたワンピースユニットでした。」
(出典:ウィキペディア「オースティン・ヒーリー・スプライト」オースティン・ヒーリー・スプライト - ウィキペディア (wikipedia.org))
「43 bhp、948 cc OHVエンジン(コード9CC)は、同じくBMC製品であるオースティンA35とモリスマイナー1000モデルから派生したが、ツイン11⁄8インチSUキャブレターでアップグレードされた。
ラックアンドピニオンステアリングはモリスマイナー1000から、フロントサスペンションはオースティンA35から派生しました。
フロントサスペンションはコイルスプリングとウィッシュボーン配置で、アームストロングレバーショックアブソーバーのアームがトップサスペンションリンクとして機能した。
リアアクスルは、レバーアームショックアブソーバーとトップリンクを備えたクォーターエリプティックリーフスプリングによって配置され、スプリングされました。
ロードホイールは13インチで、すべての車には常にダンロップクロスプライタイヤ(通常は5.20x13サイズのゴールドシールモデル)が取り付けられていましたが、後に北米に出荷されたフロッグアイは5.60x13ダンロップクロスプライを着用しました。
外部のドアハンドルはなく、運転席と同乗者はドアを開けるために内側に手を伸ばす必要がありました。
また、可能な限り構造的な完全性を保持する必要があるため、ブートリッドはなく、スペアホイールとラゲッジコンパートメントへのアクセスは、シートバックを前方に傾けてリアデッキの下に到達することによって達成されました。」
(出典:ウィキペディア「オースティン・ヒーリー・スプライト」オースティン・ヒーリー・スプライト - ウィキペディア (wikipedia.org))
知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居て、凄い<クルマ>が在るものだ”と驚きます。
日々是精進
日々是修養
といった心境です。
毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも
楽しみながら記事を書き進めたいと思います。
次回も、どうぞお楽しみに!
所長 楊田芳樹
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2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達
オースティン・ヒーリー・スプライト・MK1(推定)
PLYMOUTH_1936
BMW3(2代目)2ドアセダン(推定)
FORD_MODEL_T_1927
TOYOTA_SPORTS_800_1969
ポルシェ・911(初代)901型(推定)
FORD_MUSTANG_289GT_FASTBACK_1966
DATSUN_FAIRLADY_2000_SR311_LOW_WINDOW_1967
CATERHAM_SEVEN_1973
FIAT_X_1/9_1980
PORSCHE_930_TURBO_1977
VOLKS_WAGEN_TYPE_II_11W_STANDARD_MICRO_BUS_1958
MERCEDES_BENZ_W115_240D_1975
MERCEDES_BENZ_280SL_1969
LANCIA_STRATOS_1974
AlfaRomeo_SPIDER_2000VELOCE_1973
ALPINE_A110_1300VC_1972
FERRARI_365_GTC/4_1972
FIAT_ABARTH_131_RALLY_1976
FIAT_DINO_SPIDER_2400_1970
FIAT_GIANNINI_590GT_CORSA_1967
FORD_CONSUL_CORTINA_LOTUS_MK-1_SR.1_1963
JAGUAR_E-TYPE_SR2._4.2FHC_1969
JAGUAR_E-TYPE_RORDSTER_SR.1_1962
PORSCHE_912_1969
PORSCHE_356B_ROADSTER_1960
LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952
LOTUS_SEVEN_SR.1_1957
AUSTIN_HEALEY_100/6_1959
AUSTIN_HEALEY_100/6_1957
AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956
AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954
MG-A_1958
MG-A_1957
MG-A_1955
MG-TC_1949
MERCEDES_BENZ_190SL_1957
JAGUAR_XK120_OTS_1951
MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950
ERMINI GILCO 1100GP 1948
SIMCA8 SPORT BARQUETTE 1938
MG PA RACER 1934