2021春ベッキオバンビーノ参加車両16_LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。

 

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

LOTUS_SEVEN_SR.1_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956

 

 

エコノミライ研究所では

 

クルマの歴史

 

へのクローズアップに対しても注力していますので、

 

従来型内燃機関エンジン推進車両

 

への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。

 

そこで

 

エコノミライ研究所では

 

兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の

 

ベッキオバンビーノ

 

の紹介をさせて戴いています。

 

先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと

 

2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。

 

 

ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、

 

岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に

 

赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して

 

院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、

 

新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、

 

180号線にて高梁市エリアを南下して

 

賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、

 

倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り

 

1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール

 

という内容でした。

 

(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

 

「開催趣旨


大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。

岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」

 

(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)

 

また、一夜明けた

 

令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである

 

倉敷美観地区の模様も撮影致しました。

 

大会2日目のコースは

 

宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り

 

鷲羽山ハイランドから

 

倉敷美観地区まで移動

 

玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて

 

岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から

 

「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと

 

笠岡市街地を抜けて北上

 

宿場町として有名な矢掛町へ向かい

 

完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と

 

矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして

 

一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る

 

という行程でありました。

先回より

 

参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。

 

(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。

 

紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、

 

このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、

 

此処に、文書を残すものであります。

 

また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。

 

 

今回紹介するのは


ゼッケン番号 23 LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_(1962年) です。

 

(出典:ウィキペディア「ロータス・セブン」(日本語)ロータス・セブン - Wikipedia

 

先回掲載した「ロータス・セブン」の文書はそのままとし、

 

付加的に、今回紹介する

 

シリーズ2カテゴリのフォードコスワース1500ccエンジン搭載モデルに関する

 

独逸語ウィキ記事も紹介します。

 

(出典:ウィキペディア「ロータス・セブン」(ドイツ語)ロータスセブン - ウィキペディア、無料の百科事典 (wikipedia.org)

 

 

 

ロータス・セブンLotus Seven)は、イギリスロータス・カーズのかつて生産・発売していたスポーツカー1957年から1970年代にかけて生産、販売されていた。」

(出典:ウィキペディア「ロータス・セブン」(日本語)ロータス・セブン - Wikipedia

「ロータス・セブンは1957年秋のロンドンショーにて、エリートと同時に発表された。

この車はサーキットまで自走してレースを楽しむために設計された量産キットカーであり、

公道を走れるオープンホイールのクラブマンレーサーである。

ボディやシャシーは手作りにより制作され、ロータス・マーク6の流れを汲むチューブラーフレーム

アルミニウム外板を張ったセミモノコック構造で、

スタビライザーとアッパーアームを兼用したダブルウィッシュボーンによるフロントサスペンションと、

A形のアームでアクスルハウジング(ホーシング)の前後・左右の位置決めをするセンターAアーム式の

リアリジッドサスペンションと言う非常にシンプルなサスペンション構造を持ち、

部品点数の削減によるコストダウンと軽量化を図っていた。

当時のタイヤ性能ではこれでも充分な強度があり、

必要以上の強度を持たせることによる重量増加を嫌うコーリン・チャップマンの思想がうかがえる。」

(出典:同上)

「ベーシックモデルは「ロータス・セブン」と呼ばれ、フォード100E、116Eや、BMC・Aタイプなどのエンジンが積まれていた。

さらにチューンアップされたエンジンを積んだ高性能バージョンも用意され、これを「スーパーセブン」と言う。

この後「スーパーセブン」と言う呼び名が有名になり、

ロータス・セブンあるいはその他のセブン族通称名として一般的に広く知られるようになる。

 

当時のイギリスでは自動車を購入する際の物品税が非常に高かったが、キットの状態で購入して自分で組み立てれば安価に入手することができた。

キットが配送される際は郵便扱いだったため、「車を郵便屋が運んでくれる」とまで大衆に言わしめるほどであった。

 

また、エンジンやトランスミッションなどの高価な部品を含まない廉価版のキットを購入し、

スクラップになったドナー車から好みのエンジンを流用して組み立てることで、さらに費用を抑えることもできた。

多くの部品が大衆車からの流用で、構造が簡単で改造も容易なキットカーならではのエピソードである。

経済力の弱い若者がモータースポーツを始めるには最適なモデルだったのである。」

 

(出典:同上)

「ロータス・セブンはシリーズ1 - シリーズ4までのモデルチェンジが行われ、

いくつかのバリエーションの完成品、またはキットフォームで販売された。

 

シリーズ4では、当時、最新のレーシングカー製作技術を取り入れたスペースフレーム+FRPボディーが採用され、

ロータス社内のタイプナンバーも、当初の7から60に変更された。しかしフレーム構造の大幅な変更とともに、

FRPのボディは当時流行っていたバギーカー風のデザインに変更されてしまったため、

もともとセブンの持つ「公道を走れるクラブマンレーサー」の雰囲気が失われ、人気が無かったと言われている。

しかし歴代のセヴンの販売台数/販売期間を分析すれば充分売れたモデルである。

 

なお、英国のサスペンスドラマシリーズ『プリズナーNo.6』では、主人公の愛車としてグリーンのボディにノーズコーンがイエローのセブンがオープニングシーンに登場する。」

 

(出典:同上)

「会社としての体力がまだおぼつかない初期のロータスにとっても、大がかりな生産設備を必要としないセブンは、

生産をスタートさせるまでのハードルが低かったが、それゆえに、手作業による生産工程がほとんどを占めるため、大量生産を行うには生産性も悪かった。

 

英国でのキットカーに対する優遇税制の変更と、シリーズ4の主たる販売先と目論んでいた米国での安全基準(5マイルバンパー)の見直しによる輸出の断念などが重なったためロータス社はセブンの生産を終了し、

その座をより高額で高利益が得られるロータス・ヨーロッパが引き継ぐこととなった。

 

ロータスはセブンの生産を終了した際、よりステップアップするための資金源として、

ロータスの代理店であったケーターハム1973年にセブン・シリーズ4の製造販売権と、在庫部品、製造治具などの生産設備を売却した。」

 

(出典:同上)

庶民(!?)でも気軽にオープンタイプのライトウェイトモータースポーツを楽しむことを「実現」させたクルマ

 

「セブン」

 

「スーパーセブン」でも知られるケータハムの前には、名伯楽コリン・チャップマンのロータスも忘れてはなりません。

「1947年、当時ロンドン大学の学生であったコーリン・チャップマンは副業として中古車販売業を営んでおり、

そこであまりに旧式なため売れ残った1928年型オースチン・7(セブン)を自分用のレーシングカーに改造することを思いついた。

 

彼は事業パートナーであったコーリン・デア、ディレック・ウェットン、そしてガールフレンドであったヘイゼル・ウィリアムズらとともに旧式のシャシを初めとする大部分を作り直し別の車と言ってよいほどの大幅な改造を施した。

この作業はロンドンのミューセル・ヒルにあったウィリアムズの実家のガレージで行われたという。

 

完成した車は別の車として登録され、翌1948年にはマイナーレースに参戦する。

しかしチャップマンはこの車のベースとなったオースチン・7のエンジンパワーでは本格的なレースに参戦するのは不充分と考えており、

すぐにより強力なフォード製「フォード8」エンジンを搭載した次モデルの構想に着手する。

この次期モデルは「ロータス」と名付けられ、1949年に完成した。これが最初にロータスと呼ばれた車である。」

 

 

 

今更で恥じ入りますが、「セブン」の系譜は、オースチンに遡るのですね。。。

 

 

そして、「スーパーセブン」で有名な「ケータハム」についてもチェックしておきましょう。

 

ケーターハム・カーズCaterhamCars )は、イギリスの小規模自動車メーカーである。

1973年サリー州ケイタラム英語版)に設立され、ロータス・カーズからロータス・セブンの生産権を引き継ぎ、

1960年代から基本構造が変わらないライトウェイトスポーツカー「セブン」シリーズ(通称:スーパーセブン)の生産と販売を行っている。

日本VTホールディングスの100%子会社。

 

現在、日本での正規販売においては、「ケーターハム」に代えて「ケータハム」との表記がみられる。」

 

(出典:ウィキペディア「ケーターハム」ケーターハム - Wikipedia

 

 

伝言ゲームみたいになってきましたが、現在のケーターハムは、知っている<ひと>は知っている

 

ニッポンの「VTホールディングス」さんの100%子会社とのことですが、この会社についてもチェックしましょう。

 

「VTホールディングス株式会社(ブイティーホールディングス、英: VT HOLDINGS Co., Ltd.)とは、愛知県名古屋市に本社を置く、自動車ディーラーの持株会社である。

 

前身は中古車の無店舗販売である。その後、新車ディーラー事業に転換したが、一店舗の利益率アップではなく、拠点数拡充による利益率アップを選択し、M&Aにより事業規模の拡大を図ってきた。」

 

(出典:ウィキペディア「VTホールディングス」VTホールディングス - Wikipedia

 

 

今回紹介している「セブン」は、名前に「スーパー」の文字が付加され、チューンを手掛けたのは、

 

F1エンジンでも大変有名な「コスワース」です。

 

この辺りも、いい機会ですので、掘り下げてみましょう。

 

まず、フォードコスワースエンジン搭載車に関する独逸語ウィキ記事を紹介します。

「ロータスセブンは、ロータスイレブンがすでに限られた量で生産された後、1957年に発売されました。チャップマン初の量産スポーツカー、ロータス6に基づいて、セブンは1172 ccの変位を持つ40馬力のフォードのサイドバルブエンジンを搭載しました。車はこのように短い距離で安いクラブレースのために主に設計されていた。

シリーズ2(S2)は1960年に、シリーズ3(S3)は1968年に続いた。1970年、ロータスは車のデザインを大幅に変更しました。結果は、以前のアルミニウム構造を大部分置き換えた、より角のGRPボディを持つやや従来比例シリーズ4(S4)であった。シリーズ4では、セブンは暖房ファンなどの標準的な快適な機能を初めて提供しました。

 

シリーズ1

アルミニウムボディ。生産数量: 242

  • 7F (フォードエンジン、1,172 cm³、28-40馬力、3速トランスミッション)、1957-1960
  • 7C(コベントリークライマックスエンジン、1,098 cm³、75馬力、4速トランスミッション) 1958-1960
  • 7A (BMCエンジン、948 cm³、37馬力、4速トランスミッション)、1958-1960
  • 7 アメリカ(オースティン・ヒーリーエンジン、43馬力、4速トランスミッション)、1958-1960
シリーズ2

プラスチックフェンダーと銃口、アルミニウムボディおよび4速ギヤボックス。生産数量:約1,310

  • 7F (フォードエンジン、1,172 cm³、40馬力)、1960-1961
  • 7A (BMCエンジン、948 cm³、37馬力)、1960-1961
  • 7 アメリカ(オースティンヒーリーエンジン、1,098 cm³、55馬力)、1960-1961
  • 7 105E (フォードエンジン, 997 cc, 39馬力), 1961-1968
  • スーパー7コスワース1340(フォード・コスワースエンジン、1,340 cc、85馬力)、1961-1962
  • スーパー7 1500(フォード・コスワースエンジン、1,498 cm³、66-100馬力)、1962-1968・・・☆今回紹介車両
  • 7シリーズ2 1/2(フォードエンジン、1,598 cm³、84馬力)、1968年
シリーズ3

生産数量:約340

  • 7 1300/1600 (フォードエンジン、1,297/1,598 cm³、72/84馬力)、1968-1969
  • 7 S (フォード・ホルベイエンジン, 1,598 cm³, 120馬力), シングルピース, 1969
  • 7 SS (ロータスエンジン、1,558 cm³、115-125馬力)、13ユニット、1969
シリーズ4

重く変更された、より大きなボディ。生産数量:約664

  • 7 1300/1600GT(フォードエンジン、1,297/1,598 cm³、72/84馬力)、1970-1972
  • 7 ツインカム(ロータスエンジン、1,558 cm³、115-125馬力)、1970-1972」

(出典:ウィキペディア「ロータス・セブン」(ドイツ語)ロータスセブン - ウィキペディア、無料の百科事典 (wikipedia.org)

 

続いて、F1でも御馴染み、コスワースについても、ウィキチェックしてみましょう。

「コスワース(Cosworth)は、1958年創業のレーシングエンジンビルダーである。名前は創業者のマイク・コスティンとキース・ダックワースの両者の姓を組み合わせたもの。

当初はエンジンチューナーとして発足したが、間もなく独自のレース用エンジンの開発を手がけるようになった。エンジンの多くはフォードによる資金援助を受け、フォードのバッジを付けられてレースに使用されている。ただしコスワースはフォード専属というわけではなく、過去にはロータス、シボレー、オペル、メルセデス・ベンツ、ロールス・ロイスなどとも共同でエンジンを開発したことがある。

F1用エンジンのコスワースDFVと、その1960年代 - 1980年代にわたっての通算154勝という成績はF1史上に残るものである。

市販車でもフォード・シエラ・コスワース/フォード・エスコート・コスワース、メルセデスベンツ190Eエボ、最近ではアウディRSシリーズやジャガー・Fタイプが一般でも入手可能なコスワース製品である。またフォード車用のエンジンチューンパーツも豊富にリリースしている。2011年にはヒュンダイ・ジェネシスクーペのコンセプトカーにもコスワースエンジン搭載モデルが登場したが、市販化には至っていない。

日本車の現行モデルでは、ホンダ・NSXのV6エンジンがコスワースとの共同開発であり、ブロック、ヘッドの製造も担当している[1]。過去には日産・ブルーバード(U12型)のラリー向けグレードSSS-Rに搭載されたCA18DET-Rエンジンに、コスワース製の専用鍛造ピストンが採用されていた。他にも競技用ではあるがスバルのEJ25のコンプリートエンジンを製作及び販売をしている。」

(出典:ウィキペディア「コスワース」コスワース - Wikipedia

 

知れば知る程、”世の中には、凄い<ひと>が居るものだ”と驚きます。

 

日々是精進

 

日々是修養

 

といった心境です。

 

 

 

毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも

 

楽しみながら記事を書き進めたいと思います。

 

次回も、どうぞお楽しみに!

 

 

所長 楊田芳樹

 

前のシリーズ

20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00

 

前のシリーズ

NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00

 

 

2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

LOTUS_SUPER_7_SR.2_COSWORTH_1952

 

LOTUS_SEVEN_SR.1_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1959

 

AUSTIN_HEALEY_100/6_1957

 

AUSTIN_HEALEY_100-4_BN2_1956

 

AUSTIN_HEALEY_100 BN/1_1954

 

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

ERMINI GILCO 1100GP    1948

SIMCA8 SPORT BARQUETTE    1938

 

MG PA RACER    1934