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DD16ディーゼル機関車

 

DE50ディーゼル機関車

 

10t貨車移動機

 

DD51形ディーゼル機関車

 

DD15形ディーゼル機関車

 

DD13形ディーゼル機関車

左:キハ52形115号機

右:D51蒸気機関車2号機

 

キハ52形気動車

 

キハ28形気動車

 

左:キハ181形気動車

右:キハ58形気動車

 

キハ181形気動車

 

キハ33形気動車

 

 

毎週金曜日は

 

エコノミライ研究所と隣接する個人・団体・法人紹介

 

並びに名勝・史跡紹介

 

をさせて戴いています。

 

 

今回のシリーズも、2019年11月初旬に津山市を訪問した場所の紹介です。

 

鉄道ファンの方なら御馴染み(?!)津山市大谷にあるところの

 

JR津山線並びにJR姫新線の津山駅の隣に位置する

 

津山まなびの鉄道館

 

であります。

 

(出典:ウィキペディア「津山まなびの鉄道館」津山まなびの鉄道館 - Wikipedia

 

 

「津山機関区の施設として1936年に建設された扇形機関車庫が、津山駅に隣接した旧機関区用地で現在も使用されており、現役を引退した静態保存車両を展示する鉄道保存展示施設としても活用されている。

扇形庫は、奥行きが22.1mで17線あり、現存する施設としては京都市にある梅小路運転区(京都鉄道博物館)の扇形庫に次いで日本で2番目の規模である。また、経済産業省近代化産業遺産(対象は機関車庫と転車台)、社団法人土木学会が選定した「日本の近代土木遺産 −現存する重要な土木構造物2800選」および、岡山県教育委員会が選定した「岡山の近代化遺産」に指定されている。

  • 2016年4月2日 - 「津山まなびの鉄道館」としてリニューアルオープンした。
館内は扇形機関車庫、転車台、まなびルーム、あゆみルーム、しくみルーム、まちなみルーム、いこいの広場で構成されている。
国鉄C57形蒸気機関車68号動輪の展示や旅立ちの汽笛(D51形蒸気機関車755号機の汽笛)もある。
  • 2017年6月25日 - 来館者10万人を達成した。」

(出典:ウィキペディア「津山まなびの鉄道館」津山まなびの鉄道館 - Wikipedia

鉄道記念物

旧津山扇形機関車庫と転車台

 姫新線の全通にともなって1936(昭和11)年に津山駅の西側に設置された級津山扇形機関車庫は、竣工当時、機関車を収納する庫(くら)として17線を有し、また、収納された機関車を検査・修繕するためのクレーンやドロップピット、修繕室、鍛冶場、技工長質及び道具置場が設けられていた。同機関車庫は鉄筋コンクリート造で、当時の標準的なおうっ型機関車庫の設計が採用され、鉄道省による「扇形機関車庫設計標準図」に準じたものである。

 転車台は60ft(約18.3m)下路式で、機関車の方向転換と合わせて機関車を機関庫へ収納する時に使用された。

 当鉄道施設は、蒸気機関車全盛期において山陰と山陽を繋ぐ交通の要衝である津山駅に設置され、旅客と貨物輸送の物流を支えた我が国の「SL時代」を象徴するものと言える。また、蒸気機関車の基地として、その役割を終えた後も津山のシンボルとして地域から親しまれ続けた。2016(平成28)年より、構造物の保存・展示と合わせて鉄道文化を紹介する「津山まなびの鉄道館」として公開・活用されており、次世代への「鉄道文化遺産」を継承する好例である。

 

旧津山扇形機関車庫 1棟

転車台1機

付随する敷設路線敷及び施設

 

2018(平成30)年10月14日指定

西日本旅客鉄道株式会社

先ほど紹介したウィキ記事や公式HPによりますと

 

この扇形機関車庫は、1936(昭和11)年に供用開始され、現在に至っているとのこと。

 

この車庫に保管されている機関車は、現役を退いた車両ばかりだとおもいますけれども

 

蒸気機関車もあり

 

嘗て、日本全国で観られたディーゼル機関車

 

最近まで現役として頑張っていたであろう機関車

 

が展示されています。

 

先回より、収蔵されている機関車のプロフィール紹介を始めています。

 

今回紹介するのは、

 

この写真の一番右に見える車両

 

国鉄DD16ディーゼル機関車です。

 

DD16形ディーゼル機関車(DD16がたディーゼルきかんしゃ)は、1971年に登場した日本国有鉄道(国鉄)の小型液体式ディーゼル機関車である。

 

当時、国鉄はディーゼル機関車による無煙化を進めていた。しかし、軌道構造の弱いローカル線簡易線)では軸重が12tに制限されているので、DD13形DE10形は入線できないか、たとえ入線できても大幅な速度制限を受けたため、蒸気機関車C12形C56形が依然として運用される結果になった。そこで、これらの線区に残存した蒸気機関車の置き換え用として、簡易線向け設計のDD16形が開発されることになった。

1971年から1975年にかけて国鉄長野工場(現・長野総合車両センター)・日本車輌製造川崎重工業大阪工場(大阪車両部・1975年廃止)で65両が製造された。」

(出典:ウィキペディア「国鉄DD16ディーゼル機関車」国鉄DD16形ディーゼル機関車 - Wikipedia

「構造

DT113H形台車
車体はDE10形をさらに短くしたような凸型の外観をしている。エンジンを搭載する側のボンネットが長く、運転室が中心からずれたセミセンターキャブのデザインとし、車体や台車等の軽量化によって運転整備重量48t(軸重12t)を実現している。

車両の一端に大型のエンジンを載せているが、その反対側に重量物を設置してバランスを取ることができないため、運転室を車端に寄せるとともにその床下に燃料タンクを配置し、短いほうのボンネットの中は機器室として機関予熱器、蓄電池箱、制御器箱などを収めて軸重不均衡への対策としている。

台車はDD13形85号以降で用いられたDT113を軽量化したDT113Hを採用した。エンジンは出力不足の初期不調が相次いだDD51形1-19号機に搭載されていたエンジンを載せ替えて余った狭幅クランク軸受けのDML61S機関の出力を1,000psから800psに落とした上で再活用、またはDD51形20号機以降と同じインタークーラー付のDML61Z機関の出力を1,100psから800psに落とした上で搭載している。液体変速機はDD51形と同じDW2Aであるが、使用線区の最高速度等の面から減速比を大きくして搭載した。DW2Aは出力軸を1方向または2方向に出すことが選択可能な設計[2]で、DD51形ではこのうち1軸を使用し1台車を駆動、本形式では2軸を使用し2台車を駆動する。なお本形式開発担当者によれば[2]、DD51形の改造による余剰発生品のDML61S機関を本形式に流用することを指示したのはディーゼル車両の技術者で後にJR九州初代社長となる石井幸孝である。

なお、投入路線の輸送規模や運用形態も勘案して非重連仕様とされ、簡易線の旅客列車は気動車に置き換えられていたことから基本的には旅客列車での使用は考慮せず、列車暖房用蒸気発生装置 (SG) も搭載されていない。空気ブレーキ装置はセルフラップ式でDE10形とほとんど同じであるが、非重連形であるので、重連用の機器を取り外して使用している。2基ある運転席はDE10形をモデルとした左側マスコンハンドル、右側ブレーキハンドルの操作系であるが、ローカル線での長時間運行も考慮して、操作卓左側が途中から45度手前に折れ曲がった準L字形の本線入換折衷型ともいえる運転台を採用し、乗務員が前方を向きやすいような配慮がなされている。

このDD16形の設計上の特色は、搭載されている機器がDD51形、DD13形、DE10形等と同一のものか、もしくは使用されているものを多少改造して搭載しており、DD16形専用に開発されたものがほとんどないことである。これは、既存の使用実績のある機器を採用することによって製造費の低減や部品共通化、保守共通化による保守費の抑制を目論むとともに、現場へ導入をもしやすくしたものである(当時、国鉄当局と労働組合の対立が問題化し、新形式導入は労働の増加を意味し、労組側は反対するということで新機種の導入がしづらかった背景がある。例:DE50形)」

(出典:同上)

ディーゼル機関車 解説案内

DD16形ディーゼル機関車

DD16 304

 

 ローカル線用に65両製造された小型ディーゼル機関車

DD16形のうち4両を改造した。

 当機は車体の両側に大型の除雪装置を装備し300番代に区分されている。

 2015年まで大糸線で排雪列車として活躍していた。

 現在、除雪装置は片側のみ装備した状態で保存している。

 

DD16 304

改造年:1983年 旧国鉄松任工場改造

全長35,840mm/全幅:2,990mm/全高:4,077mm

自重:118.00t

軸配置:2-2-B-B-2-2

機関形式:DML61Z

出力:800ps/1330rpm×1基

最終配置箇所:金沢総合車両所富山支所2015年廃車

旧津山扇形機関車庫収蔵:2015年8月

 

「0番台
1971年から1974年にかけて65両が製造された。製造は7次にわたり、その都度各部にモデルチェンジが行われている。日本全国に配置されたため、DD51形やDE10形同様に寒地向け・暖地向けで仕様に相違点がある。

1号機と2号機は国鉄長野工場で製造されたが、国鉄工場で機関車が製造されるのは実に30年ぶりで戦後初、ディーゼル機関車としては初めてのことであった。運転整備重量は50t(軸重12.5t)である。昭和46年度第3次債務車の11号機以降は、設計変更により運転整備重量が48t(軸重12t)で落成した。昭和48年度第1次債務車の25号機以降は車両番号表記が切り抜き文字からナンバープレートに変更された。

300番台
1979年から1983年にかけて、飯山線および大糸線用として、2・5・4・13号の4両が両端に脱着式の単線用ラッセル式除雪ヘッドを取り付け可能なタイプに改造され、それぞれ301 - 304号として300番台に区分された。ラッセルヘッドは、DD15形のようにラッセル装置を機関車本体に取り付けると軸重が過大となり、またDE15形の着脱式ラッセルヘッドも軸重が13tと簡易線乗り入れ規格を上回っていたため、ラッセル車キ100形を近代化させたような新設計のボギー式ラッセルヘッド車両を別途製作し、これを機関車本体の前後に連結する方式を採用した。これにより、全長は約36mにも達する。なお、300番台への改造に際し、ラッセルヘッドから機関車本体を遠隔制御するための改造もあわせて行われ、車端部に制御回路を引き通すジャンパ栓が増設された。

この300番台は用途の特殊性から2009年4月1日時点では4両すべてが現存していたが、301は2010年8月19日付で、302は2009年7月1日付でそれぞれ廃車。303は2009年11月25日付で機関車本体のみ八戸臨海鉄道に転籍した。

最後まで現存したのは、富山地域鉄道部富山運転センター所属の304号機(糸魚川運転センター常駐)であった。304号機は単線仕様であり、複線化した線路を除雪することはできない。そのため大糸線糸魚川駅 - 南小谷駅間の除雪を担当している。前日の気象情報で降雪予報が発表されると糸魚川駅 - 南小谷駅間の35.3kmを1往復運転していた。304号機は2015年をもって廃車となり、同年8月に津山まなびの鉄道館に収蔵された。」

 

(出典:ウィキペディア「国鉄DD16ディーゼル機関車」国鉄DD16形ディーゼル機関車 - Wikipedia

 

写真に写っている304号機は、大糸線で排雪車両として活躍した、富山運転センター所属機とのことで、

 

このようなところでも、富山の方との「繋がり」があることに、改めて驚きます。

(リーフユーザーのM様、ご無沙汰しています。)

 

また、大糸線は、2019年EVラリー白馬にて糸魚川から並走していた区間でもあります。

 

大糸線沿線の皆様、排雪車両として活躍した304号機は、500km以上西に位置する

 

岡山県津山市

 

にて、JR西日本の皆様が、しっかりと、保管されています。

 

 

 

これだから、鉄道ワールドは面白い。

 

 

次回も

 

鉄道車両の個別紹介を続けます。

 

 

JR津山線津山駅の隣にあるところの

 

津山まなびの鉄道館

 

是非ぜひ、ご来場あれ!

 

但し、COVID-19対策は万全にお願いします。

 

(三密を避け、手洗い嗽(うがい)の励行、マスク着用、疲れすぎない、などです。)

 

 

 

次回もどうぞ、お楽しみに!

 

 

 

 

   所長 楊田芳樹

 

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