2021春ベッキオバンビーノ参加車両10_MG-A_1958 | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠に有難うございます。

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

 

 

エコノミライ研究所では

 

クルマの歴史

 

へのクローズアップに対しても注力していますので、

 

従来型内燃機関エンジン推進車両

 

への知識習得と理解を深めることも、大変重要なミッションだと考えています。

 

そこで

 

エコノミライ研究所では

 

兼ねてより、地元岡山県内で約10年も継続中の

 

ベッキオバンビーノ

 

の紹介をさせて戴いています。

 

先回までで、1日目ゴール地点である瀬戸内児島ホテルと

 

2日目1箇所目のチェックポイントである倉敷美観地区での雰囲気をお届け致しました。

 

 

ベッキオバンビーノ2021年春バージョンのコースは、

 

岡山市のプラザホテル前駐車場をスタート地点に

 

赤磐市エリアまで東進、そこから津山エリアへ北上して

 

院庄ICより中国自動車道、落合JCTから米子自動車道を経て蒜山エリアまで行き、

 

新庄村から国道181号線で新見エリアまで南下し、

 

180号線にて高梁市エリアを南下して

 

賀陽ICにて岡山自動車道、岡山JCTから山陽自動車道、

 

倉敷JCTから山陽自動車道早島支線、早島ICから瀬戸中央自動車道で児島ICを降り

 

1泊目の宿泊地、瀬戸内児島ホテル前駐車場でゴール

 

という内容でした。

 

(公式HPCOURSE&SCHEDULE | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

 

「開催趣旨


大会名称のVecchio Bambino (ベッキオ・バンビーノ)とは、
イタリア語で子どもの心を持ち続ける大人・永遠の少年を意味します。

岡山県内各地を舞台とした日本最大規模のクラシックカーラリー。訪れる地域の方との観光交流と賑わいの創出、震災復興支援・交通事故遺児の就学支援を目的としたイベントとして開催9年目の秋を迎えます。全国各地から集った参加者が訪れる岡山県内の各地域の皆さんとの触れ合いの中で双方が心から楽しんでいただける心のこもった観光交流イベントとなり、大人たちがルールを守り力いっぱい遊ぶ姿が子どもたちのお手本となるように努力してまいります。
イベントを通じ、テレビ・新聞・インターネット・自動車雑誌などのメディアを用いた地域観光資源情報発信イベントとして訪れる地域の皆様のお役にたてるよう、また例年通り積極的なチャリティ活動を綿密な計画のもと運営を行っております。」

 

(公式HP「開催概要」開催概要 | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rallyより)

 

また、一夜明けた

 

令和3(2021)年4月4日(日)午前9時にスタートするチェックポイントである

 

倉敷美観地区の模様も撮影致しました。

 

大会2日目のコースは

 

宿泊地瀬戸内児島ホテルのお隣り

 

鷲羽山ハイランドから

 

倉敷美観地区まで移動

 

玉島ハーバーアイランドから旧玉島市街中心地を抜けて

 

岡山県民には御馴染みの海水浴場である沙美海岸から

 

「生きている化石」カブトガニで有名な笠岡はカブトガニ博物館まで到達しますと

 

笠岡市街地を抜けて北上

 

宿場町として有名な矢掛町へ向かい

 

完成したばかりの道の駅「山陽道かやげ宿」と

 

矢掛本陣のある旧道を道中最後のチェックポイントとして

 

一気にグランドスタート地点である岡山プラザホテルまで戻る

 

という行程でありました。

先回より

 

参加車両の1台ごとの個別紹介を続けています。

 

(公式HPENTRY LIST | Vecchio Bambino | Charity Classic Car Rally参照)

 

ゼッケン番号順で、楊田が撮影に成功していた順番にて、紹介させて戴きます。

 

紹介する情報は、いつものウィキ検索ですけれども、

 

このような機会でなければ、読み解くことが有りませんので、

 

此処に、文書を残すものであります。

 

また、個別に独自の情報を仕入れることができたときは、出来る限り、付言したいとも思っています。

 

 

今回紹介するのは


ゼッケン番号 15 MG-A (1958年) であります。

 

先回もMG-Aでしたが、製造が古い順にゼッケンを割り当てられていたようです。

 

今回は、日本語ウィキ、英語ウィキ記事両方がありましたので、英語記事はコンピュータによる自動翻訳となります。

 

また、MG-Aにて参加されている方が複数居られ、製造年やカラーリングも多種多様ですし、解説文が比較的長いですから、

 

写真掲載枚数に合わせて、記事引用を実施致します。

 

(出典:ウィキペディア「MGA」(英語)MG MGA - Wikipedia、「MG・MGA」(日本語)MG・MGA - Wikipedia

 

「MGA(エムジーエー)は、イギリスのスポーツカーのブランドである、MGの主要車種の一つ。2座席オープンカーを中心として、イギリス国内向け販売だけでなく、アメリカ合衆国を始めとして多数輸出された。

概略
1955年にMGブランドにおける主力車種の、2座席オープンカーとして開発され、1962年までに101,081台が製造され、過半数以上が北米、西ヨーロッパ諸国、日本、オセアニアなどに輸出されるか、現地ノックダウン生産された。

1955年 - プロトタイプにあたるEX182ル・マンスペシャルモデル製作。1,500ccOHVエンジン2座席オープンモデル生産開始。
1956年 - クーペモデル追加(FHC - Fixed HEAD Coupe)(1,500ccOHVエンジン)
1958年 - Twin Camモデル追加(1,600ccDOHCエンジン)
1959年 - モデルチェンジ 排気量1,600ccに(MGA 1600)
1960年 - デラックス(De Luxe)モデル追加(1,600ccOHVエンジン)
1961年 - モデルチェンジ MGA 1600 mk2
1962年6月 - 製造中止。後継車種のMGBが7月に発表される


なお、当時の製造会社は、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)である。」

 

(出典:ウィキペディア「MG・MGA」(日本語)MG・MGA - Wikipedia

「メカニズム
MGAは、現代の乗用車のようなモノコックボディではなく、1930-40年代のMG TAからTFの設計を発展させた、全金属製のラダーフレームに、エンジン、トランスミッション、リアアクスルなどを架装し、その上に空力設計を大きく考慮した金属製のボディを載せてある。床板は合板。

最初のモデルは、OHV直列4気筒1,500ccのBMC Bタイプエンジン(後に1,600cc)をフロントに搭載し、4速のマニュアル・トランスミッションを介し、リジッドアクスルの後輪を駆動する設計とされた。

フロントサスペンションは、アッパーアームがレバー式ショックアブソーバーのアームを兼ねるウイッシュボーンを採用、一方リアサスペンションは半楕円7枚リーフ式によるリジッドアクスルである。

ブレーキは、前期モデルのMGA1500が前輪がドラムブレーキ、MGA1600及びTwin camがソリッドのディスクブレーキ、後輪はドラム式のリーディング&トレーリングが標準であるが、Twin CamとMGA1600De Luxeはソリッドのディスクブレーキ。いずれも倍力装置は備えない。」

 

(出典:ウィキペディア「MG・MGA」(日本語)MG・MGA - Wikipedia

The MGA is a sports car that was produced by MG from 1955 to 1962.

 

MGAは、スポーツカー製造メーカーであるMGが1955年から1962に掛けて生産したモデルです。


The MGA replaced the MG TF 1500 Midget and represented a complete styling break from MG's earlier sports cars. 

Announced on 26 September 1955 the car was officially launched at the Frankfurt Motor Show. 

A total of 101,081 units were marketed through the end of production in July 1962, the vast majority of which were exported. 5869 cars were sold on the home market, and the MGA was replaced by the MGB.

MGAはMGTF 1500ミゼットに取って代わり、MGの初期のスポーツカーのスタイルからの完全な脱却を果たしました。

1955年9月26日に発表されたこの車は、フランクフルトモーターショーで正式に発売されました。

1962年7月の生産終了までに合計101,081台が販売され、その大部分が輸出されました。5869台の車が国内市場で販売され、MGAはMGBに置き換えられました。

Design
The MGA design dates back to 1951, when MG designer Syd Enever created a streamlined body for George Philips' TD Le Mans car. 

The new bodywork traded the MG TF's articulated fenders and running board for ponton styling, with a single styled envelope fully enclosing the width and uninterrupted length of a car.

設計
MGAの設計は、MGデザイナーのシドエネバーがジョージフィリップスのTD ルマン車の合理化されたボディを作成した1951年にさかのぼります。

新しいボディワークは、MG TFの関節式フェンダーとランニングボードをポンツーンのスタイリングと交換し、単一のスタイルのエンベロープが車の幅と途切れのない長さを完全に囲みました。


The TF featured a high driver seating position. 

A new chassis was designed with the side members further apart and the floor attached to the bottom rather than the top of the frame sections. 

A prototype was built and shown to the BMC chairman Leonard Lord. 

He turned down the idea of producing the new car as he had just signed a deal with Donald Healey to produce Austin-Healey cars two weeks before. 

Falling sales of the traditional MG models caused a change of heart, and the car, initially to be called the UA-series, was brought back. 

As it was so different from the older MG models it was called the MGA, the "first of a new line" to quote the contemporary advertising.

There was also a new engine available, therefore the car did not have the originally intended XPAG unit but was fitted with the BMC B-series engine allowing a lower bonnet line. 

The MGA convertible had no exterior door handles, however the coupe had door handles.

TFは高いドライバーシートポジションを特徴としていました。

新しいシャーシは、サイドメンバーをさらに離し、床をフレームセクションの上部ではなく下部に取り付けて設計されました。

プロトタイプが組み立てられ、BMC会長にレオナルド・ロードに提示されました。。

彼はオースチン・ヒーリーを生産するため2週間前にドナルド・ヒーリーと契約を結んだばかりだったので、彼は新しい車を生産するという考ええには否定的でした。

従来のMGモデルの販売が落ち込んだことで心変わりし、当初はUAシリーズと呼ばれていた車が復活しました。

それは古いMGモデルとは非常に異なっていたので、MGAと呼ばれ、現代の広告を引用するための「新しいラインの最初」でした。

新しいエンジンも利用可能だったため、この車には当初意図されていたXPAGユニットはありませんでしたが、ボンネットラインを低くすることができるBMCBシリーズエンジンが搭載されていました。

MGAコンバーチブルには外部ドアハンドルがありませんでしたが、クーペにはドアハンドルがありました。


It was a body-on-frame design and used the straight-4 "B series" engine from the MG Magnette saloon driving the rear wheels through a four-speed gearbox. 

Suspension was independent with coil springs and wishbones at the front and a rigid axle with semi-elliptic springs at the rear. 

Steering was by rack and pinion. The car was available with either wire-spoked or steel-disc road wheels.

While the make (or marque) is MG, the model was named MGA by John Thornley in 1954.

MGAは、フレーム形式のボディとMG Magnetteサルーン由来のストレート4「Bシリーズ」エンジン4速ギアボックスを介する後輪駆動の方式が採用されました。

サスペンションは、フロントにコイルスプリングとウィッシュボーン、リアにセミエリプティックスプリングを備えたリジッドアクスルで独立していました。

ステアリングはラックアンドピニオンによるものでした。車はワイヤースポークまたはスチールディスクロードホイールのいずれかで利用可能でした。

メーカー(またはマーク)はMGですが、モデルは1954年にジョンソーンリーによってMGAと名付けられました。

The 1489 cc engine fitted with twin H4 type SU Carburettors produced 68 hp (51 kW) at first, but was soon uprated to 72 hp (54 kW).

Lockheed hydraulic drum brakes were used on all wheels. A coupé version was also produced, bringing the total production of standard MGAs to 58,750.

An early open car tested by British magazine The Motor in 1955 had a top speed of 97.8 mph (157.4 km/h) and could accelerate from 0–60 mph (97 km/h) in 16.0 seconds. 

A fuel consumption of 26.7 miles per imperial gallon (10.6 L/100 km; 22.2 mpg‑US) was recorded. 

The test car cost £844 including taxes.

ツインH4タイプSUキャブレターを搭載した1489ccエンジンは、最初は68 hp(51 kW)を生成しましたが、すぐに72 hp(54 kW)にアップグレードされました。

ロッキードの油圧ドラムブレーキがすべての車輪に使用されました。クーペのバージョンは、58750に標準MGASの総生産をもたらし、製造しました。

イギリスの雑誌でテスト早くオープンカーザ・モーター1955年には、毎時97.8マイル(毎時157.4キロ)の最高速度を持っていたし、16.0秒で毎時0〜60マイル(毎時97キロ)から加速することができます。

英ガロンあたり26.7マイル(10.6 L / 100 km; 22.2 mpg ‑US)の燃料消費量が記録されました。

テストカーの価格は税込みで844ポンドでした。

「歴史
第二次世界大戦後のイギリスに駐留したアメリカ合衆国軍兵士は、小型で軽量なMGを初めとするスポーツカーに魅了され、またイギリスの自動車産業は、疲弊した国内向けだけではなく、戦禍に遭わなかったアメリカ合衆国を中心とした北米マーケットへの輸出を増やす必要に迫られた。

MGブランドを傘下に持つ、企業体ナッフィールド・オーガニゼーションは、戦後モデルを北米向け左ハンドルモデルをも生産しやすいように設計しており、MG TC(1945年)、TD(1950年)及びTF(1953年)において多数の輸出実績を残した。

そして、1952年のナッフィールド・オーガニゼーションとオースチン・モーター・カンパニーが合併し誕生したBMCにおいて、MGディヴィジョンは、1955年、流麗なボディをラダーフレームの上に架装した、MGAを送り出す。

オープンモデルとクーペモデル、DOHCエンジン搭載モデル合わせて10万台あまりを生産、ほぼ半数を北米に輸出した。

1950年代は、フェンダーの張り出したクラシックカー然としたスタイリングの時代から、空気力学が重視される時代へ移り変わる時期であり、イギリスも復興が軌道に乗り、主要輸出先のアメリカ合衆国も好景気であり、スパルタンなスポーツカーよりも、快適性と巡航性能が求められる時代だった。

MGAの誕生した1955年ころから、MG ミジェット(MIDGET)が誕生した1961年、MG最大の成功作MGBの1962年の間は、イギリス製オープンスポーツカーの黄金時代と言えるだろう。」

 

(出典:ウィキペディア「MGA」(英語)MG MGA - Wikipedia、「MG・MGA」(日本語)MG・MGA - Wikipedia

「モータスポーツ
MGは創業のそもそもがレース活動と関わりがあるように、MGAにおいても多くの戦歴を残している。

改良型ボディでのル・マン24時間レース、セブリング12時間への参戦や、ミッレ・ミリアやラリー・モンテカルロなどのラリー競技にも親会社BMCのワークス活動の一環として活躍した。

MGB同様、プライベートチームでのトライアル競技への参加や、イギリスのMG所有者団体であるMGCC及びMGOCでの模擬レースへの参戦は、現代でも盛んに行われている。

現在
旧ローバーグループの一員の財団BHMIT(ブリティッシュ・ヘリティジ・モーターインダストリー・トラスト)傘下のBMH社(ブリティッシュ・モーター・ヘリティジ)が、MGAの部品の再生産を開始しており、新品入手が不可能な部品も一部見受けられるが、この手のヴィンテージカーの中ではMGBに準じて維持は楽である。

生産当時の純正部品を置き換える部品供給に加え、近年の技術を加味した改良部品や、競技向け部品もイギリスでは豊富に入手できる。」

 

(出典:ウィキペディア「MGA」(英語)MG MGA - Wikipedia、「MG・MGA」(日本語)MG・MGA - Wikipedia

 

 

毎年、春と秋に開催する素敵なカーライフイベントの紹介となれば良いな、と思いつつも

 

楽しみながら記事を書き進めたいと思います。

 

次回も、どうぞお楽しみに!

 

 

所長 楊田芳樹

 

前のシリーズ

20210220オール日産大商談会inコンベックス岡山1 2021-06-16 07:00:00

 

前のシリーズ

NISSAN_NEXT_in_CONVEX_OKAYAMA_20210109-11_1外観・全体 2021-01-20 07:00:00

 

 

2021春ベッキオバンビーノにて撮影させて戴いたクルマ達

MG-A_1958

 

MG-A_1957

 

MG-A_1955

 

MG-TC_1949

 

MERCEDES_BENZ_190SL_1957

 

JAGUAR_XK120_OTS_1951

 

MERCEDES_BENZ_170S_CABRIOLET 1950

 

ERMINI GILCO 1100GP    1948

SIMCA8 SPORT BARQUETTE    1938

 

MG PA RACER    1934