東京にいたら気づかないこと | ほんえすんの制作ノート

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編集者・ライター・絵本作家として活動する洪愛舜ともうします。webマガジン「目黒駅前新聞」編集長、絵本はひらがなのほんえすんで出しています。
お仕事を通じてのアレコレや、子育てしていて感じたことなどもつれづれます。

というわけで、先週から東京を離れ、実家のある大阪で滞在しています。

子のことを思うとね……。

妊娠中という状態は、「身重」という言葉が本当にぴったりで、

自分ひとりだったらなんてことないことでも、子の命を背負っている分、

自分の意志だけでは決められない、動けないことも多いんだなと感じます。

やきもきしてしまうこともありますが、それも母になる「責任」だ!

ですよね。

さて、13年ぶりの実家暮らし。

まだ1週間ぐらいですが、

東京で暮らしていたら「当たり前」だと思っていたことって、ちっとも

「当たり前」じゃないんだ、と思うことが多いです。


私は大阪の堺という、大田舎ではないけど都会でもない町で生まれ育ちました。

とりあえず、免許を持っていない私は、

どこに出かけるにも20分以上歩く必要があるんですが、

先日、てくてく30分くらい歩いて買い物にでかけたんです。

帰る頃にはすっかり夜になってしまったから帰路を急いでいると、

雨が降ってきたんですよ!

先のことは何も考えないで生きている私は、

当然傘など持っているはずもなく、

ずぶ濡れになりながら帰ってきました……。

ビニール袋をニット帽のようにかぶってなんとか頭だけは守りました。

はっきり言って、東京で暮らして10年、私、

マリー・アントワネット的価値観になっていました。

傘がなければコンビニで買えばいいじゃない。

タクシーに乗ればいいじゃない。

どこかで雨宿りすればいいじゃない。

そんな感覚でした。

でも、ここでは、帰り道にコンビニなどひとつもなく、

流しのタクシーだって通らない、雨宿りできるお店もない。

傘を持っていかないということは、すなわち濡れるということを意味してるのです!

東京にいたら、感覚がマヒしてしまっていました。

でも、日本で暮らすほとんどの人は、この感覚なんですよね。

東京的価値観が、当たり前になってはいけない。

そう感じて、寒かったけど、勉強になりました。


なんだかちっぽけな内容ですみません。

でもまぁ、当ブログがもとの「ゆるゆる庶民ブログ」に戻ったということで……。

カメラ実家から見る夕日。
econ日記。  編集プロダクション「エコン」のブログ -110322_1757121.jpg

空が広いです。