平和をもたらすものは・・・
妖怪ウォッチシャドウサイド 鬼王の復活 では、
不動明王が
「なぜ、力を欲する」
という問いに対して、
義経がいいます。
「我が求めているものは力ではなく、[和]だ。
和とは皆が平和に暮らせる穏やかなる平成のこと。
そのため、わずかひととき 貴殿の剣、我に預けるがよい」
というセリフがありました。
「平成」の次の元号どうなりますでしょうか?
?(^-^; )
これまでの近い年号を見てみますと、明治・大正は政治や価値観の変化を表現しているようであり、
昭和、平成は平和を求めるような表現になっているように思えます。
それでは、平和を成すために大切なもの、必要なものは何でしょうか?
? (o’-‘o) ?
私は環境、生き物に対する思いやりがとても大切だと思います。
自然と共生していく意思と行動がともなうような社会になって行けばと。
(*・∀-)☆
私達にとって衣食住などに必要なものの多くは、
自然環境を通して多くのものを受け取って生活をしております。
受け取ったものは預かりものだと思い、
何かの形にかえて自然環境に良いお返しができることが必要だと思います。
環境問題、例えば汚染やプラスチックなどの誤飲、乱獲によって
生き物が苦しむことがない安らぎのある未来であって欲しいです。
p(´⌒`q)
人の生活においても、
穏やかな平穏の中で力を発揮できるような社会に向かっていくことが必要ではと思います。
安らいでいる(リラックス)している時でも、脳は良く働いており、
思いがけないひらめきをもたらすと言われていたりします。
社会のシステムも安らぎをベースに進んで行きましたら、平和的でいいなぁと思います。
(*^▽^*)
自分も他者も心身を削らなければならない状況に置かれたり、
心身を削る働きを強いられる社会よりいいですよね?
安らいでいる時は、時としてまわりから見ると怠けているように映るかもしれませんが、
意外といい考えが浮かんだり、考えがまとまったりすることもありませんか?
(*゜▽゜)
共生によって安らぎがあり、安らぎがより共生しやすくするメカニズムを作り出していき、
さらに多くの安らぎをもたらし、共生しやすいメカニズムを作り出していく・・
共生による安らぎが循環することによって、多くの生き物が住みやすい世界になればと思います!
(*・∀<*)
自然環境に対して配慮し、共生を目指していくことによって、
安らぎと活力のある社会をめざしていこうとするスローガンを元号にするとしましたら、
共安
という感じになるでしょうか。
ヾ(〃゚―゚〃)ノ
環境を連想させる元号が採用されるかわかりませんが、
環境(eco)を連想させる言葉を用いることは奇抜なことではないかもしれませんよ。
(*゜▽゜)
例えば、キリスト教の聖人にアッシジのフランシスコ(聖フランシスコ)という人がいました。
聖フランシスコは清貧と謙虚であったといわれ、
自然環境保護の守護聖人として知られているそうです。
(*^―゜)
今のローマ教皇フランシスコは聖フランシスコから名前を拝借しているそうです。
ローマ教皇が名前を決めるときは、名前の由来となった聖人の生き方を模範とするそうです。
フランシスコ教皇も環境保護を呼びかけることもあるそうですが、
環境保護に良い影響があればと思います。
(^_^)
もしかすると、フランシスコという言葉を耳にされると、
環境を想う気持ちが湧きあがる人々もおられるかもしれません。
(*゜▽゜)
新元号も環境を想う気持ちがわき上がるようでありましたらと思います。
(*・∀-)☆
さて、
自然環境保護は動物と人との共生が大切です。
ヾ(〃゚ー゚〃)ノ
聖フランシスコが自然環境保護の守護聖人とされている由来のエピソードの中に、
人とオオカミが共生できるようになった村の話があります。
聖フランシスコとオオカミと村人との話を要約して紹介したいと思います。
\(´∀` )
聖フランシスコとオオカミと村人
聖フランシスコは生き物と会話ができたという話しがあります。
12世紀、聖フランシスコが住むアッシジの地方にはオオカミが住んでおり、
家畜や人を襲っていました。
ある日、聖フランシスコはオオカミに対して対等な関係で語りかけたそうです。
オオカミが羊や人を襲うのはお腹がすいてやむをえないからであったのだから、
これから足りない食べ物を村の人からわけてもらえるようにするので、
家畜や人を今後は襲わないように。
オオカミは同意し、家畜や人を襲わないと誓いました。
聖フランシスコは村人にも村人がオオカミに食べ物を与えるように説得したそうです。
家畜や村人を襲って憎まれていたオオカミは、食べ物を分けてもらえるようになり、
村人に危害を加えることがなくなりました。
オオカミと村人が共に生活をしていくと、
村人はオオカミに親近感を持つようになったそうです。
オオカミと共に生活することによって得られたものは、
オオカミに与えた食べ物より多かったと思います。
時は流れ、オオカミが亡くなった時は、多くの村人がオオカミの死を悲しんだそうです。
このような由縁があり、
アッシジの地方ではオオカミが現在に至るまで生息していると言われています。
悲しい出来事は少ない方がいいですが、
このような形で悲しみがおこることは奇跡のようなものと思います。
オオカミと村人の関係が敵対する関係でありましたら、
オオカミが死んだとき村人はオオカミの死を喜んだことでしょう。
そのような状況の中で、オオカミと共生することの大切さに気がつき、価値観が変ったのですから。
(*v.v)。
聖書の中でも、イエスがある女性に
「子供達のパンを取り上げて、子犬に与えてはいけない」
といったことに対して、
「子犬も子供達が落としたパンくずを食べます。」
女性が言い、イエスを論破したような話があります。
(マルコ7・24)
このこぼれたパンくずによって子犬が子供になつき、
子供も子犬を愛しく思うようになるのではと思います。
例えば、1人の子供がパン1個食べないとお腹が満たされないとき、
そのパンを子犬にも分け与えなさいと言っても、子供はパンを子犬に与えないかもしれません。
しかし、パンくずがこぼれるようなパンを子供に与えれば、
子供は子犬にパンを与えるつもりがなくても、こぼれたパンくずを子犬も食べます。
子犬はパンくずを子供が与えたものと思ってなつきます。
なつく子犬に対して、子供も子犬が愛おしくなると思います。
パンを全部1人で食べるより、
多少お腹が空いても分け与えた方が良いと思うようになるかもしれません。
1個のパンを子供は子犬と分け合い共に食べ、
子供は自分自身や子犬がひもじくならないように、
1人、1匹のお腹を満たす2個のパンが得られるように進んで勉強したり、
仕事をするようになるかもしれません。
環境保全に力を入れることは、
パンくずを出すようなパンを選んで食べるようなものに似ているかもしれません。
(o゚▽゚)
自分の1つのパンは丸ごと1人で食べたくなりますが、
あえてパンくずを出してみると、何か大切に思えるものと出会えるかもしれません。
そして1つのパンも2つに・・もしくはさらに多くを得ることに繋がるかもしれません。
(*・∀<*)
環境問題は目を覆いたくなるような事柄はたくさんありますが、
それを少しずつでも改善していき、自然と共生できる道を探っていくことは、
本当に多くのものをもたらしてくれると思います。
(*・∀-)☆
以上になります。
( ´∀`)
いよいよ明日で新元号に変りますが、
なにかいい感じの気持ちを抱かせてくれる元号だといいですよね。
(*・∀-)☆
「世界はトモダチ! みんなマモルぜ!ガッツ!!」
余談) 私個人的に力が湧いてくる元号は・・
すごく、プライベートな内心ではありますが・・
もし私が独断で元号を決めていいのでありましたら・・・
円環
にします!
p(,,`・ω・´,,)q
もし日常でこの言葉が聞けたなら、
幸せの気持ちと力が湧き上がりそうです!
(^▽^)
元号の発表が4月1日ですから、ウソでいいので、
新元号は「円環」です!
とか流れないかなぁ。
まあ・・ありえないことですので、せめて心の中で
今年(2019年)は円環9年!( ̄∇ ̄)
と秘かに妄想したりしています。
( ̄―☆
(↑ おいおい。(;¬д¬)
お前の頭の中には「まどか☆マギカ」しか入っていないのか! )
投稿日時 2019/03/31