討論番組の論者が議論を盛り上げようとするとき、週刊誌がお目当ての事件を論じるとき、
よく使われるのこの『我田引水論法』です。

なぜ、私にこんなことがわかるのかというと、
このブログ(この記事の含め)の記事がまさに『我田引水論法』で書かれているからです。(!)
(この論法を使うと、どんな出来事にも自分の好きな意見を勝手気ままにかくことができるのです)

我田引水論法とは、、、

簡単に言うとある出来事とある出来事から自分が推測した事柄に自分の意見を乗せて論じる方法です。

「自分の推測に自分の意見をのせる」から我田引水論法といいます。(私が勝手に命名しました)

ここでミソなのが「自分の推測」ということです。
果たしてこの推測はどれほど妥当なものなのか、、、
学術的な論文でしたらあらゆる証拠を挙げて推測を評価し、その”位置づけ”行わなければなりません。

しかし、討論番組やニュース番組では次から次へと話題が振られるので、
いちいち「推測」を評価し、ましてや”位置づけ”るということはできません。

話題が次から次へと振られている間はそれでいいのでしょうが、問題となってくるのは、
ちょっと、話題が立ち止まって、議論が深くまで及ぶときです。

そのようなときに、”推測の位置づけ”を行わないで「我田引水論法」を続けていると、
お互い”自分の推測”がずれているため、
結局、話がかみ合わず、感情むき出しの大声大会になってしまうのです。

もちろん、人間のこういった能力(我田引水論法)はとても重要で、
科学的な発見や大発明、芸術等における独創的アイディアはもちろんのこと
日常のあらゆる判断も、これなしにはできません。

しかし、討論のときにこれがあまりにも反発されると、
「たけしのTV○ックル」や「朝まで○テレビ」、はたまた週刊誌のつり革広告のようになってしまうのです。

それはそれでおもしろいのですが、
「あ、ここ今、我田引水だ」と気づくことも大切だと思います。
富山の高校が、日本史や地理を選択した生徒に、
受験で必要ないという理由で世界史の授業を行わなかったことが問題になっている。
(通常は1年生か2年生で必修となっている)

今日の日経新聞には「小学生からの東大オープン」
とかなんとかといううたい文句の模試の広告が載っていた。

かなしいかな
彼らは一体自分が何のために大学行くのか理解していないようだ。
(小学生に至っては理解する必要さえあるのか)

一方、少し前に大学生新入生に行ったアンケートがニュースになっていたが、
新入生が大学を選ぶ基準の第一位はブランド、第二位が資格と就職だった。

そして、大学生の一番の不満は「講義がおもしろくない」だった。
(もちろん、講義する側に問題がある場合もあるが、、、)
(「講義がおもしろい」と答えた学生もいる(!))

結局、大学を選ぶ基準の多くは「大学で何をするか」ということには触れてない。
こうした結果が、受験に関係のない授業はとる必要がないという感覚へつながるのではないだろうか。

なるほど、確かに弁護士や会計士になるだけだったら、世界史はいらない。
おそらく、大学でも資格に関係のない授業は面白くないだろう。

(しかし、高校で世界史を習ったことない人が『弁護士』になって専門家を名乗っていたらこれほど滑稽なものはない。
 なぜなら、彼はあらゆる興味分野から弁護士を選択したのではなく、最初からそれに関するものしか知らないからだ。
 そういうのは『専門家』とは言わない、と私は思う。)

そもそもそういう人は大学に行く必要があるのだろうか。


もちろん、
弁護士は法科大学院を卒業する必要があるし、大学生活を資格取得に注ぎ込むことを非難する気はない。

では、なぜその人は資格を取ろうとするのか。

ブランド、就職、年収。。。

結局、そこに『自分』というものが反映されず、
そういった思考が受験や大学の授業を受ける態度へと引き継がれる。

まったく人間味というものがない。
手段と目的を入れ違えていることに気がつかず、
ただ『考える試験』『自分の表現力を試す試験』と銘打たれた
試験問題を解く機械となってしまっているのだから。。。

(これは、個人の問題というより社会のそういう風潮の問題だろう)

最近、新しい記事を書いても、
サーバーが混んでるのかアップされず、消えてしまうことが何度かあった。

30以上かけて記事を作成する場合は、こまめに下書き保存してください。

って、

サーバー増強せんかい!!CyberAgentさんよ~
突然ですが、私の本名は

Ριουιτσι Ουαταμπε

です。(ファーストネーム ファミリーネームの順で書きました)

最近、ギリシャ語に興味を持ち出したので
手始めに自分の名前を調べてみました。。。


なめてました。。。


30分で挫折しました。。。


もちろん興味は失われませんが、こりゃ使えるようになるためには果てしないな、と、、、

単純にアルファベットじゃない言語を覚えるのは私には無理のようです。。。。

でも、もしNHKとかでギリシア会話講座とかやってたらみちゃおっかな!?


ΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩαβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

今年のノーベル経済学賞は、コロンビア大学の

エドモンド・フェルプス教授に決まりました。

この受賞は、マクロ経済におけるインフレ率と失業率の関係の分析に対してだそうです。


(このおっちゃんです。)

ケインズ派から受賞者が出るとは、ちょっと珍しいことなのかもしれませんね。
それに詳しくは知りませんが、もし単独受賞だとしたら、
これも1999年のマンデル(マンデル=フレミングモデルの”あの”マンデル)以来のことですね。


はぁ~
自分もこういうふうになりたいなぁ~

ところで、ノーベル経済学賞は、正確にはノーベル賞ではありません



ノーベル賞とは、ノーベルの遺言によって1901年に設立された賞ですが、
その中に「経済学」というのは本来含まれていません。

ノーベルの遺言にあったのは、物理学、化学、医学生理学、文学、平和、だけです。

では、いつノーベル経済学賞ができたのかというと、
それは、

1969年に、ノーベルの遺産を預かっているスウェーデン銀行が創立300周年を記念してつくったのです。

だからノーベル経済学賞の正式名称は、

『アルフレッド・ノーベル記念経済科学スウェーデン銀行賞』
(The Bank of Sweden Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel)

なのです。

スウェーデン銀行がなぜか自分たちの創立300周年記念に作ってしまったこの賞に対して、
ノーベルの子孫たちは猛反対をしています。


「なぜ経済学なのか?経済学は果たして科学といえるのか?そもそもノーベル自身は経済が好きではなかった」
といろいろ叩かれています。

だから、数年後には、なくなりはしないものの、ノーベルという名前はつかなくなってしまうかもしれないのです。

しかし、正式なノーベル賞ではないにせよ、
選考方法や授賞式、賞金などは他のノーベル賞と同じ扱いを受けています。

ところで、今のところ、この通称「ノーベル賞」を日本人が受賞したことはありません。
他のノーベル賞はみんな受賞しましたが、このノーベル賞だけは日本人が選ばれてことはないのです。

(ひそかに私が狙ってたりして、、、フフフ、、、)

なぜ、日本人は受賞することができないのか?

私が思うに。その理由は、やはり「経済学」という学問が持つ特殊性にあるとおもうのですが、
その話はまた今度。。。
さてさて、いよいよ結論を出す最終回です。

これまで、やってきたことを今一度振り返りましょう。

一回目では、買い物の回数を10回にしてやってみたところ、
現金支出総額が最も低いのは
『ポイントを4回貯めて次の買い物で使う』
という行動でした。

総支出額が最も低いのは
『ポイントを10回貯めて次の買い物で使う』
という行動でした。


二回目では、現金支出総額と総支出額の意味を再確認し、
買い物の回数を1000回にしたとき、
日常の感覚と整合の取れた結果が返ってくるという結論を得ることができました。

みなみに、このとき、
現金支出総額が最も低いのは
『ポイントを9回貯めて次の買い物で使う』
という行動でした。

総支出額が最も低いのは
『ポイントを1000回貯めて次の買い物で使う』
という行動でした。

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

それでは、今回はというと、これまでの分析でわかったことを整理して
『どのくらいポイントを貯めて買い物をするのが得か!?』
という結論を出したいと思います。

まず、
前回『得』の示す二つの意味をまとめましたが、

後者の『得』、つまり総支出額がもっとも低い行動について考えます。

これまで集めた結果からすると、
10回の買い物では10回貯める行動、1000回の買い物では1000回貯める行動
となっているので、

つまり、後者の『得』を得たいのならポイントを極限まで貯めて一気に放出するのが『得』となります。
ポイントを極限まで貯めておけば、次の買い物がタダで済みます。よって、『得』になる。

とても常識的な結果でした。

では、前者の『得』、つまり現金を極力抑える行動について考えます。

10回の買い物のときは『4回ポイントを貯める行動』
1000回の買い物のときは『9回ポイントを貯める行動』

が最も『得』という結果でした。

この結果が意味するもの、それは
『ポイントをどれくらい貯めればよいかという結論は、
 決定的には導くことができない

ということです。

つまり、確率的にしか語ることができないのです。

そこで、実際に二回目で使った買い物データを再利用し、
10~1000回の買い物(つまり990パターンの買い物)について
0回貯める行動~10回貯める行動で、
何回貯める行動が最も高い割合で『得』できるかを集計してみました。

(前回の分析より、
 『10回より多く貯める行動』は『10以下貯める行動』より現金支出額が多くなることがわかっているので、
 今回は10回までしか分析しません。)

結果は、、



圧倒的に、『0回貯める行動』、つまり『毎回貯まってる分のポイントを使う行動』が
最も現金支出を抑えられる確率が高いなりました。

これも、当たり前の結果ですね。

毎回ポイントを使ってるわけですから、現金支出が低いのは当たり前です。

しかし、ちょっとまってください。

今回考えたいのは『”何回貯めれば”得か』という問題でした。

よって、『その結果は0回でした』ではちょっとものたりません。
実際、人はポイントを貯めたいと思うのですから、そうした現実の人の行動も分析したいものです。

そこで、0回という部分を無視すると、、、

面白いことに、1回~6回までは、ほぼ同じくらいの確率なのに対して、
7~10回は極端に確率が低くなっています。


7回、8回に至っては、得をする確率は0回です。

よって、、、

結 論




ポイントを貯める場合は、











(4000円前後の買い物分を)










6回までが良い!!









可能性が高い。。

くれぐれも7回、8回と貯めないようにしましょう。









こうして、この世に新しいトリビアが生まれた。。。。

『会長、今回のトリビアの種、何分咲きでしょうか??』
 
さぁ~って

前回は、分析の大筋を見てもらいましたが、
今日は、もっとくわしく分析したいとおもいまぁ~す。

前回は、買い物の回数が10回だったため、ポイントを貯めるパターンも
最大で10回までしか分析できませんでした。
そこで、今回は思い切って買い物の回数を1000回に増やしました~アップ

商品の値段も、前回は私がテキトーに決めた価額でしたが、今回は、
恣意性を排除するために、平均2000、標準偏差1000の正規乱数を
1000個×2セット発生させ、それを足したものを商品の価格とします。



一番安い商品で106円、一番高い商品で9473円、平均が4009円です。
ちょっと平均が高い気がするけど、まぁ妥当なところかと。。

(結果、1000回の買い物の合計額は400万8587円になりました。
 まぁ、こんなに買い物する人はめったにいないでしょうが。。。。)

これを前回と同じ方法を使って、現金の支出合計、残存ポイント数、そして総支出額を算出します。

ここで、結果を見る前にもう一度、求める値とこの分析の意味を考え直してみましょう。

そもそもこの分析は、
『どのようにポイントを貯めたり使ったりすれば得か!?』
ということでした。

ところで、ここでいう『得』には二つに意味があります。

一つは、
「ポイントを使うことによって現金の支出を抑えることができ、その現金を他のお店で使うことができる。」
という意味での『得』。

もう一つは、「ポイントを貯めておけば次のヨドバシカメラでの買い物が安く買える。」
という意味での『得』です。

つまり、前者はポイントを使うことによって得られる『得』、
後者はポイントを貯めることによって得られる『得』です。
こう考えれば、現金支出総額は前者の『得』を表し、
総支出額は後者の『得』を表しているというのも分かります。

そしてここまで分かれば、わざわざ分析なんてしなくても常識で結果がどうなるか検討がつきます。

要するにポイントを毎回使えば、前者による『得』が得られるし、
ポイントを全く使わなければ後者による『得』が得られるのです。

結果は分かってるけど、一応分析してみます。

横軸は何回ポイントを貯めたかという回数。
縦軸はそれぞれの金額です。


かなり荒い分析ですが、以上のグラフのようになりました。
(おそらく、細かく分析して、横軸の値ももっと良くすれば、きれいな曲線になると思います。)

総支出額はマイナス項目で0に近いほうが得です。(つまり1000回貯めるのが一番得)
現金支出総額はプラス項目で0に近いほうが得です。(つまり0回貯めるのが一番得)

やはり、買い物の回数を増やし、
数値を大きくすれば大体日常の感覚に合った結果が得られることが分かりました。

当然といえば当然ですが、
前回も見たとおり、例えば0回~100回の間をよ~くみてみると、意外なことがわかったりします。

では、実際にやってみるとどうなるか!?
それは次回のお楽しみ・・・
ヨドバシカメラで買い物をするとき、
ポイントを買うか貯めるか本気で迷うのは、私だけ、、、、


 買い物をしたら現金で払った分の10%をカードに貯めて、次回現金の換わりに使うことができる。

この一見単純に見える仕組みにも、意外なことが隠されているかもしれない!!

そう思って、Excelの関数をいろいろを使ってシミュレーションしてみた。

シミュレーションを行うにあたっての仮定は以下のとおり。

1.買い物は
  5000円、2000円、3000円、4000円、6000円、7000円、2000円、1000円、5000円、2000円
  のものを順番どおりに買うとする。(計10回の買い物、総額37000円)

2.ポイントの使用は、
  貯まるたびに使う人、1回貯めて次の買い物で使う人、2回貯めて次の買い物で使う人・・・
  ・・・10回貯めて次の買い物で使う人(つまりポイントをすべて貯める人)
  といったパターンを設け、そのパターンごとに分析を行うこととする。
 (5回以上9回以下ポイントを貯めるということは、10回の買い物のうちポイントを使う機会は1回しか訪れない。
  あとは、タイミングの違いだけ。)

3.最初に1000ポイント(円)貯まっているものとする。

4.分析は、支出現金の総額(-)、最後に残ったポイント(+)、
  そして、支出現金の総額(-)に最後に残ったポイント(+)を加えた「総支出額」をもって行うこととする。

5.実際のポイント計算方法は知らないが、ここでは小数点はすべて四捨五入する。

で、分析を行ってみた。。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

結果は以下のとおり、


貯める回数 支出現金総額 残存ポイント 総支出額
0 32864 151 (32714)
1 32862 148 (32714)
2 33283 611 (32672)
3 34000 1400 (32600)
4 32740 14 (32726)
5 34000 1400 (32600)
6 35000 2500 (32500)
7 36000 3600 (32400)
8 33000 300 (32700)
9 35000 2500 (32500)
10 37000 4700 (32300)
かなり厳しい仮定だけど、いろいろ考察に富んだ結果が得られた。

まず、全くポイントを使わずすべて貯めた場合(10回ポイントを貯める行動)、
最初にあった1000ポイントに買い物総額37000円の10%を加えた
4700ポイントが最後カードの中に残っており、一般の感覚と整合している。

ちなみに「総支出額」が最も低いのも、この行動だ。
よって、現金を持つか、ポイントで持つか、全く気にしない人なら
極限までポイントを貯めて一気に放出したほうが得ということになる。

次に、1回貯めて次の買い物でポイントを使うという行動は
毎回ポイントを使うという行動と「総支出額」が等しい。
これは、おそらく買い物の回数が10回以上になっても同じ結果が得られるだろう。
この結果も、常識で考えればわからなくもない。

そして、今回の分析で最も面白のが、
4回貯めて次の買い物でポイントを使う人が、
もっとも「現金支出総額」が低い
という結果だ。

人間よほどのポイント好きでもない限り、
ポイントがいっぱいあるより、お財布にお金があるほうが良いに決まっている。

そこで、最も現金の支出を抑えることができるのが、
この4回貯めて次の買い物でポイントを使うという、なんとも微妙な行動なのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今回は、いろいろとおもしろい結果が得られたが、
これはただの一回の実験の結果に過ぎない。
(学術論文だと、このシミュレーションを最低1万回はやらなくてはならないΣ(゚д゚;))
買い物の回数も10回じゃ少ない。
ポイントもおそらくほとんどの人はランダムに使ってることだろう。

そこらへんが今後の課題だな。

これから、このブログでさらにこの分析を精緻していこうと思う。

もし、疑問、意見がある是非コメントを~~
東京都が行ってきた国旗の掲揚と国歌の斉唱に違憲という判決が言い渡されました。

私は、これには賛成ですね。

国旗や国歌を義務図けることを法令で定めてしまうこと自体に、少々抵抗を感じます。
とくに、教育という観点において、、、

新しく総裁になった安倍氏は、任期中に教育基本法の改正を掲げていますが、
おそらくこの国旗国歌問題が本格的に絡んでくるものと思われます。

それだけはやめてほしい。。


なぜかというと、、、もう言い古されたことかもしれませんが、

「教育」という場で、国旗や国歌を強制するということは、
個人の心情を侵害する虞があるからです。

確かに、国に対して誇りを持つことは大切です。
しかし、それとこれとは別問題。

例えば、教員だけでなく生徒の国歌の斉唱が強制されるとどうなるか、、、

斉唱が強制なので、ただつっ立ってるだけではいけません。
ちゃんと声を出さなくてはいけません。

また、そのように声を出さない生徒に対しては、
教員が”必ず”指導しなくてはなりません。

それでも声を出さなければ、その生徒は、入学式や卒業式などに出席してはならないことになります。

もちろん、教員が声を出していない生徒を黙認すれば、その教員が処罰されることになります。

それが、法律で強制するということなのです。

石原都知事は、
”今の生徒は真面目に授業を受けていない。そのために統一的なものが必要”みたいなことを言っていましたが
こう考えると、いかに矛盾したことをいっているかよくわかります。

たしかに、ここに上げた例は極端に思えるかもしれません。
しかし、法令としては、こういうことが可能なのです。

もし、法令ができてもこのようなことは起こらない、多少は妥協されるはずだと、思うのなら、
そんな法令は最初からいらないのです。

国旗国歌法が最初にできたとき、これは国歌斉唱を強制するものではありませんでした。
しかし、それが今強制されようとしているのです。

最初に妥協的な案をちらつかせ、後から変えていく。。
それが今の政治で多い手口のような気がして残念です。
ホンット、わたくしごとで申し訳ないのですが、

ついに「英語の夢」を見ることに成功しました!!


寝る前に横になって、てきとーな英語の独り言いってたら、

アラ不思議、夢の中でも英語をしゃべってるではありませんか。

しかも夢の中に出てくる人達もみんな英語をしゃべっています。

そして、その日はその感動とともに起きることができました(。>0<。)

これまで見た勉強の夢は、受験時代に見た「現代文」の問題を解いている夢か、

ここ数ヶ月の間に見た数学の微分積分を解いてる夢をみるくらいでしたが、、

ついに、

ついに、、、

英語の夢だ~~(゚∀゚)

お世辞にも英語のできなくて、若干まわりにコンプレックスを持っていた私にとって、

これは何よりうれしい夢なのです。ちょっと自信になりました。

今思えば、どんなこと話してたか思い出せないし、文法とかあってたか分からないけど、

あ~あ

もう一度みたいな~゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆