討論番組の論者が議論を盛り上げようとするとき、週刊誌がお目当ての事件を論じるとき、
よく使われるのこの『我田引水論法』です。
なぜ、私にこんなことがわかるのかというと、
このブログ(この記事の含め)の記事がまさに『我田引水論法』で書かれているからです。(!)
(この論法を使うと、どんな出来事にも自分の好きな意見を勝手気ままにかくことができるのです)
我田引水論法とは、、、
簡単に言うとある出来事とある出来事から自分が推測した事柄に自分の意見を乗せて論じる方法です。
「自分の推測に自分の意見をのせる」から我田引水論法といいます。(私が勝手に命名しました)
ここでミソなのが「自分の推測」ということです。
果たしてこの推測はどれほど妥当なものなのか、、、
学術的な論文でしたらあらゆる証拠を挙げて推測を評価し、その”位置づけ”行わなければなりません。
しかし、討論番組やニュース番組では次から次へと話題が振られるので、
いちいち「推測」を評価し、ましてや”位置づけ”るということはできません。
話題が次から次へと振られている間はそれでいいのでしょうが、問題となってくるのは、
ちょっと、話題が立ち止まって、議論が深くまで及ぶときです。
そのようなときに、”推測の位置づけ”を行わないで「我田引水論法」を続けていると、
お互い”自分の推測”がずれているため、
結局、話がかみ合わず、感情むき出しの大声大会になってしまうのです。
もちろん、人間のこういった能力(我田引水論法)はとても重要で、
科学的な発見や大発明、芸術等における独創的アイディアはもちろんのこと
日常のあらゆる判断も、これなしにはできません。
しかし、討論のときにこれがあまりにも反発されると、
「たけしのTV○ックル」や「朝まで○テレビ」、はたまた週刊誌のつり革広告のようになってしまうのです。
それはそれでおもしろいのですが、
「あ、ここ今、我田引水だ」と気づくことも大切だと思います。
よく使われるのこの『我田引水論法』です。
なぜ、私にこんなことがわかるのかというと、
このブログ(この記事の含め)の記事がまさに『我田引水論法』で書かれているからです。(!)
(この論法を使うと、どんな出来事にも自分の好きな意見を勝手気ままにかくことができるのです)
我田引水論法とは、、、
簡単に言うとある出来事とある出来事から自分が推測した事柄に自分の意見を乗せて論じる方法です。
「自分の推測に自分の意見をのせる」から我田引水論法といいます。(私が勝手に命名しました)
ここでミソなのが「自分の推測」ということです。
果たしてこの推測はどれほど妥当なものなのか、、、
学術的な論文でしたらあらゆる証拠を挙げて推測を評価し、その”位置づけ”行わなければなりません。
しかし、討論番組やニュース番組では次から次へと話題が振られるので、
いちいち「推測」を評価し、ましてや”位置づけ”るということはできません。
話題が次から次へと振られている間はそれでいいのでしょうが、問題となってくるのは、
ちょっと、話題が立ち止まって、議論が深くまで及ぶときです。
そのようなときに、”推測の位置づけ”を行わないで「我田引水論法」を続けていると、
お互い”自分の推測”がずれているため、
結局、話がかみ合わず、感情むき出しの大声大会になってしまうのです。
もちろん、人間のこういった能力(我田引水論法)はとても重要で、
科学的な発見や大発明、芸術等における独創的アイディアはもちろんのこと
日常のあらゆる判断も、これなしにはできません。
しかし、討論のときにこれがあまりにも反発されると、
「たけしのTV○ックル」や「朝まで○テレビ」、はたまた週刊誌のつり革広告のようになってしまうのです。
それはそれでおもしろいのですが、
「あ、ここ今、我田引水だ」と気づくことも大切だと思います。





