いつのことだか、
竹中大臣が「今、我々にできる最高の手段は勉強だ」と言ってました(ちょっと違ったかな?)が、
つまり、2006年はこれまで以上に知的社会というものが強調されていく年ということでしょう。
私は知的社会というものに現代日本のほとんどの社会問題が関係していると思います。
景気や教育、年金問題も包括していると思います。

知的社会と聞くと、知的財産の囲い込み合戦のようなイメージがありますが、
そればかりではだめのようです。
今、世界のトレンドでは知識の公開、共有化が進んでいるとのことです。

このような現象は経済学ではあまり想定されていなかったことであり、
私たち日本人が少し苦手とするところです。
知識を共有し、独自の知恵を働かせる。。。

大切なのは知識から知恵を生む個性です。
しかし、今の日本教育はこのような方向に向いているとはいえません。
個性の尊重を過剰に掲げ、幼いうちから科目選択などを導入することは、
知識の範囲を狭め、逆に個性の可能性を殺しているように思えます。
私は、むりやり学んだものの中にも、自分でも意外な発見があると思います。
それが個性だと思うのです。
誰かに教えてもらったり、自分から追及するものでもないでしょう。

<なんでも、吸収してやるという気持ちが大切でしょう。
この年末年始の空いた時間で読んだ本をご紹介します。



コロンビア大学のMBAを卒業したケンジとジェイミー、物理学を研究しているヤンの3人が
経済物理学(Econophysics)を駆使したファンドを立ち上げ、
果敢にもウォール街に挑戦状を叩き込む、いわば青春金融小説(?)であります。
(しかし、主人公は30代前半、、、)

経済物理学とは、現在でも経済学の最先端分野であり、
複雑系やカオス論などの概念を使って金融市場の法則性を発見しようとするものです。

この本の魅力は、その情報量の多さです。
ただの情報の羅列と揶揄する方もいますが、
実在した人(しかもかなり偉大な)の名前をもじった登場人物がいたり、
実際に行われた研究の論文がなにげなく登場したり、
さりげない表現とわかりやすい用語の解説が
物語を盛り上げると同時にファンドや金融界の理解にもつながっていると思いました。
(ただし、2、3箇所誤っている部分があるそうです。。。)

そして、物語自体は青春ものなので、
ロケットボーイズばりのさわやかさ!!

テーマは『お金』とは何か。
金融市場で取引される何億、何兆円というお金と、
私たちが普段使っている何百、何千円というお金は同じものなのか?
たくさんお金を稼ぐことはいいことなのか?悪いことなのか?
お金を稼ぐ意味とはなんなのか?
結構、考えさせられました。

今では小学生でも、株式投資をする時代。これからもこういう本は増えていくのでしょう。
でも、本当に小学生にそういう教育は必要なんですかねぇ??
1月4日からお仕事という方が多いからか、2日3日はUターンラッシュのピークです。
新幹線や飛行機の席はほぼ満席で、高速道路も渋滞が続いています。



ところで、交通渋滞ってどうして起きるのでしょうか??
そんな、興味深い話が雑誌に載っていたので一部ですが紹介したいと思います。

渋滞はもちろん道路の許容量を超えた車が交通しようとするから起きるものです。
それは押し寄せる車に対する料金所の不足だったり、
事故によって一時的に道路の許容量が減少することに他なりません。

しかし、ある一定量(交通許容量を超えない量)の交通
つまりスイスイいけてる時でも、車が連なっているときは、
渋滞は自然と発生するものだということが、その雑誌に書いてありました。

それは、「サグ」と呼ばれるドライバーが認識することができないくらいの
勾配の変化地点が原因となって起こる場合です。

つまり、
①サグに車が差し掛かってもドライバーは認識できないのでそのままのアクセルを踏む。
②しかし、勾配の変化により車のスピードはわずかに(1km/hくらい)減速する。
③その後ろにいる車は、前との間隔が若干(数十センチ?)縮まるので、軽くブレーキを踏む
  このときの減速度は、前の車より大きい。
④同じように、その後ろの車は、前の車のテールライトを見てブレーキを踏む
  このときの減速度は、前の車より大きい。
⑤同じように、4台目、5台目、6台目、、、とだんだんブレーキが強くなって。
⑥やがて、さらに後ろに、別の車の連なりが追いついてくる
⑦あとは今までの繰り返しでどんどん車の連なりが長くなり、渋滞となる。

たとえ、2台目が車間を気にせず、ブレーキを踏まないとしても、
やはりサグで自然と減速するので3台目の車がブレーキを踏む可能性があります。
おお!!これは実にカオス的ではありませんか!?
最初は、ドライバーも気がつかないほどの減速が、車の間でだんだん増幅され、
やがて渋滞になるということです。

このような渋滞への対策は、やはり車の量をそれ以下にするしかないようです。

まだまだ続くUターンラッシュ。
ドライバーの皆様はお気をつけて運転してください
日本で経済学部と聞くと、” 学問的には経営学部より役に立たないことをやっているが、
就活では、どんなジャンルにも行くことができる”とか、
” 結局、なんでもありの学部” 要はつぶしのきく学部というイメージが強いようです。

そんななか、最新の「Newsweek」より、、、



アメリカで " 地味な人の学問 経済学が大ブーム " という記事がありました。

きっかけは、『Freakconomics(経済学フリーク)』という本からだそうです。


ほんの中身は、いろいろな事象(例えば、犯罪と刑罰や相撲の八百長など)を
経済学的に考えるというもの。
この手の本はいままでもたくさんありましたが、
この本はそのデータの精度と理論の適確性が人気の秘密のようです。
さっそく、わたしもアマゾンで注文!!感想とか、ありました後日ブログで紹介しますね。

この本のおかげかどうかはわかりませんが、
アメリカではハーバード大やニューヨーク大の経済学部に志願者が殺到しているらしいです。
かのアンジェリーナ・ジョリーもテレビで著名な経済学者とケニア経済について語るほどだとか、、、

経済学。。。おもしろいよ!!


あけましておめでとうございます~
昨年はお世話になりました。
今年もよ・ろ・し・く~♪

今年のお正月は友達の家でまた~り迎えまして、帰ってきて、
「朝まで生テレビ」と渡辺恒夫と中曽根の討論を日の出まで見てしまいました。
ナベツネもいいこと言うじゃん

そんな私も、ついに3年生です。
なんだか3年生は大学生活の中で一番重要な年のような気がします。

就活あるし、卒論はじめるし、
なにより、「学」に残りたい私にとっても正念場の年となるでしょう。

みんなはお正月は何をしているのかな?

ってか、ヤフーの回線がパンクしてるんですけど(+・・)//

みんなネットやってんの~~ (?_?)

スイスチョコレート史は、とりあえず今日が最終回。

前回はスイスチョコレート産業の黄金期と危機、そしてそれを乗り切ったところまでをみました。
その結果、伝統的なチョコ企業は、大企業に合併されてしまったのでした。

そこで、今回は、21世紀のスイスチョコ。。。
今のスイスチョコレートの状況と今後の課題について触れたいと思います。


現在スイスはチョコを年間約12万トンを製造しており、数の上では日本にすら劣ります。
しかし、スイス人はなんと年間、一人当たり11キロ以上のチョコレートを食べています。
これは日本のおよそ5倍です。(もちろん一人当たりの年間消費量は世界一位)

また、スイスのチョコレート企業は今でも、製品の4割以上をコンスタントに輸出しており、
産業全体では、国内消費以上の額を輸出しているのです。
主な輸出先はドイツ・フランス・イギリス・アメリカで、
これらの国で輸出量の約50%を占めます。
(日本の輸入チョコに占めるスイス産の割合はたった5%です。
 日本に多くチョコを輸入している国はアメリカと中国なんです。)

そして、スイスは自国のチョコレートを大変厳重に管理しており、
他の国が「スイス」の名前とスイスの名所の写真の入ったチョコを製造することはできません。
このような、体制が現在もスイスのチョコのブランド価値を高めている要因なのでしょう。

ちなみにスイスは、国内生産の約9分の1のチョコレートを輸入もしています。


(どんだけチョコが好きなんだ!スイス人!!)

これからのスイスチョコレートの課題。。。
それは、今までの伝統を活かして、どれだけ国際貢献できるか、ということです。

これはなにも大げさなことではなく、チョコレートの原料であるカカオは発展途上国が
栽培しているので、それを消費するスイスが担う役割は大きいのです。

そんな中、スイスで注目されているのは、フェアトレードです。
(フェアトレードは過去記事を参照されたし 「チョコレートから見る世界情勢」への一考察

そして、やっぱり大事なのはスイスのチョコレート企業はもちろんのこと
私たち消費者なのです。

(スイスのフェアトレードチョコは日本でも、商店やネットで買えます。)

私は、この辺のくわしいことを修学論文に書いたわけですけども、
今は出版上の都合により、ネットにのせるわけには行きません。
学内誌に載ったら、許可が下りるので、ここに書き込みするのは来年ですね。

と、いうことで、とりあえずは以上です。
スイスチョコレート史いかがだったでしょうか。

スイスのチョコレートは、伝統高く、かなり奥が深いことはご理解いただけたかと思います。
その奥深さゆえに、このブログに載りきらなかったところも多くありました。

わかりにくいところも多々あったと思いますが、読んでくださってありがとうございました。

 <では、よいお年を~~

前回は、19世紀のスイス人によるチョコレート技術革新までをみました。
20世紀に入るといよいよスイスチョコレートが世界のチョコレート市場を征します。

それでは、「その時歴史が動いた!!」(笑)

1899年、首都ベルンにチョコレート工場を開いた、ジャン=トブラーの息子
テオドールがいとこと共に1908年、かの有名な「トブラローネ」を発売しました。
このトブラローネは、いまではスイスの代表的なチョコとなり、もちろん日本でも買えます。


(成城石井に売ってました。)

また、このトブラー社は、1932年に初めて具をチョコでコーティングした製品を発売します。

19世紀末~20世紀初頭は、まさにスイスチョコレート産業にとっては、好景気でした。
それは、スイス観光の黄金時代でもあったため
スイスのチョコレートは瞬く間に世界に広まっていったのです。

中小様々なチョコレート企業が増え、産業人口は約20年で10倍に増えたとも言われています。
そして、どの企業も製造量の約4分の3を輸出し、世界市場として、
実に半数をスイス産のチョコレートが占めることとなりました。

ところで、このころになろになると、チョコレートはその効能に注目され、
戦争用の食料としても扱われるようになります。
そして、チョコレート産業も重工業産業同様、やがて戦争への依存度を増していくのです。


(現在でもスイス兵には専用のチョコレートが配られている。)

その影響が最初に現れたのは、第一次大戦終了直後でした。
戦争の終了によって、戦争依存度の高まっていたスイスチョコレートは、
一気に需要が減少してしまったのです。

また、その後の世界恐慌によって、通貨価値が下落すると、
原料であるカカオを輸入することさえ危ぶまれるようになりました。

第二次世界大戦が始まると、スイスは連合軍とナチスとの板ばさみにあいます。
そのため、砂糖とカカオの輸入が規制され、
ついにチョコレートは配給制となってしまいました。
世界中で高級チョコとして有名になったスイスチョコレートに危機が訪れたのです。

しかし、第2次世界大戦後、各スイス企業はそれまでの高級路線を転換し、
低価格なものも生産するようになり、再び産業全体としては好景気となりました。

ところが、そのため価格競争と新製品の開発競争によって、
カエレ社やトブラー社やその他多くの中小企業は、倒産、合併を余儀なくされたのです。
今では、そのような伝統あるほとんどの企業は、ネスレ社かフィリップモーリス社と
いった巨大企業グループの傘下に入っています。


(オートメーション技術の進歩によって低価格なチョコが可能となった)

今日はここまで。。
いよいよ次回は最終回です。
21世紀のスイスチョコレートについてみていきましょう。
チョコレート史において四大革命とは、19世紀に起こった、技術革新のことです。
このときにココア、固形チョコ、ミルクチョコ、コンチング(舌触りをよくするもの)
が開発され、一般化されたのです。
(固形チョコは17世紀には発明されましたが、一般化されたのはこの時代とされています。)

このうち、ミルクチョコとコンチングはスイス人による発明です。
今回は、その後のチョコレートに大きな貢献をしたこれらの発明を見ていきたいと思います。

今では、ほとんどのチョコレートがそうですが、
はじめて、ミルクチョコレートが開発されたのは、1875年のことです。

開発したのは、ダニエル=ペーター。
そして、それを援助したのが、今では日本でもコーヒーなどで有名な
ネスレ社の創始者アンリ=ネスレでした。


(ネスレ社はいまやスイスが誇る大国際企業です。)

これまで、苦いものだったチョコレートにミルクをいれて、
甘くマイルドなものにしようとする試みは、いろいろな国で試されていましたが、
温度調整が難しく、分離してしまっていました。

そこで、ダニエル=ペーターは、
ネスレが開発したコンデンスミルクをチョコレートに入れることを思いつき、
見事、ミルクチョコレートをつくることができたのです。

このコンデンスミルクは、アンリ=ネスレが、幼児用シリアス(今でいう粉ミルク)
を開発するためにつくったものでした。


(アンリ=ネスレ)

ちなみにこのダニエル=ペーターがチョコレートの道に足を踏み入れた
きっかけとなったのが、前回お話しました、
フランソワ=ルイ=カエレの長女と結婚したことです。
そして、偶然にも結婚後、すんでいた家がアンリ=ネスレの家の近くだったのです。
なんだか、運命的なものを感じますね。

その4年後、今度は首都ベルンのチョコレート工場で、
これまた、その後のチョコレートに多大な影響を及ぼす機械が開発されました。
それが、コンチングマシーンというもので、開発したのは、ルドルフ=リンツです。


(リンツ社のチョコレートは日本でも買えます。)

それまで、ざらざらしていたチョコレートを口の中でとろっととろけるようにしたのが、
このコンチングマシーンです。とろけるようになったおかげで、
それまで硬くて形をつくることのできなかったチョコレートを
いろいろ造形できるようになったのでした。

このように、今のチョコレート作りに欠かすことのできない技術の
大部分を開発したは、スイスでした。
そして、この技術革新のおかげでこれからスイスチョコレートは、
どんどん世界中で有名になっていきます。
次回はそこらへんをみていきましょう。

前回はスイスにチョコレートが伝播するまでを見てきましたが、
今日は、その後、スイスのチョコレートが世界的に有名になった要因とも言える、
歴史的発明がなされるまでをお話したいと思います。

スイスにチョコレートが、伝来したのは、
1697年にチューリヒの市長ハインリヒ=エッシャーが、ブリュッセルから持ち込んだことによります。
その後、青空議会などの集まりを通して、徐々にスイス国内に広まっていきますが、
1772年には、チョコレートは性欲を掻き立てる薬として、飲むことを禁止されてしまいます。

そんなスイスで最初にチョコレート工場が建設されたのは、1819年のことであります。
当時チョコレートの最先端国だったイタリアのトリノで修行を積んだ、
フランソワ=ルイ=カエレという青年がヴォー州ヴヴェイに工場を建設しました。
カエレは製造過程を機械化することで、低価格(それでも今と比べれば十分高い)な
チョコレートを作りました。
その後、機械の発展と共にチョコレートの値段は下がっていくことになります。


(レマン湖の畔にあるヴヴェイの街。日本でも有名なネスレの本社がある。)

現在でも、スイスのチョコレート企業として知られるスシャール社の創立もこの時代です。
創立者であるフリップ・スシャールは、幼少の頃、
母の病気のために医者が処方した給料3日分の値段のするチョコレートをきっかけに、
チョコレート作りを志すようになりました。
そして、1826年に砂糖とココアパウダーを攪拌(かくはん)する機械を開発しますが、
この技術は、現在でも使われています。

(こちらがスシャール社のチョコレート。もちろん日本でも買えます。)

そしてそして、チョコレート史において四大革命といわれる技術革新のうち、
2つがスイスで起きます。
その話はまた次回。。
スイスチョコレート史といっておきながら今日は、
スイスにチョコレートが伝来するまでをお話したいと思います。

チョコレートの原料であるカカオは、もともとメキシコが原産国で
古くは紀元前2000年から栽培されていたそうです。



当時からカカオは大変貴重なもので、
薬として使われたり、神聖な儀式に供え物にされたり、
アステカではお金として使われたりしていました。

そして、このカカオが最初にヨーロッパに渡ったのは、大航海時代、
かのコロンブスによってと言われていますが、
チョコレートを最初にヨーロッパに持ち込んだのはコルテスです。


(左;コロンブス 右;コルテス)

ちなみに、コルテスによって持ち込まれたチョコレートはスペインで広まっていくのですが、
このときのチョコレートは砂糖を入れても大変苦い飲み物でした。

その後、王族の政略結婚などによって、徐々にチョコレートがヨーロッパ中に広まっていき、
1657年にイギリスでチョコレートショップが開店することで市民にも知られるようになっていきます。

チョコレートの伝播を国別に見ていくと、
フランスが1609年、イタリア・オーストリアが1640年、1641年にドイツ、1656年にイギリス、
そして、スイスが1697年となっています。
チョコレートとして有名なベルギーやオランダは、フランスより前に伝播していたようです。
(日本伝来は1797年)

このように、スイスにチョコレートが伝来したのは、
意外にも他の周辺諸国よりやや遅かったということです。

それでは、他国より伝来が遅かったスイスが、なぜ今有名なのか。
次回からはその核心をつく歴史的出来事を紹介します。