■新しく発見した仕事のやりがい


4月になり、業務アサインが変わった。これまでは中南米の一部地域を上司の下で担当していたのだが、中南米全体である事業をメインで担当することになったのだ。またサポートしてくれる上司もより自分に考え方の近い上司に変わった。もちろん最初は知識もなく迷惑をかけっぱなしではあったがほんの1,2ヶ月で急速にキャッチアップすることでき、なんとか自分でハンドリングしていけるようになっていった。はっきりいっていままでの9か月がなんだったのかというくらいにスムーズ(もちろん課題は多いが自分が歯車としてがっちり絡んでいる実感を持ちながら)に仕事が進んでいった。自分としてもチームの一員として役に立てているという実感が持てた。

そして、異動から1年たった7月に3回目の出張。前回とは違う国で、自分の担当するある事業のプロジェクトを契約までをサポートするという業務だった。この出張は今までの出張とは全く違っていた、その事業に関しては部署の中で誰よりもわかっていたし、“自分の仕事”として取り組むことができた。現地にいけば他の担当者の事業であっても「関係ない」とは言っていられないので、慌てて現地で状況を聞いて一つ一つ確認して日本に伝えるということも結構あったが、現地人とどうやって接すればいいかもわかっていたし、何を期待されているかもわかっていたのである程度きちんと対応することができ、信頼を得ることもできたと思っている。前の2回の出張は決して無駄ではなかったんだなと感じる瞬間でもあった。

そして何よりうれしかったのは出張目的であったプロジェクトの受注がとれたことだった。現地メンバーと祝杯を挙げた夜は決して忘れることができない。

このころになると、私は一つの考えに至っていた。前々から何がモチベーションの源泉なのか何をすれば自分は満足するのか、がずっと疑問だった。なぜか前の部署の仕事の成果では満足感が得られず、中小企業診断士の取得や新しい知識の習得など、自己成長に活路を見出していたがそれもむなしく感じていた。また、自分の成長に意識を向けると、海外部門に来た時のように自分が全然貢献できない状況になったときにひどく落ち込んでしまう自分がいるのだ。


今回の出張で至った考えは、結局のところ仕事でのミッションを達成すればハッピーであり、できなければいくら自分が頑張ってもハッピーではないということである。だから何もしなくてもミッションが達成できるなら自分はそこにいるだけでもいいし、できないなら何が足りてないか考えてできることを全力でやるということにつきる。時には海外のお客さまには、本社から自分たちのプロジェクトのために日本人が来て支援しているということだけである程度安心感を与えられる場合もある。その時には言語がわからなくても会議にでてただ頷いていればいいのだ。


自分がその場でどんな価値を発揮したかなんて、はっきり言って他の人にはどうでもいいということにやっと気づいた。ただ、“彼が関わった仕事はなぜかうまくいくよね”って言われるのが最高だと、今は思います。そういう人になりたい。

■そして、海外部門へ

海外部門に移って最初に思ったこと。それは自分が全然知らない世界だということだった。

メールの書き方、文書の書き方、出張の仕方、さらには英語コミュニケーション、現地法人とのやりとりの仕方、仕事の回し方、海外での事業環境。どれをとっても一から教えを請わなければならない。今までの「自分で何でもできる」という状態から180°変わってしまい、正直ショックを受けた。


ちょうど同じ時期に配属された新人がいたのだが、9年目にも関わらず「ああ、自分はこの新人君と同じだな」と思ったほどだ。特に辛かったのは当社の海外事業の中心であるテレコム事業の内容や当社の製品について全然わからなかったということだ。ただでさえ英語でわからないのに、略語や専門用語が多く、何を話しているのかさっぱりわからない。


輪をかけて辛かったのは上司のかける言葉が酷かったことだ。「君は全然わかってない。専門知識がないと仕事が全然できない。」「早く知識を身に着けないと必要とされなくなる」など脅しともとれるような言葉を何度もかけられた。しかし自分としては一生懸命勉強もしているし、がんばっているつもりなんだからそういわれてもどうしようもない。ただただ焦りや不安ばかりが募った。質問しようにも怒られるばかりで、質問しづらくなり、余計にわからないことが増えていって悪循環に陥ってしまった。後半は特に辛く、上司と顔を合わせたくないので会社に行くのも嫌で仕事も自分のできることしかしない縮こまった状態が続いていた。「ああ、もう自分は海外部門ではダメなのかなぁ」と思うことも何度もあった。


結局9か月ほどたったころ組織の変更があり、直接その上司の指導を受けることは少なくなったため私はようやく自分らしさを取り戻すことができた。後から別の上司経由で聞くところによれば彼は彼なりに私に成長して欲しくはっぱをかけるつもりで言っていたようだが、まったくの逆効果だ。部下とのコミュニケーションの仕方もわかってないような人に上司になって欲しくないと心から思う。実はこのような上司の噂は社内外に関わらず多く聞く。仕事はそこそこできるが、部下の育て方を知らない人。これがモチベーションの低下につながり、若手の転職志向に拍車をかける大きな要因になっているのではないかと感じている。

さて、話を元に戻すとつらい時期にある目標を立てた。それは「一年でこの部門で何とか一人前になろう」だった。直近のできないことをあまり気にせず、1年後を見越して今できることを一つ一つ身に着けていけばいいと思うようにしたのだ。このように少し長いスパンで自分を見つめなおすことでちょっとしたミスや知識不足などを気にしなくなり随分と気持ちが楽になった。(途中上司の妨害もあったが。。)

結局異動した年度は2回(各1ヶ月)中南米に出張し、業務を行った。1回目は殆ど経験を積む程度であまり成果はなかったように思う。何かと言えば上司が出てきて話を進めてしまうため、結局自分はいてもいなくても一緒だなと感じることが多かった。2回目は決まったミッションがあり、別の上司と組むことで一定の成果を残せたが、サポート的な仕事がほとんどだったのでなんとなく自分がやりましたと胸を張って話せるような内容ではなかったと感じている。

海外部門に異動して一年が過ぎた。

この一年の気持ちの変遷を書いてみたい。


■前部署での悩み

異動する前は環境部門(管理系)にいたのだが、数少ない若手で且つ、経験・知識もあり、「結構できるな」という自信を持っていた。評価もしてもらえていたし、正直「なんだこんなもんか」とすら思っていた。


でも一方で大きな不安も抱えていた。周りを見れば同世代でめちゃめちゃ頑張っている人たちがいる。自分が彼らより特段優れているとは思えない。なのになぜ自分はこんなに楽をしていられるのか?このままでは将来取り返しのつかない状態になってしまうんじゃないだろうかと思った。



私には入社時に二つの“やりたいこと”があった。一つは環境部門の中枢で働くこと。もう一つは海外で仕事をすること。第一の目的であった環境部門で働くことは以外にもあっさりと叶ってしまった。全社的な環境事業の立ち上げプロジェクトにも深く関わることができたし、さらには環境部門で十二分に自分の考える業務を行うこともできた。はたから見れば何も文句のつけようのないキャリアだったかもしれない。しかし、そんな中でもなぜか自分は物足りなさを感じずにはいられなかった。



「自分は○○という(大きな)会社の環境部門で働いているんです。」就職活動をしている学生向けに話す機会が何度かあった。彼らの目は、かつて私が見た環境の仕事をしている社会人を見る尊敬のまなざしだった。でも私自身はどこかで自分の仕事をよく見せ、意味のある業務であることを伝えようとしている自分を感じていた。どのように説明しようか考えていくうちに、現実と離れ過去の自分があこがれた仕事に近づけられるよう取り繕っている自分がいた。


誤解のないように言えば、環境の仕事自体はとても大切だ。十二分に意義もある。でもそれは自分の考える“やりがいのある仕事”ではなかった。全社の環境戦略を打ち出したり、新聞や雑誌に記事が出たりしてもあまりうれしくはなかった。でも「仕事でうれしいことはなんですか?」と聞かれると「やっぱり新聞記事になったり、自分たちで考えたことが世の中に影響を与えるようなことになったりしたときかな」と答えていた。



その時私はもう35歳になっていたが、今からでもしびれるような仕事がしてみたかった。

そこで頭に浮かんだのは、「グローバル」だった。実は環境部門に移る際、私は本当は海外部門を志望していた。上司に掛け合ったが、当時は海外事業で人は募集しておらず海外に行く機会も多く、且つ自分の専門性も生かせる環境部門に移ることになったのだった。


私は、生まれてこの方海外で暮らしたことはない。その当時英語もロクに話せないし、TOEICだってがんばって700点程度。会社で英語の文書が回ってきただけでギブアップしていた。一人で海外に仕事でいくなんて考えられなかった。でも、「ダメだったら相手がダメっていうだろうし」ってことで、社内公募の「中南米営業募集」という言葉に惹かれて応募してみた。ちょうど会社は海外事業の拡大を標榜し、人員拡充を急いでいたこともあり幸運にも異動することができた。