■そして、海外部門へ

海外部門に移って最初に思ったこと。それは自分が全然知らない世界だということだった。

メールの書き方、文書の書き方、出張の仕方、さらには英語コミュニケーション、現地法人とのやりとりの仕方、仕事の回し方、海外での事業環境。どれをとっても一から教えを請わなければならない。今までの「自分で何でもできる」という状態から180°変わってしまい、正直ショックを受けた。


ちょうど同じ時期に配属された新人がいたのだが、9年目にも関わらず「ああ、自分はこの新人君と同じだな」と思ったほどだ。特に辛かったのは当社の海外事業の中心であるテレコム事業の内容や当社の製品について全然わからなかったということだ。ただでさえ英語でわからないのに、略語や専門用語が多く、何を話しているのかさっぱりわからない。


輪をかけて辛かったのは上司のかける言葉が酷かったことだ。「君は全然わかってない。専門知識がないと仕事が全然できない。」「早く知識を身に着けないと必要とされなくなる」など脅しともとれるような言葉を何度もかけられた。しかし自分としては一生懸命勉強もしているし、がんばっているつもりなんだからそういわれてもどうしようもない。ただただ焦りや不安ばかりが募った。質問しようにも怒られるばかりで、質問しづらくなり、余計にわからないことが増えていって悪循環に陥ってしまった。後半は特に辛く、上司と顔を合わせたくないので会社に行くのも嫌で仕事も自分のできることしかしない縮こまった状態が続いていた。「ああ、もう自分は海外部門ではダメなのかなぁ」と思うことも何度もあった。


結局9か月ほどたったころ組織の変更があり、直接その上司の指導を受けることは少なくなったため私はようやく自分らしさを取り戻すことができた。後から別の上司経由で聞くところによれば彼は彼なりに私に成長して欲しくはっぱをかけるつもりで言っていたようだが、まったくの逆効果だ。部下とのコミュニケーションの仕方もわかってないような人に上司になって欲しくないと心から思う。実はこのような上司の噂は社内外に関わらず多く聞く。仕事はそこそこできるが、部下の育て方を知らない人。これがモチベーションの低下につながり、若手の転職志向に拍車をかける大きな要因になっているのではないかと感じている。

さて、話を元に戻すとつらい時期にある目標を立てた。それは「一年でこの部門で何とか一人前になろう」だった。直近のできないことをあまり気にせず、1年後を見越して今できることを一つ一つ身に着けていけばいいと思うようにしたのだ。このように少し長いスパンで自分を見つめなおすことでちょっとしたミスや知識不足などを気にしなくなり随分と気持ちが楽になった。(途中上司の妨害もあったが。。)

結局異動した年度は2回(各1ヶ月)中南米に出張し、業務を行った。1回目は殆ど経験を積む程度であまり成果はなかったように思う。何かと言えば上司が出てきて話を進めてしまうため、結局自分はいてもいなくても一緒だなと感じることが多かった。2回目は決まったミッションがあり、別の上司と組むことで一定の成果を残せたが、サポート的な仕事がほとんどだったのでなんとなく自分がやりましたと胸を張って話せるような内容ではなかったと感じている。