こちらの本を読んだ感想です。
「イタい女」には2種類ある。
やり過ぎる女=過剰型、スゴイ!と言われるために頑張る女
そのまんま女=放置型、何もせずにすべてを諦めている女。
たいてい自分の中に両方存在している。(笑)
「イタい女」はモノを溜め込んでいる。
自分のことを好きになれず、自分のことを嫌っているため
「何者」かになりたくて、色々な資格を取ろうとしたり、
習い事をしてみたり、スピリチュアルにも手を出している。(笑)
誰かに褒められたくて、認められたくて、
色んな講座やセミナーに参加して、お金をムダに費やしては
色んなグッズ=モノが増えていく。
セミナーの資料や高価な化粧品、ダイエット食品やサプリ、
パワーストーンやお守り、流行の服、調理器具など、
家に「溜め込んだモノ」を見れば、すべてがわかる!(笑)
「イタい女」は
自分が「溜め込んだモノ」はガラクタにすぎない
「モノを溜め込む」のは、自己肯定感が低いから。(笑)
「これがあるから安心だ」とモノに頼ることで、
頼りない自分を補っている。
「どうでもいいモノ」を家に持ち帰ったのも自分なら、
わざわざ引き出しや棚の中にしまい込んだのも自分。
そのまま放置しているのも自分であると自覚して、
要らないモノ=使っていないモノは、自分で処分すること!
また、溜め込んだモノは「さびしさ」の象徴でもあるので
「私は寂しかったんだ」と気づくことで家が片付き、
寂しさから抜け出すことが出来る。
変えるべきは「心」ではなく、まず「行動」なので、
「いるか、いらないか」をいちいち検討せずに
ゴミ袋に移動させるように、どんどん捨てていくこと!
「人からもらったモノ」や「つい買ってしまったモノ」
何のご利益もなかった開運グッズや使わない参考書など、
いらないのにとっているモノは「元カレ」と同じ。(笑)
「もう関係が終わっている」モノにいつまでも執着している
「イタい自分」に気づき、自らの決断で始末をつけること。
「もう関係が終わった」モノを処分すれば、心が軽くなり、
自分を閉じ込めていた「寂しい」という感情からも解放され
自由に動きだすことができるようになる。
「見たくなかったモノ=現実=自分」を見ることで、
「見ないで誤魔化していた自分」ともサヨナラして、
新しいステップに進むことができる。
「ごまかす心は、モノに表れる」
なぜ誤魔化そうとするのかというと、
素直に自分の気持ちやコンプレックスを受容できないから。
「ごまかしていたモノ」を自分の手で捨てると
本当に必要なモノに気づき、身も心も軽くなる。
モノの溜め込みは、自分自身の疲れのアピールでもある。
ぞんざいな扱いを受けるモノたちは自分自身の扱いと同じ。
「そのまんま女」は「私なんて何をしたってムダ」という
いじけた思考=思い込みと行動パターンを持っている。
溜め込んだモノ、関係が終わったモノ、ごまかしていたモノ
を捨てることができたら、今度はモノを選び抜く。
色褪せたカーテンを捨てて、お気に入りのカーテンにする
とか、自分にふさわしいモノを取捨選択していくことで
自己肯定感が高まり、自尊心が備わっていく。
髪の毛を染めたり、明るい色の服を着たり、
自分を大切に扱えるようになると
他者からも大切に扱ってもらえるようになる。
古いモノが新しいモノへと入れ替わるように、
人間関係も「出会いと別れ」を繰り返していくものなので、
付き合う頻度や接し方を変えて、新陳代謝させていく。
家族という「群れ」からも離れてOK!
「家族なんだから」のひと言で、
各自、好きなモノも、やりたいことも、考えも違うのに、
「同じ」であることを強要し、期待を押し付けていくと
家族関係も重苦しくなっていく。。
私たちはいくつもの「群れ」に属していて、
家族もそのうちの一つに過ぎないので、
他の人間関係と同様に、適切な距離感で期待せず、
押し付けず、程よい関係を構築すること。
毎日家族のために食事を作っていたのを週1回にするとか、
毎年行っていた家族旅行もやめて、友達と行くとか、
「こうしてほしい」「こうなってほしい」という
期待を手放すと、家族にも新陳代謝が生まれ変わっていく。
家族と言えども、自分とは価値観の違う「他者」なので、
お互いに価値観を押し付け合うことなく、
「わかってほしい」と期待することもなく、
お互いの自由を認めて、いい関係を築きたいと思いました♪
初めての一人旅は最高でした♡