本性の私は赦しの器

本性の私は赦しの器

人生の生きにくさから、様々なセミナー、セッションを受け、最終的には想念観察で自動思考消え、人生か軽やかになり生きにくさから抜けました。
非二元ティーチャー/想念観察コーチ

おはようございます😊

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🌙 不足の心から動けば、不足の因が立つ


ひとつの大切なこと、ふと思った。


不足の心から動けば、不足の因が立ち、  

世界には不足の果が映し出される。


「まだ足りない」  

「もっと良くならなきゃ」  

「このままではダメだ」  

そんな思いから行動すると、  

どれだけ頑張っても、どれだけ成果を出しても、  

心には常に“足りなさ”が残る。


まるで、底に穴の空いた器に水を注ぎ続けるように、  

満たされることがない。


これは精神論ではなく、  

仏教で説かれる“因果”そのもの。  

因と果は同じ性質を持つ。


不足の因は、不足の果を生む。


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🌱 満ちた心から動けば、満ちた因が立つ


逆に、  

満ちた心から動けば、満ちた因が立ち、  

世界には満ちた果が現れる。


「今のままで充分」  

「すでに与えられている」  

「この瞬間が満ちている」  

そんな静かな心から動くと、  

行為そのものが光を帯び、  

結果も自然と穏やかで豊かなものになる。


ただし、ここで大切なのは——


✨ 「今のままで充分」と言い聞かせることではなく、


言い聞かせは思考の操作であり、  

その裏にはまだ“不足の物語”が潜んでいる。


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🧘‍♀️ 満ちたエネルギーとは、今の行為に心を置くこと


満ちたエネルギーとは、  

「満ちている」と思い込むことではなく、  

今の行為に心を置くこと。


- 洗うなら洗う。  

- 歩くなら歩く。  

- 次の章を読むためにページををめくるではなく

ページをめくるならば、めくる。


その瞬間の行為に、ただ心を置く。


すると、不足をつくり出す思考が静まり、  

“今”がそのまま満ちてくる。


これは努力ではなく、  

本来のいのちの状態に戻るだけ。


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🌌 今の行為に心を置くと、手段と目的が一致する


心が未来へ走っているとき、  

行為は「未来のための手段」になってしまう。


- 〇〇になりたい  

- だから〇〇する  


という生き方は、  

裏側に“今の自分はまだ不十分”という前提がある。


この前提がある限り、  

どれだけ行動しても、不足の因が立ち続ける。


でも本当は——

順番が逆だったのではないか。


今の行為に心を置いた瞬間、  

行為そのものが目的になる。


洗うことが洗うことの目的。  

歩くことが歩くことの目的。  

ページをめくるのは、めくることが目的。


これは禅でいう「只管打坐(しかんたざ)」の世界。  

ただ行うために行う。  

手段と目的が一致したとき、  

心は満ちていて、不足が生まれない。


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🏵️今の行為に心を置くこと=宇宙(いのち)との調和


宇宙(いのち)は、  

常に“今”だけで動いている。


だから、  

心が今にあるとき、  

私たちの行為は宇宙のリズムと重なる。


今に心を置く=宇宙と一緒に動くこと。


未来を決めつけず、  

結果を握りしめず、  

ただ今に心を置くとき、  

いのちの流れと調和する。


宇宙(いのち)は、  

いつも“最適な方向”へ流れている。


その流れに乗るとは、  

未来を予測することではなく、  

今に心を置くことだった。


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🌿後は実践


 今に心を置くと、

理解はあとから勝手についてくる。 

分かろうとしなくていい。


ただ、


- 今やっていることに心を置く  

- 今の感覚に気づく  

- 今の呼吸に戻る  


これを続けていると、  

ある日ふと、


「あ、こういうことだったんだ…」


と、静かに腑に落ちる瞬間が来る。

先ずは今しかない今ここに、

今の行為に



「心」を置いて生きてみる。

満ちたエネルギーを放つ。。。




合掌(´ー`).。*・゚゚



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