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第6回:「エコノミスト・ミシュラン(田中 秀臣, 野口 旭, 若田部 昌澄)

◆エコノミスト・ミシュラン:論壇整理モノではお勧めだと思う。

本の装丁の割に中身はしっかりしているし且つ頭に入りやすく書かれていると思いました。日本の平成不況期(いわゆる“失われた10年”)における経済論壇の整理を目的している著書で、今読むと少し時代が古い、という印象もあります。また、忙しい人は前半だけ読めばいいと思います。失われた10年において日本の経済論壇がどのような経緯で展開されてきたのか、それを知るには前半(Economist navigation)の対談形式の部分を読めば十分です。経済学者が他の経済学者を評する本は多いですが、これはその中でもお勧めだと思います。

後半の「Book-Navigation(経済書ガイド)」がこの本の題名の由縁でしょうが、前半で「日本の経済論壇はどのような二項対立構造となってきたのか」を把握した後は、ご自分で色々な学術書(、というか1500円前後のサラリーマン向けの経済書)を読んで、これは○、これは×、と判断すればいいのだろうと思います。 何故なら、この本では主に「リフレ派対構造改革派」という対立軸が一本ドーンと立っていて、著者はリフレ派です。ミシェランというからには公正中立な感じがしますが、実際は「リフレ派による構造改革派批判本」です(それが悪い、とかいうのではなく、この本の本質はまちがいなくそうです)。「めちゃくちゃなこと言っているトンでも経済学者(この本では≒構造改革派)には~という落ち度があって、耳を貸すべきではない。」という気持ちが伝わってきます。

だから、経済の素人が読めば「なるほど、構造改革を連呼する学者はまがい物か」と洗脳されることは確実で、そのバイアスかかった状態でブックナビゲーション、なんて読んでもダメを押すだけです。正しくは「Book-Navigation to リフレ派」で、構造改革派に与する本はボコボコに書いてあります(ここでは批判の是非についてはとやかく言いません)。この本は、本当に読み易いですし、書いてあることもタメになるとは思いますが、「エコノミスト・ミシュラン」と、何処か中立的に聞こえる響きの題名だけは変えたほうがいいと思います。

確かに、舌の根も乾かぬうちに180度違うことを言う学者は非常に多いと思いますし、そういうちょっと“大衆に対して営業上手”な学者がメディアに露出する機会が多いことも事実です。だから、この本はそうしたしたり顔の専門家たちにダマされないように肝に銘じる意味で、読む価値はあると思います。ただ、座談会形式の前半は「完全に飲み屋のおっさん同士の会話だな」という安っぽい印象を受ける箇所もこれあり、、。

肝心なことは、この本が出て数年経った今、彼らが当時批判していた構造改革政策の甲斐(?)もあってか、日本経済は回復局面にあり、戦後最大の拡張期を迎えています。書中で批判されている竹中さんは一躍ヒーローになったと言っても過言ではないし、不良債権処理も目処がたってきました。新卒雇用はバブル期並だし(賃金はイマイチだけど)、設備投資もよく出ています。小泉構造改革と景気回復の因果関係について、明確な結論はまだ出ていないのでしょうが、少なくとも「小泉の5年間で経済が上向いた」のは事実であって、この間の経済政策が彼ら(編者たち)の言うような「トンでもない代物」だったようには、一般ピープルの我々にはどうも思えません。この本は折角良く整理されているのだから、とうとう“いざなぎ越え”を果たした今次回復局面が終わる頃には、続編を出して総括してもらいたいな、と思いました。

田中 秀臣, 野口 旭, 若田部 昌澄
エコノミスト・ミシュラン

第5回:「人に言えない仕事なぜ儲かるのか?」 (門倉貴史)

◆人に言えない仕事は何故儲かるのか:人に言えない仕事が何故儲かるか、については後半で言及。前半は節税知識。飲み会ネタに1つどうですか、という感じ。

今、BRICs経済を語らせたらこの人、というエコノミスト。今でこそBRICs、主にインドに明るい数少ないエコノミスト、と言われているようですが、元々は地下経済専門のエコノミスト、というこれもまたニッチな所を専門として名を上げた方です。だから著作は6:4で地下経済:BRICs関連、という感じのようです(笑)でも、きっとこの比率は近い将来逆転するのではないでしょうか。エコノミスト村では多い、日経センター研修の卒業生の方ですね。

この本は題名からお分かりのとおり、地下経済の方のお話。ですが、前半部分はスポーツ選手に代表される高額所得者はどう節税しているのか、です。マネジメント会社を作り、家族を社員にして経費計上、というのは余り目新しい話ではないですが、「何故ユニクロの柳井社長は長者番付に出ているのに、トヨタやキヤノンの社長は長者番付に出ていないのか?」といった話は意外に知らない人が多いのではないでしょうか(理由は配当収入があるかないか、です。社長が多くの株を保有していれば莫大な配当収入があります。逮捕されても莫大な資産があるホリエモンはそういうことです。対して伝統的大企業の社長はそもそもサラリーマン社長なので給与と役員報酬のみ、です)。まぁだとしても前半部分は経済学者の本らしからぬ内容で、もしかしたら買った人はがっかりするかもしれません。だからここでもパス。

後半部分はようやくアングラなお話し。「ソープランドの料金体系は大体入浴料:ソープ嬢へのサービス料で1:3の割合となっており、大衆店で合計3万、高級店で6万から10万という価格体系が相場。2004年末時点で日本には1304店のソープランドがあり、その非合法所得は7353億円にも達する(筆者推計)」、という、調べたのかよ!、と突っ込みたくなる内容が面白いです(※とある筋から聞いた話では本当に調べたらしい。。歌舞伎町で)。ソープランドは確実に売春防止法に抵触しているのに何故営業できるのか?それは「個室の豪華なお風呂」に“勝手に”お姉さんが入ってきて、自由恋愛を始め、如何わしいことを“勝手に”始めたという解釈になるから、だそうです。。違法ビジネスにありがちな説法ですね。またお姉さんに払うサービス料部分はあくまでお姉さんにキャッシュで払っているのであり、お店の売り上げにはならず、当然所得税も(売上高にならないので法人税も)かからない、という当たり前だけどなるほど、という感じです。お店では摘発されるから、店舗を持たずにラブホでサービスをする業種等々、本能に訴えかけ、日々顧客満足度を追求している風俗産業は違法な部分を除けば実際のビジネスが学ぶところは多い、ときっぱり言っているくだりが逆にさわやかです(笑)実際バブル崩壊以後、単価が落ちても(風俗産業の価格下落速度はその他の産業よりずっと早いらしい。競争があるから)、利益は減ってないわけですから着実に新規需要を開拓し、増収に繋げているという点でこれはその通りかもしれません。

本著で最もインプリケーションに富んでいたのが「支出税」の提案です。要は所得ではなく、消費に課税しましょう、という案です。ここで言う消費とは、「消費以外で使われたお金」を“貯蓄”とみなし、「所得-貯蓄」を納税申告させる制度です。確かに少子高齢化社会になって親の財産を食い潰して生きていく、付加価値を生まない人間が増えている今日を考えれば、こちらの方が望ましい気がします。一生懸命働いて所得を得ている人が所得税を支払わなくてはいけない一方で、そういった人間は浪費しまくっても税負担は軽いまま、というのが現状です。これが「支出」に課税、ということになれば話は逆転します。働かないで資産を食い潰す人間はどんどん追い詰められ、真摯に働く人間はお金が溜まり易くなります。1400兆円とか1500兆円とかいう資産が蓄積され、今後それが一方的に消費されていく社会になることを考えれば、やはり支出税は時勢にあった提案なのかもしれません(書中では「ストック化した日本経済」と評されています。要はフローの消費よりも、過去から継続されたストック資産の方が大きい経済、つまり、今の日本のような労働人口が収縮している社会です)。しかも、地下経済で発生する非合法所得(薬物売買や水商売等)についても、いつかは表経済で消費されるはずです。キャバクラのお姉さんがヴィトンでバッグを買えばそれは立派な消費(支出)として課税されます。幾ら裏で非合法に所得しても出口で捕捉できる、というわけです。

 でも、一番なるほど!と思わされたのが「政府の経済政策のアナウンスメント効果が非常に大きくなる」という点です。例えば、政府が不況に対し減税政策を取った場合、①所得税と②支出税では以下のような対応の違いが出ます。

所得税:「どうせ今減税しても、将来増税となって返ってくるだろう。だから貯蓄に回そう」⇒消費は大して増えない

支出税:「今の減税は一時的なもので、将来増税されるだろう。だから、今消費した方が得だ」⇒消費は刺激され、増える。

思い出してみてください、消費税増税前には駆け込み的な消費が増えたはずです。これと同様のことが上記の例でも言えるわけです。これが景気抑制としての増税政策であっても同様です。所得税であれば、「今の増税は一時的で、将来的な所得水準は変わらない。だから貯蓄を取り崩して消費しよう(もしくは借り入れて消費しよう)」、ということになります。支出税であれば、「今の増税は一時的だから、今の消費は控えよう」とよりダイレクトな発想で消費を抑える行動を起こすはず、ということです。

 現実経済が本当にこうなるのかは疑問符が付きますが、とりあえず辻褄は合います。しかし、この支出税の実施に成功している国は1つもない、そうです。何故か?という点に本著は応えてくれていません。。敢えて言うなら「前例がない」ことが理由みたいです。

結論として、本著は経済学の本格的なお話、を期待して購入するものではないと思います(そもそも、そうであればもっと違う本を買うでしょうが。)でも、飲み会のネタにはなると思います。

第4回:「プロになる為の経済学的思考法」 (中谷巌)

◆プロになる為の経済学的思考法:思考法、というより日本経済の現状を手短に知る本

言わずと知れた中谷巌氏による著書。著書はたくさんありますが、その中でこれはかなり易しい部類。語り口調で書かれているので読み易く、内容も整理されている(氏の本を取り上げて“よく整理されている”とはおこがましい・・)。マクロ的視点、ミクロ的視点、文明論的視点の3つの柱から本著はなります。以前書きましたが、この文明論的視点を1冊の本として昇華させた本が、「国家の品格」になる気がします(笑)「近代の歴史は西洋文明が非西洋文明に、キリスト教を教え、近代化を教えた時代」というお決まりのフレームワークの中で、「ルネサンス・宗教改革・市民革命・産業革命そしてIT革命を先に経験した西洋にしてやられたのだ」という展開で話が進みます。本著は宗教革命がM・ウェーバーの「プロ倫」に繋がり、近代資本主義の礎を築いた、という部分までを記述。「国家の品格」では、そこから一歩進んで、そういう流れが“諸悪の根源”と一刀両断している。しかも、それらの革命的出来事を西洋が先に経験したのは“たまたま”で、それが日本にとって不幸であったとまで言い切っている(笑)中谷先生も「ここ300年~400年の歴史は西洋諸国が非西洋諸国に一神教的な物の考え方を教え込んだ時代」と述べており、やはり市民革命・産業革命等を経た自負が西洋のプライドを高めていると主張しています。

我々日本人はそういった「西洋⇒非西洋という一方的な教化」について、何の疑問も持たないように教育をされてきている、と記述されています。まぁ、、そう言われればそう、、ですかね。更に日本人は、「第二次大戦時に非道を尽くした、アジア諸国を始め、世界に対して非戦の誓いを立てなければならない」という意識を植え付けられてきました。本当に日本人皆がそんな意識を植え付けられているかどうかは別として、日本人ならば一度は聞いたことのあるお話です。こうした話題は掘り下げていくと確実に建設的な話にはならないので、ここでは割愛します。この本には経済学的思考法、と銘打ちながらそうした視座も含まれています。

そうした、若干経済から離れたお話で本著は締められていますが、1部「マクロ経済的視点」においては超少子高齢化社会、貯蓄率ゼロ社会、ハイパーインフレ懸念、閉まらないワニの口(歳出が増え、歳入は落ち込み続ける線グラフを比喩した言葉)等々、向こう数年のマクロ経済について重要なキーワードが満遍なく、しかし分り易く解説されています。日本経済を俯瞰したい、というニーズには応えていると思います。2部「ミクロ経済的視点」では日本企業の強さ・弱さの変遷が言及されています。ミクロ的視点、とありますが、別に企業行動、消費者行動や労働市場の変化(今話題の正規雇用・非正規雇用等)をアラカルト的にピックアップしているわけではありません。この点が、1部のマクロ的視点と違うところです。2部は別題名にするなら「日本企業の国際化、現在・過去そして未来」という感じで、あくまでテーマは“日本企業”です。ビジネスマンを対象として書かれている、という向きが強い本ですので、まぁ納得です。詳しい内容は割愛しますが(細かいから)、農耕文化「日本」と、狩猟文化「西洋」という対比を一つの芯として、日本企業の歴史的変遷に言及されています。

肝心の「じゃあプロになる、という題名と何の関係があるの?」という点ですが、要はマクロ的、ミクロ的、歴史的という3つの観点から物を見るような複眼的視点がどのような職業においても重要だ、ということのようです。職業人として生きていく際に、「必ず持っていて欲しい日本経済・日本社会、そして歴史への大局観」を本著は提示し、中でも特に重要と思われるテーマをピックアップして記述した、とのことです。


氏はこの本を通じて、若者がもっと社会の現状に対して問題提起できるようになることを切に願っています。細かい諸知識はさておき、この点が最も強いメッセージであることは間違いありません。


確かに選挙にも行かず、「社会保障費は納めたくない、しかし受給額が減るのは嫌だ。」、「増税と言う政治家には投票しないが、公共サービスはちゃんと充実して欲しい」、という人々が増えているのは確かだと思います。権利ばかり主張して義務を果たさない人間は行政を批判する資格などないし、民主党のメール問題を「愚かだ!」とののしる資格すら無いと私も思います。そういう普段義務を果たさない人間に限って、メディア報道に盲従します。

例えば公務員の5%定率削減、が昨年末より話題になっています。今、アンケートをとれば間違いなく8割方の国民はこれに賛成、というでしょう(このアンケート調査の信憑性もまた微妙ですが。。“アンケート調査は質問の作り方次第で作り手の出したい結果を出せる”ということを聞いたことがあります)。しかし、公務員や公的機関で働く人の実態を分っている人間はさほど多く無いはずです。TVタックルや夕方のニュースといった極めて緩い情報源に頼っている人が殆どです。そうした番組を介し「公的セクターの人間は、サボってる、ラクしてる、不届き者」というバイアスに侵されている層がどれだけ多いことでしょう。深夜までサービス残業をしている公立学校の先生や省庁の若手事務官等、普通のサラリーマンと同等以上に働いている人間が大部分です(でなきゃ、この国潰れます)。


要は何でもすぐ「政治が悪い、国が悪い」というのはもう止めませんか、というメッセージが本著には込められていると思います。漫画やドラマの台詞じゃありませんが、国とは我々本人に他ならず、決して”他の誰か”ではありません。消費税を10%に上げる、という政策メッセージに対して「冗談じゃない!また庶民を苦しめて」とグチるのでなく、「なぜ増税が必要なのか」を自問自答してみるべきです。その上で、明らかに理不尽な政策運営がまかり通っている、と感じるなら、それは当局の努力不足なのかもしれません。しかし、自分たちで国の政治、経済のことを一切知ろうとせず文句を言うのはフェアじゃないです。そうやって何も知ろうとしない世代が多いから政治家も官僚も国民を舐めてかかって、湯水の如く税金を浪費するのです。彼らは保身第一且つ頭は良いので、監視の目が厳しければ折り目正しく行動してくれるでしょう。。。たぶん。


中谷 厳
プロになるための経済学的思考法


第3回:「経済予測」 (鈴木正俊)

◆経済予測:景気予測の意味を知りたい人に・・

景気予測とは皆さんも新聞紙面やTV1度は見たことがある、「年間GDP成長率~%の見込み」、とかいうやつです。本著はこうした景気予測値が一体「何を基準に、誰が、どうやって作っているのか」という点を説明し、更に「どのような思惑が織り込まれて発表されているのか」まで言及されています。「エコノミストは常に間違う」とか「経済学を知らないエコノミスト達」、「エコノミストは信用できるか」と言った類の本が出ていますが、そういう向きも含んでいる著書です。

日本の経済が1年間にどれだけ大きくなったのか、を示すGDP成長率は旧経済企画庁、今の内閣府が作っています(この本が書かれた頃は経企庁)。景気予測については、少しでも下手なことを書くと方々から集中砲火を受けそうですから余り下手なことは書きません。年中統計と睨めっこして、「・・統計は実態より~%上向きに出るクセがある」という事までマニアックに追求されている方も居るくらいの世界なので、変なこと言うと後が怖そうです。

が、「そんな予測も所詮当たらない、特に政府が出している予測の実績は予測と呼べる代物ではない」、とバッサリいっているのが本著です。実際のところ、他の民間シンクタンクの予測実績(予測値と実績値の絶対値平均誤差を測定)は政府よりも優れている、と本著の一部分は述べています(しかし、民間シンクタンクの予測も褒められた実績ではありません。より悪い、のが政府の予測、ということです)

東大出て、海外のマスターまで(税金で)取った人間を寄せ集めて何故そうなのか?そういう観点が結構痛快でした。原因はエコノミストそもそもの腕前も含め色々あるようですが、最も本著で強調されていて面白かったのは「省庁間の妥協の産物としてのGDP」というくだりです。財務省(旧大蔵省)は高成長を予測すれば、税金は名目GDPに課税するので、税収が増え、結果として大型の予算編成が可能になり、結果として強気の予測を好む、ということです。経済産業省(旧通産省)も、また、(一応は)産業界の代弁者であるので、強気の予測を欲する傾向があるようです。しかし、エコノミスト集団である内閣府(旧経済企画庁)は理論に裏打ちされた数字を正直に提示したい、らしいので、ここに、省庁間の綱引きが発生する土壌が生まれます。各省庁の幹部級による紆余曲折を経た上でGDP数値は我々の元に届けられるそうです。(本著は10年前の本ですので、今はどうかは知りません)。だから、内閣府が3%を望み、財務・経産両省が2%を望んでいれば、結果として「2.5%」という折衷案で発表してしまうのは決して珍しいことではないそうです。


 こういった政府発の経済分析を100%悪いことだ、と断罪して良いかは難しい問題だと思います。政府は民間シンクタンクと背負っている物が違います。別に政府が偉い、というわけでは有りませんが、1億3千万の生活を預かっている以上、公表する情報にはいちいち政治的配慮は入れざるを得ないでしょうし、時に国外への配慮だって含まれてくるでしょう。勿論、しっかりと理論に裏打ちされたGDP値に省庁の手心を加えることは、民間企業で言えば「粉飾決算」に当たると、という指摘も一理あります。公共経営という分野が近年頭角を現し始めているようですが(※New-Public-Management,とか言われる)、そういった意味では“日の丸株式会社”の業績予想でもあるGDP予測に人為的手心を加えるのは決して良いことではないででしょう。

しかし、個人的には、○×総研や△□証券と同じような思惑で自国経済の客観分析は確かに難しいのではないかと思います。残念ですけど。“経済予測は予測というよりもはや占い”、そんな予測も過去にあったと本著にはありますが、それには諸般の事情が幾ばくか織り込まれた結果でもあります。



大して勉強もせず、また知ろうともせず、「経済学なんて役に立たない」という指摘は私は余りにも思慮に欠けると思います。確かにこれだけ世の中に幅を利かせながら、決定的な合理的根拠に欠く学問は他に無い、とは思います。ですが、経済学が無ければ政府の経済政策は殆ど放置プレイです。当たらなくとも経済理論があるから、その公共事業の効果が分析できたりするわけです。公共事業をドカーンとやって景気がちょっとでも上向いたら「ほら、財政出動のおかげだ」と政治家に言われてしまった時、経済学の見地が無ければ反駁は難しいと思われます。本当にその政策が景気浮揚に一役買ったかどうか、何がどれ位経済に寄与したのか、そうした因果関係の証明は経済学以外では難儀です。また、当然本著にあるGDP予測のような一国の成長会計についての議論も経済学しか出来ません。来年~%成長するか、という細かな部分は確かに当たらないかもしれません。しかし、それでも経済理論があるお陰で、自分たちの国(経済)が上向いているのか、下向いているのか位は把握できますし、どの部分が弱含んでいるのかも分かります。そしてその上下動の転換点を精緻に指摘できるのが有能なエコノミスト、ということになります。転換点をズバッと当てるのは難しいでしょうが、少なくとも景気の先行きを指摘してくれるのならそれで十分だと私は思います。天気予報じゃないんですから、多くの人は経済予測が外れたからって無意味だ!と怒る必要は無いと思いますが。。。


経済学はある程度は政策への検証機能を果たしていると言えます。何となく世の中では悪評名高い「地域振興券」政策も、分析してみると所得税減税と同効果だったことが知られています。旧来の減税政策の効果の域を脱しなかったわけですから決して画期的な策だったとは言えないでしょうが、一方で安易に「意味が無い愚策だ」と一刀両断することも決して正しいとは言えないはずです。経済学の信頼性について問いを投げかける本が最近またよく書店で見かけるようになってきたので、また読んでいきないと思います。



第2回「決断力」(羽生善治)

■決断力:正統派の精神論(良い意味で)

この人はきっと自分の100倍くらい頭が良いのだろうなぁ、、と思いながら買った本です。正直言って、書いてあることは至極真っ当なことで、結論として書かれている幾つかの事実(各項の小見出しに相当)もどこかで聞いたようなフレーズが多いです。


「長年情熱を継続できるのが才能である」、「努力が報われると分っていたら皆努力する」、

「知識を知恵にしなければ意味がない」、「今は情報過多で昔より選択が難しい時代なのかもしれない」


手垢の付いたような言葉も現在最強の棋士が語るから不思議と真理に聞こえます。この本で言われている事と同じ事を主張する書籍は恐らく星の数ほど存在します。だから、この本を読んだことで「読者の中に新しい真実が生まれる」、「目から鱗が落ちた」等のインパクトは期待できないと思います(あくまで私は、ですが)。


更に、「決断力」という題名だから、「何か自分の決断力のクオリティを高めてくれる格言が詰まっている本なのか?!」という期待を持たせますが、著書の中で“決断”について言及している項は一部です。勝負師の数あるメンタリティの構成要素の中で、決断力もその1つとして言及されているに過ぎません。1P目から終わりまで決断力の話をしている訳ではありません。


以上は本著の事実を語っただけで、決して批判ではありません。が、敢えて本著の欠点を挙げるとすれば-amazonの書評等を始め、本著は非常に評判が高いので、敢えて挙げるとすれば-、やはり「将棋が分らないヒトには効果が薄れる」という点ではないかと思います。生涯を将棋に捧げた不世出の天才棋士なのだから、「将棋の話を混ぜずにはいかないだろ」、というのは最もですが、それでも万人が読むには若干将棋の色合いが濃いのではないかなぁと思いました。私はチェスは知っていますが、将棋は恥ずかしながら知りませんで、所々???という部分はありました。将棋の例(体験)を通して理を説く、というスタイルの著書なので将棋の例の意味が分らないと、本意が伝わり難い箇所があったように思えます



・・・しかし、です。かかる私も、本著は“良い”という感想を最終的に持ちました。


あるフレンチの有名シェフが情熱大陸(TBS)で「クラシックこそモダンである」と言っていました。結局、原点に還ることが何より新しいのだ、ということです。本著を読んで、私はこのフレーズを思い出しました。この本が書店に存在する有象無象のハウツー本と最も違う所は単純に「信用できる」という点ではないかと私は思います。内容自体は斬新ではないのに何十万部も購入されるのは、読み手である我々が羽生氏の文章外に含まれている経験に多くの想像を巡らせて、クオリティを感知しているからではないでしょうか。実際、読んでいて、真摯な彼の態度が伝わってきますし、「きっとこれが羽生氏の経験を振り絞った上での、最高の知恵なのだろう」という感想を十分持ち得る内容になっていると私は思います。まぁ言ってみれば、、バイアスがかって皆読んでいる、ということですが。。


「現代最強の棋士が言っている」という事実を念頭においた上で読むと非常に心の栄養になる本だと思います(そうでないと。「なんだよ、この本ピリッとしねーな」と浅い感想で終わってしまいそうな、、そんな気が自分はしました)

第1回「国家の品格」(藤原正彦)

第1回「国家の品格」:ちょっと押し付けがましい。



何故この本を選んだか、という理由は残念ながら特にありません。直近で読んだ本がこの本だった、というだけです。。ちなみに非常に感想文的な位置づけの大きな、タレ流し系のブログなので(そもそもブログは全部タレ流しか。。)、書籍自体にたまたま興味を持って、買おうかどうか悩んでいるヒトがフラって見てくれれば嬉しいと思います。



この本、言わずと知れたベストセラーですが、中身云々を吟味する前に、まずタイトルに惹かれて買った人間が相当数いると思います。国家、品格、普通に生活していたら多分余り使わない単語が妙にしっくり来る語呂でハマってます。ネーミングセンスは抜群な感じです。






だけど、中身は・・・です。






最初、私はこの本は姜尚 中氏とかが書きそうな仰々しい国家論(姜氏の著書、余り読んだこと無いけど)かと思いました。拉致問題を筆頭とする外交論議だと思いました。

しかし、蓋を開けてみたら、ぜんぜん違いました。



この本を読んでの、私の最終的な感想は「押し付けがましい」です。



本書の最初の部分は非常に明快で面白かったです。「論理的に正しい事と、物事の善悪は違う」というのを具体例を交えて切々と語るのは正に、逆説的ですが、論理的でした。さすがは数学者、論拠を並べ立て、主張を置く、そのプロセスは明快でした。中身も面白かったです。



「自由と平等など両立はしない、綺麗事に過ぎない」という部分で、東大生の話が出てきます。東大生は自由な競争に勝って、高い収入を得る社会人となり、親となり、その子供が良質の教育を受け、また東大に入る、という循環がある。一方で、最初の競争に敗れた子供は、収入の低い仕事につき、親となってもその子供に良質の教育を与えられない、という循環がある。いつまで立っても、この不平等は解消されない。自由を認めることは一方で平等を捨象することである、と氏は述べています。事実、東大生の親の所得は他大のそれに比べて最も高い、というデータもあるそうです。よく聞く話ですよね。昔は、カネのない家が猛勉強して国立に入る、という話が一般的だったと聞きますが今は事情が違うのでしょう。



だから、自由と平等を目指す、という非常に耳障りの良いフレーズも、一見論理が通っているけれども、実際の善し悪しとなると議論が必要になる場合がある、というのが氏の意見です。これは成果主義の企業にしても同様だと書いてあります。他にも例は沢山ありましたが、なるほど確かに論理は万能ではないな、と思わせるのが前半部分でした。



、、、、が、後半部分は頑固おやじの回顧主義、と言っては言い過ぎかもしれませんが、説得力に欠ける精神論が満載でした。「戦争を起こさないためには、子供の頃より、武士道を叩き込むのが良い」とか「日本人特有の美的感覚(物のあはれ、を感ずる感覚、らしい)を世界中に浸透させれば、世界情勢は改善する。戦争も無くなる」だとか、後半に進むに従い段々読んでてたるい箇所が増えてきます。書中でも自称している通り、彼は愛国者を全面的押し出しています。英語教育なんかクソ食らえ、という勢いです(そこまで言ってはいませんが、100%思ってます)。「小学校からの英語教育は国家を滅ぼす最も確実な方法」とまで言っています。まぁ、、これは賛成です。英語にコンプレックスがある親世代ほど、小学校の英語必修化には盲従していますが、これは本当に浅薄で日本の悲しい状況だと私も思います。



とにかく腑に落ちないのが、ところどころに出てくる彼の個人体験。殆どが欧米のお偉い方々とのお話。日本人と比した時の彼らの感度の悪さ、粗暴さが色々紹介されている。そして日本人を褒め称える外国人もちらほら出てくる。中でも笑ったのが、これ。駐日大使まで勤めた、フランス人の詩人がこういったそうです。



「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」


この例を引用した後、著者はこうした世界に尊敬される情緒持つこそが、世界を本格的に救える唯一の存在だ、と著書を結びます。

しかし、こんなこと言うフランス人、本当にいるのかよ?というのが世の大半の印象ではないでしょうか。その他にもスタンフォード大学の教授が鈴虫の声を聞いて「ノイズ」といった話や、俳句の良さが全く分らないドイツ人大学生の話も出てきます。こうした西洋人に比べて、日本人は「悠久の自然と儚い人生」を感じ取る、最強の感度を持っており、それを誇りに持つべきだ、と彼は主張します。そこまで言われると殆どの日本人は自分自身を疑うと思うのですが、、如何でしょう?極端な例を使いすぎて、かえって説得力が薄くなったように私には思えました。


こういった「西洋的合理主義ダメ日本の伝来的意識へ戻ろう」という本は色々な分野の学者が書いていて、今流行りなのでは、、という印象を受けます。中谷巌氏の「プロになるための経済学的思考法」という書籍にも似たような箇所が見られます。(後に、記載したいな、と思いますが、この本は個人的に非常に分りやすくてお勧めです。)




日本人として、日本人であることに誇りをもてなくなったらお終いですので、この論調自体は別に悪いとは思いません。しかし、自給率を上げるべき、と言ったって日本は限界があります。厳密に言えば、我々の身の回りのもので完璧に日本国内で自給できているモノなど殆ど無いはずです。例えば国産米はと言った時に、我々はそれを自給したモノと理解するでしょう。しかし、その際に使ったコンバインは完全に日本製ではないかもしれないし、少なくともそれを動かしている石油は絶対輸入しています。和牛だって大元の種牛が外国産、という話もあるそうです。藤原氏は経済全般がグローバル化に、巨大化に向かっている事について疑義を唱えていますが、「じゃあ、鎖国するんですか?」との印象を受けてしまいます。ヒト・モノ・カネがボーダーレスで動き回る事について、いまさら止めようがありません。たかが経済なんです、と言いますが、経済はある種世の中で絶対です。美術、宗教、道徳、政治、外交、全てが全てに依存し、経済事象として理解されるのが普通です。いまさら、自給率維持・引き上げ云々を議論するよりも、諸外国との信頼醸成に努め、いつ何時も安全なシーラインを確保する外交努力、政治努力の方が余程大事だと私は思います。愛国心のアクセルを踏みすぎて、途中でブレーキが利かなくなってしまった、というのが本書の感想かな。。