第1回「国家の品格」(藤原正彦) | 本棚

第1回「国家の品格」(藤原正彦)

第1回「国家の品格」:ちょっと押し付けがましい。



何故この本を選んだか、という理由は残念ながら特にありません。直近で読んだ本がこの本だった、というだけです。。ちなみに非常に感想文的な位置づけの大きな、タレ流し系のブログなので(そもそもブログは全部タレ流しか。。)、書籍自体にたまたま興味を持って、買おうかどうか悩んでいるヒトがフラって見てくれれば嬉しいと思います。



この本、言わずと知れたベストセラーですが、中身云々を吟味する前に、まずタイトルに惹かれて買った人間が相当数いると思います。国家、品格、普通に生活していたら多分余り使わない単語が妙にしっくり来る語呂でハマってます。ネーミングセンスは抜群な感じです。






だけど、中身は・・・です。






最初、私はこの本は姜尚 中氏とかが書きそうな仰々しい国家論(姜氏の著書、余り読んだこと無いけど)かと思いました。拉致問題を筆頭とする外交論議だと思いました。

しかし、蓋を開けてみたら、ぜんぜん違いました。



この本を読んでの、私の最終的な感想は「押し付けがましい」です。



本書の最初の部分は非常に明快で面白かったです。「論理的に正しい事と、物事の善悪は違う」というのを具体例を交えて切々と語るのは正に、逆説的ですが、論理的でした。さすがは数学者、論拠を並べ立て、主張を置く、そのプロセスは明快でした。中身も面白かったです。



「自由と平等など両立はしない、綺麗事に過ぎない」という部分で、東大生の話が出てきます。東大生は自由な競争に勝って、高い収入を得る社会人となり、親となり、その子供が良質の教育を受け、また東大に入る、という循環がある。一方で、最初の競争に敗れた子供は、収入の低い仕事につき、親となってもその子供に良質の教育を与えられない、という循環がある。いつまで立っても、この不平等は解消されない。自由を認めることは一方で平等を捨象することである、と氏は述べています。事実、東大生の親の所得は他大のそれに比べて最も高い、というデータもあるそうです。よく聞く話ですよね。昔は、カネのない家が猛勉強して国立に入る、という話が一般的だったと聞きますが今は事情が違うのでしょう。



だから、自由と平等を目指す、という非常に耳障りの良いフレーズも、一見論理が通っているけれども、実際の善し悪しとなると議論が必要になる場合がある、というのが氏の意見です。これは成果主義の企業にしても同様だと書いてあります。他にも例は沢山ありましたが、なるほど確かに論理は万能ではないな、と思わせるのが前半部分でした。



、、、、が、後半部分は頑固おやじの回顧主義、と言っては言い過ぎかもしれませんが、説得力に欠ける精神論が満載でした。「戦争を起こさないためには、子供の頃より、武士道を叩き込むのが良い」とか「日本人特有の美的感覚(物のあはれ、を感ずる感覚、らしい)を世界中に浸透させれば、世界情勢は改善する。戦争も無くなる」だとか、後半に進むに従い段々読んでてたるい箇所が増えてきます。書中でも自称している通り、彼は愛国者を全面的押し出しています。英語教育なんかクソ食らえ、という勢いです(そこまで言ってはいませんが、100%思ってます)。「小学校からの英語教育は国家を滅ぼす最も確実な方法」とまで言っています。まぁ、、これは賛成です。英語にコンプレックスがある親世代ほど、小学校の英語必修化には盲従していますが、これは本当に浅薄で日本の悲しい状況だと私も思います。



とにかく腑に落ちないのが、ところどころに出てくる彼の個人体験。殆どが欧米のお偉い方々とのお話。日本人と比した時の彼らの感度の悪さ、粗暴さが色々紹介されている。そして日本人を褒め称える外国人もちらほら出てくる。中でも笑ったのが、これ。駐日大使まで勤めた、フランス人の詩人がこういったそうです。



「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」


この例を引用した後、著者はこうした世界に尊敬される情緒持つこそが、世界を本格的に救える唯一の存在だ、と著書を結びます。

しかし、こんなこと言うフランス人、本当にいるのかよ?というのが世の大半の印象ではないでしょうか。その他にもスタンフォード大学の教授が鈴虫の声を聞いて「ノイズ」といった話や、俳句の良さが全く分らないドイツ人大学生の話も出てきます。こうした西洋人に比べて、日本人は「悠久の自然と儚い人生」を感じ取る、最強の感度を持っており、それを誇りに持つべきだ、と彼は主張します。そこまで言われると殆どの日本人は自分自身を疑うと思うのですが、、如何でしょう?極端な例を使いすぎて、かえって説得力が薄くなったように私には思えました。


こういった「西洋的合理主義ダメ日本の伝来的意識へ戻ろう」という本は色々な分野の学者が書いていて、今流行りなのでは、、という印象を受けます。中谷巌氏の「プロになるための経済学的思考法」という書籍にも似たような箇所が見られます。(後に、記載したいな、と思いますが、この本は個人的に非常に分りやすくてお勧めです。)




日本人として、日本人であることに誇りをもてなくなったらお終いですので、この論調自体は別に悪いとは思いません。しかし、自給率を上げるべき、と言ったって日本は限界があります。厳密に言えば、我々の身の回りのもので完璧に日本国内で自給できているモノなど殆ど無いはずです。例えば国産米はと言った時に、我々はそれを自給したモノと理解するでしょう。しかし、その際に使ったコンバインは完全に日本製ではないかもしれないし、少なくともそれを動かしている石油は絶対輸入しています。和牛だって大元の種牛が外国産、という話もあるそうです。藤原氏は経済全般がグローバル化に、巨大化に向かっている事について疑義を唱えていますが、「じゃあ、鎖国するんですか?」との印象を受けてしまいます。ヒト・モノ・カネがボーダーレスで動き回る事について、いまさら止めようがありません。たかが経済なんです、と言いますが、経済はある種世の中で絶対です。美術、宗教、道徳、政治、外交、全てが全てに依存し、経済事象として理解されるのが普通です。いまさら、自給率維持・引き上げ云々を議論するよりも、諸外国との信頼醸成に努め、いつ何時も安全なシーラインを確保する外交努力、政治努力の方が余程大事だと私は思います。愛国心のアクセルを踏みすぎて、途中でブレーキが利かなくなってしまった、というのが本書の感想かな。。