死ぬほどやったヤツにしか、本物は見えてこない
親はよく
「過労死すんな」
と言ってくる。
たしかにしてはいけない。
でも、これまで運動部野郎で生きてきた自分にとって、
死ぬかもしれないギリギリの世界に、追い込まれて初めて、
見えてきたものが多くあった。
日常の平板な世界、ぬるま湯世界にいると見えない、
立体的世界。
どういう意味かというと、
今ある「生」の裏側にある「死」の存在が見えるゆえ、
平板な二次元の世界に「死」が加わり、三次元化するのだ。
同じ本読んでても、字面だけ読んでる人がいれば、
活字から、あらゆるイメージができる人もいる。
つまり、デキル人は、
「立体的思考」をしているのではないか。
自分の中に深く掘り下げられた世界があり、
あらゆる外界の情報にそれが組み合わさり、立体的に見えていく。
日常が楽しくなる。
勉強の意味もそこにあるのだと思う。
モノを見るレベルを上げたくて。
今日も自分は道を歩く。