お知らせ その1
あのエコスペが帰ってくる。
学生だけで開催します。詳細は未定です。
お知らせ その2
五月祭で何かします。
ワークショップみたいな、イベント的な何かと予想されます(根拠なし)。詳細は全て未定です。
みなさんこんにちは。
上記の通り、お休みを頂いていたエコスペが再開することになりました。
前回(第7回、2月13日)から三ヶ月半もの時間を頂きました。
詳細が決まりましたら、またお知らせします。乞うご期待!
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echospace2010●aol.jp
(お手数ですが、「●」を「@」に書き換えてください。)
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さて、前例にならい、ぼく(平木)も徒然なるままに日記を書こうと思います。
書いといてなんですが、真面目に読む価値はありません。
tweetにすぎないものですから。
(一応、先に書いておきますが、以下に書かれている震災直後期におけるぼくの憤りは、決して現実に苦しみ悲しむ人々に向けたものではありません。今回の震災や津波、福島の事故によって被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。)
人と人とが繋がる形は様々なものがあります。
会話、手紙、電話、メール、SNS。
人は人とのより深い繋がりを求めるのでしょう。
僕たちは、より多様な形で人と繋がるようになりました。
SNSでも、非匿名性のIDで、友人とウェブ上でも関係を持っていたら、そのときのSNSはマスコミを除くコミュニケーションツールの延長にあるものです。
つまり、「ある人とのより深い繋がりを求めるときに採る選択肢の一つ」として位置づけることができます。
ところで僕はTwitterが嫌いです。もう辞めましたが。
SNS、特にTwitterは、自分に向けられていない情報を目の前に並べられます。
誰かに見られていることを意識して、見せるために情報を発しているのに、
それは僕のための情報ではありません。
見られるためのもの。でも誰のためでもない。
非常に中途半端な存在となっている情報が、タイムラインには溢れています。
それがTwitterの最も大きな特徴であり、擬似的な社会を形成させている要因だと僕は思います。
でも、変じゃないですか。
それって、他人に聞いてもらいたくて独り言を発しているようなものですよね。
あるいは、誰かに見られたくて、大げさな仕草をしているようなものですよね。
いわゆる現実社会でそれをやったら、非常に滑稽です。敬遠される存在となるでしょう。
中二病と呼ばれるかもしれません。ミサワっぽいと言われるかもしれません。
「あーオレ今日テスト受けたわーまじ疲れたわーけっこうできたわー」
Twitterはそれでも常人として受け入れられる社会ですから、多くの人がまさにつぶやいています。
リプライで行われる会話は、教室にいる人々にあえて聞こえるようになされるものです。
タイムラインを読むその行為は、教室で机に伏せて寝たフリをして、クラスメートの会話や行動に目や耳を凝らしているようなものです。
自分をもっと知ってほしい。
その思いが、どうでもいい情報をある程度の規模をもった場に送り出します。
あの人をもっと知りたい。
その思いが、その直接自分に向けられていない情報を、その場から受け取らせます。
どうしても、会話やメールといった、特定の人のために、明確に返答を求めてなされるコミュニケーションとは異なるのです。
ぼくはそれが良いとか悪いとか言いたいわけではなくて、ただ嫌いなのです。
単に保守的なだけかもしれません。その新しくて不完全なコミュニケーションの方法が、気に食わないのです。
つぶやくその姿も変だと感じます。
つぶやきは、PCやケータイから打ち込まれたテキスト情報です。
上記のミサワ的なセリフを真顔でカタカタポチポチ打ち込んでいます。
(このエントリーもそうですけどね、恥ずかしながら。)
現実にその人の隣にいる人は、なんでこいつケータイいじってるのかと思うでしょうね。
Twitterという社会に情報を送り出すとき、ぼくたちは非常に滑稽な姿をしています。
さて、震災によって就活生たるぼくは暇になり、一日に何度もTwitterアプリを起動しました。
そこでは、同じく暇になった東京の大学生たちが、数多の中途半端な情報を発信していました。
暇を持て余して、ネットにはりつく愚かな人間となったぼくはイライラし始めました。
「非公式RTするなせめてリプライにしろ」
「てかDMかメールでやれや」
「関係ない人が『一人でいると泣けてくる(T_T)』ってカタカタ打ってるの想像すると可笑しい」
「アイコン暗くして何か変わるとでも思っているのか」
「今やれること?パソコン閉じれば?」
くだらない憤りを重ねていきました。Twitterそのものに飽き飽きしてきました。
そして、独り言を発してきた自分をふと顧みて、非常に恥ずかしくなりました。
他人の会話や独り言に耳を凝らす自分をふと顧みて、非常に恥ずかしくなりました。
こうしてぼくは、TwitterをはじめとするSNSのIDを削除しました。
独り言しか発すことができない口と、自分に向けられていない言葉しか受け取ることができない耳を失って、非常にすっきりしました。
タイムラインの情報の多くは、所詮なくても困らないものです。今のところ平気です。
多くの人について、無限に深く知ること、深く知ってもらうことに、はたして意味はあるのでしょうか?
ぼくにとっては、どうやら違ったようです。みなさんも是非。
長々と駄文を読んでいただいた方、ありがとうございました。
いろいろ書きましたが、実は単にイライラしてやめただけですのであまり気にしないでください。
でも、スッキリしました。返答を求めない情報発信もなかなか有用ですね(笑)
以上、平木でした。ほんとすみません。

















