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ご当地グルメと小さな旅

全国各地には、町おこし、活性化のために、郷土料理を発掘したソウルフードやB級グルメを開発している町が数多くあります。
そんなご当地グルメを訪ねて、街歩きの記事をアップしていきます。ご当地グルメを巡る小さな旅の記録です。

東京都豊島区池袋

 

牛肉豆腐   戦後・闇市時代から続く池袋の名店「千登利」

 

●新型コロナウィルスで繁華街から人の姿が消えた2020年5月 

 はたして、いつ賑わいはもどるのか?!

 

 新型コロナウイルスによる自粛要請で、東京の街から人々の姿が消えた5月。休業や営業時間の短縮が飲食店をはじめ経済や経営に大きなダメージを与えています。戦後最大の不況を懸念する声もあるなか、ふとこれはもうかつての戦災で焼け野原になった東京ではないかという思いが頭をよぎりました。

コロナ禍で焼き尽くされそうなこの国の経済が、再びかつての賑わいを取り戻すことを願いつつ、戦後、闇市の町ともいわれた池袋の町で、当時創業した、池袋のやきとんの名店を訪ねました。

 

 

戦後まもなく、戦争の空襲で焼け野原になった東京の町に、戦地からの引き揚げてきた人が一気増え、食糧難を埋めるために闇物資や郊外の農家から仕入れた米や野菜などを売る闇市と呼ばれた市場・マーケットが日本各地に立ちました。東京では新橋、新宿や池袋、錦糸町などに、買い出しにやってくる人々集り、飲食店から雑貨屋、古着屋、漬物屋、靴下の修理屋などまで、生活に必要なモノやサービスを提供する店が軒を並べていたといいます。この時代に大学生として地方から上京してきた昭和ひとケタ生まれの作家・野坂昭如氏や五木寛之氏らは、自らを「戦後焼け跡闇市派」を自称していましたが、五木氏の自伝的小説を映画化した浦山桐郎監督の『青春の門 自立篇』(77年)では、当時の池袋マーケットがセットで再現されていました。

 

現在の池袋は、JR池袋駅を中心に、東口と西口にそれぞれ西武池袋線と東武東上線のターミナルとなり、沿線の住宅開発が進み、都内でも屈指の乗降客を誇る巨大ターミナル駅として、デパートを中心に東口と西口に町が広がっていきました。池袋に拠点のある大手家電量販店のコマーシャルソングに歌われるように、東口に西武百貨店、西口に東武百貨店があり、東西があべこべという、歌の歌詞の通り不思議な構成になっています。

西口にあった池袋マーケットは、1963(昭和38)年に取り壊され、その後西口公園となり、1990(平成2)年には東京芸術劇場が建設され、野外劇場や噴水、彫刻などが設置され、各種のイベントが開催される公園に整備されました。

そもそもの開園は1970年(昭和45年)。1908年(明治41年)設立の豊島師範学校の跡地につくられました。戦争後この地には闇市ができ、その後も長い間市場として使われていたということです。しかし、同公園の建設のために、戦後、活況を呈した市場は撤去され、その後は、公園というよりも、広い空き地のような状態が続いていたといいます。

たしかに、筆者が池袋に通った80年代の西口公園は、木立がわずかにあって、夜は薄暗く、ホームレスが屯して、決して明るい雰囲気ではなかった記憶があります。

豊島区や地元商工関係者は、豊島師範学校跡地周辺の開発整備とイメージ一新を企図。その計画の一環として、1985年、附近にホテルメトロポリタンが完成。1990年には、オペラやオーケストラの公演などもできる巨大なホールを有する東京芸術劇場がオープンします。これに合わせて公園は、劇場の前庭公園として再整備された。国際興業バス・関東バスなどのバスターミナルも完成して、すっかり様相が変わっていきました。

さらに、2002年には、音楽の演奏会などで利用可能な野外ステージも併設された。幅11.8メートル、奥行き5.4メートルのステージ。これは、地元の立教大学卒業生と、池袋西口商店街連合会の働きかけにより、区内の商工団体などで構成された『元気な豊島をつくる会』によって建設され、区に寄贈されたものでした。

 

その後、2000年4月に放映された石田衣良原作のテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS)では、ロケ地として度々使用され、いちやく全国に知られることになりました。昨年秋には、再び大規模なリニューアルがなされ、新たに劇場公園「GLOBAL RING」としてオープンしています。

 

●闇市時代から始まった雰囲気を伝えるやきとん店「千登利」

 

駅からこの公園に至る狭い路地や、北口に延びる幾筋かの路地にかつての闇市時代の面影をわずかに感じることができます。そのひとつにロマンス通りという素敵な名前の通りを入ると、池袋では有名なアミューズメントビル「ロサ会館」があり、その隣に立つ6階建てのビルの一階に、昭和24年創業の老舗の焼きとん「千登利」があります。

「ここは闇市のあった場所ではないんですが、この辺一帯が焼け野原で、建物が何もなかったので、池袋の駅が見えたそうです」と語るのは、女将さんの西形元美さん(79)。

終戦から4年後に、元美さんの義理の祖父が、現在のビルの建つ土地を購入して商売を始め、元美さんは先年亡くなった二代目の整一郎さんと昭和42年に結婚して以来店に立って来たといいます。

「最初はバラックみたいな建物だったそうです。その後、昭和38年に建て替え、1階が店舗で2階が住まいで、ここに住んでいました。隣のロサ会館もその頃からあったそうです」

 と元美さん。

 

 

さて、暖簾をくぐって店内に入ると、平成3年に改装当時800万円したという木曽ヒノキの一枚板のカウンターの一画に大鍋が据えられているのが目につきます。これが同店自慢の名物「牛肉豆腐」です。黒い出汁に染まった豆腐が何丁も浸かっているのに目をうばわれます。昭和38年にそれまでのバラック的な建物だったものを2階建ての住まい兼店舗に建て直したときに、「初代の祖父が、焼きとん以外に、何か名物になるものをということで、すき焼きからヒントを得て作ってくれたものです」と、元美さん。

さっそく注文すると、醤油と砂糖などですき焼き風の味付けがされた出汁で煮込まれた牛肉とまるごと一丁の豆腐が鍋から掬いあげられ、器に盛られたのち、大量のネギを豪快にのせてカウンターに出されます。

白かったはずの豆腐が、出汁の色に染まってほとんど真っ黒と言っていいほどに煮汁が染み込んだ豆腐の存在感が圧倒的です。焼酎のウーロン割を注文して口を湿らせたのち、豆腐と肉、そしてネギを一緒につまんで、一口にいただきます。肉のうま味が溶け出した甘辛い肉豆腐は、最高のおつまみという満足感です。

 

 

同店は豚串のやきとんの店ですが、まずこの肉豆腐を注文するのが、昔からの常連客には当たり前のようになって、いつしか池袋の名物といってもいいほどの人気メニューになっていったのです。現在でも、大鍋の出汁は注ぎ足し注ぎ足しで、ずっと変わらない味を提供しているといいます。

 

 

名物「肉豆腐」と店について女将さんにインタビュー

  

 

店主・西形元美さん「38年に建て直すときに、おじいちゃんが、何か名物になるものをと、すき焼きからヒントを得て作ってくれたものです。それがウチの名物になって、すき焼きの要領で豆腐を入れて、最後にネギをのせる。以前は池袋の豆腐屋さんから仕入れていたが、お辞めになったので、現在は駒込のお豆腐屋さんから仕入れています。大鍋に醤油、砂糖などで味を調えた鍋の出汁は、つぎ足し注ぎ足しです。

現在のビル(西形ビル)にしたのは平成3年です。私もここへ来てもう52年になります。私が来た頃にはものすごく忙しかった。お客さんの中心は、いわゆるブルーカラー。その後、建て替えた頃からは、客層もずいぶん変わってきて、ホワイトカラーのサラリーマンが中心になりましたけど。最近は、こういうチェーン店でない昔ながらの店が珍しいと、若い人も多くなって、昔からのなじみのお客さんたちに交じって。最近は女性の1人客やグループなども多いときには3分の1くらい。

カウンターは木曽ヒノキの一枚板。内装の煉瓦は、主人(整一郎さん)が凝ってオーストラリアの焼き煉瓦を使ってます。床に敷いてあるのは、スペインだかのタイル。壁の板は高山から運んでもらったもの。天井も杉の木に焼きを入れた凝ったものになっています。

仕込みにおばさんたちが4人、あと男の人が1人10時から3時頃まで仕込みをやって、4時半からバイトの子たちは、みんな韓国の留学生たち。材料は、朝仕入れて、冷凍ものは一切使わないので、仕込みだけでも3人もいるんです。ほんとによくやってくれています。辞めるときには、後輩を紹介してくれるので、ずっと韓国の留学生のバイトさんにお願いしています。

 

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 繁華街のイメージが強い池袋ですが、一方で西口から西に延びる通りは通称「立教通り」と呼ばれ、通りを少し歩くと、蔦がからまる雰囲気のある建物の立教大学が見えてきます。そしてその通りを右に折れ大学の建物に隣接した一画に古い土蔵のある民家が見えます。ここは、『陰獣』『パノラマ島奇譚』『怪人二十面相』など、日本の推理・探偵小説の先駆者である江戸川乱歩が晩年まで31年間住まいとした邸宅で、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターとして、公開されています(5月15日現在、新型コロナウイルス対策のため一時閉館中)。このほか、池袋西口から南に少し下ると、羽仁もと子が開設した寄宿制の自由学園のモダンな建物を見学することもできる、文教地区の様相さえもつ、まったく不思議な町という気がします。