
諏訪大社の御柱祭が終わって、はや、2週間が経ちました。まだ秋には小宮の御柱があるわけで、全てが終わったわけではないのですが。
画像は、建てられた次の日に、拝観した春宮一の御柱です。清冽、壮観。
これを目の前にして、これはファロスである!などと言っていいものか、やはり神罰が怖くて、話をすすめるのがためらわれますが、覚悟を決めましょう。
前に、御柱の5尺落ち、というシステムを作り上げたのは、大久保長安ではないか、と、書きましたが、ここからは全く根拠のない、私の妄想です。小説の粗筋だとでも思っていただく方が良い位の話。
大久保長安は、猿楽師の家に生まれています。猿楽というのは能の原型らしい、始祖は、秦河勝と伝えられています。聖徳太子のブレーンだった人です。秦氏というのは、トンデモ系の論者が好んで取り上げたがる謎の渡来氏族であります。ま、ここは、話、飛ばします。この、秦河勝が、猿楽、能の世界では、宿神という神様と同一視されていると、人類学者の中沢新一氏は語っています。この宿神という神様、諏訪信仰の古い神、ミシャグジと同じ神ではないか、とも。ミシャグジ神は、人格神というよりも、大地の精霊、ですね。諏訪大社の形態で言うと、大祝に次ぐ神職ナンバー2の神長官守矢氏が、祀っている存在です。神長官守矢氏は、もともと諏訪地方土着の豪族ですから、諏訪信仰の原型でもあろうと言うことらしく、それは、縄文時代からの信仰を受け継いでいる、ということでもあって、諏訪信仰というのは、実に深い!邪馬台国問題と同じほど重要な問題らしいです、らしい、ばかり使って申し訳ない、よくわかっていないので‥‥‥。
続く