さて、ギララという怪獣について、私は、プラモデルの思い出しかないような気がします。他の怪獣映画に関しては、映画の内容をうっすらとでも、覚えているところをみると、この映画は、よっぽど、アレな内容であったのでしょう。
 幼少期の私の、特撮怪獣映画、TVドラマの捉え方というのを、改めて考え直そうと思います。あの世界が、作り物であることは、無論、承知していました。全てが、着ぐるみとミニチュアの世界。だから、楽しかった、言ってみれば、私は、ゴジラもウルトラマンも、全て、オモチャ感覚で見ていたのかもしれません。だから、後に伝説となったような、ウルトラマンの実相寺昭夫監督の神回にしても、ストーリーはすっかりと忘れてしまっている、ただただ、その時に出てきた怪獣なり、宇宙人なりの姿形は、しっかりと覚えている。その頃、一クラスに一人はいたであろう、怪獣博士と呼ばれた少年でしかなかったのだと思います。
 ある女性純文学作家の小説の中に、「頭の悪い男に限って、本を触感でとらえようとするものだ」というような文章があって、そりゃ、俺のことだな、感じた事がありますが、特撮モノに対する私の感覚も、まさに、それであるような気がします。触感でとらえたいので、お気に入りの怪獣のプラモデルを、どうしても作りたくて、母親にせがむという………。
 身体感覚などといえば、カッコいいのですが、想像力が乏しくて、あの頃の特撮ドラマのストーリーに入り込めない、だから、その補填なのでしょう、プラモデルを買ってもらい、手でそれを組み立てるという行為によって、その触感によってのみ、怪獣の物語の世界に参加しようとしていた、少年の私の、それが姿であったろうと。
 さて、そこで思いは、「ゴジラ-1.0」さらにこれに先行する「シン.ゴジラ」に向かったりするわけです。私の、触感的怪獣体験とでも言うような感覚から見た、二人の監督の感覚の差異、とでも言うようなところ…………。

また続く