今回の能登地震、大変な事で、被害に遭われた方々には、かける言葉すら思いつかず、できる事といえば、コンビニでオツリを寄付することくらいしかできない私です。
 ところで、ちょっと不敬過ぎるかもしれませんが、画像のようなニュースがありました。大地震の中心地、能登町に真脇遺跡という、縄文時代の遺跡がありまして、ここの復元された縄文小屋というのが、地震に遭ってもビクともせずに残っていた、というニュースです。やっぱりな、こんな時に不遜であり過ぎるでしょうが、私は思ってしまった。真脇遺跡は、大量にイルカの骨が出土したこと、ここに縄文人が4000年、定住していたことが明らかだ、という特異な遺跡であります。
 中央構造線上になぜ、主要な神社、宗教拠点が存在するのか(伊勢神宮、高野山 等)、それの答えとして、活断層上では過去、度々、大地震が発生しており、その鎮魂のために神社が建てられたのだろうと言う人がいます。確かにそれは、真実かもしれません。世界有数の大地溝帯、フォッサマグナを鎮めるための神社が、諏訪大社である、と、ぶち上げた論者の方もいる、しかし、そうすると、その信仰の起源が、縄文時代まで辿れるだろうか、という疑問が生まれます。記紀神話の起源を火山噴火に求めるという話がありまして、そこで、その著者は、神社地震起源説?に疑問を投げかけています。巨大なインフラも、高い建物も、大きな町も存在しない縄文時代に、果たして大地震は、人々にとって最大の脅威であっただろうか?と。この話に出会って私は、そうだよな…と、うっすらと思っていた所、この真脇遺跡のニュース。たとえこんな縄文小屋、壊れたとしても、再建はたやすいでしょう。真脇遺跡に面した海は、遠浅ならぬ、近深、とでも言うべき地形だそうで、近くの海の底がドンと深くなっていて、深い海に生息するイルカが集まっていた、ということです。それで真脇遺跡の縄文人は、たやすくイルカを捕まえて、食料にできたという事らしい。イルカは地震の前に、それを予知するのか異常行動を取ることがある、といいます。もしかしたら、地震の直前イルカたちは真脇遺跡近くの近深の海に集合してしまっていて、そこを縄文人は文字通り、一網打尽にしてしまっていた?これは、私の勝手な妄想ですが。
 とにかく、神社の起源を縄文時代まで遡ろうとすると、神社起源地震脅威説?といった論旨は、納得いかないものになってくるようです……

  続く