大晦日になってしまいました。早いものです。
 とりあえずという形で、ブログをまとめてしまおうと思います。
 物部守屋神社に関してのブログで、洩矢神社の氏子は、善光寺にお参りには行かない、なぜなら、善光寺には守屋柱という柱が存在して、その下には、物部守屋の首が埋まっている、善光寺は、物部守屋の怨霊を鎮めるための寺なので。そういう記事を読んで、呆然としたことがあります。幼少期から洩矢神社の氏子としてそこに住んでいた私は、善光寺に行っちゃならん、なんて話は聞いたこともありません。大体、中学生の時、家族全員で、御開帳時、善光寺に行ったし。洩矢神社が物部守屋を祀っているなんて話も知らないし。 
 まず、善光寺が物部守屋鎮魂のための寺であるという説は、かなり怪しい、その類の伝説はあるらしいですが。その手の本を一冊、読んだことがありますが、あちこちに私にすら分かる間違いがありまして、守屋山を物部守屋山と表記したり、用明天皇を、元明天皇と記したりとか、で、ちょっとアレな感じです。テキトーに書き飛ばしたトンデモ本という感じが否めない。ま、このブログがトンデモ本系ではないのかといえば一言もありませんが、トンデモ本系の筆者は、他のトンデモ本を激しく非難するという特徴もあることですから、ま、そこは置いときましょう。
 それでも、ホントに洩矢神社の氏子であるこの地域(旧橋原)の区民には善光寺詣りはタブーであるという話があるのか、洩矢神社の役員の方に尋ねて見たところ、そんな話はない、しかし、江戸時代にはそういうこともあったのではないかと、ネットに書いている研究者の方はいる、と、教えていただきました。それが、今でも、洩矢神社の氏子は物部守屋の敵である善光寺には、決して行かない、という話になってしまうのですから、伝聞の伝わり方にはオソロシイものがある‥‥‥。ましてや伝説などというシロモノが、どこでどう変容して形成されるのか、ソラ、オソロシイものがあります。
 なので全ては、ちょっと変で面白い話として聞いてもらうのが、読むのが、トンデモ系古代史の話に付き合うコツ、と、開き直って話を進めさせていただきます。

 続く